カウントダウンが始まっているNPB年間最多ホームラン55本を三人が記録しています。
1964年 王貞治 (読売ジャイアンツ)
2001年 タフィ・ローズ (近鉄バファローズ)
2002年 アレックス・カブレラ (西武ライオンズ)
1本足りない54本を1985年のランディ・バース(阪神タイガース)が記録しています。
さて、2001年のローズ。
55本打った時点で残り5試合。ちなみにこのときバファローズは優勝争いをしていてマジック1。残り試合はブルーウェーヴ(オリックス)三試合、マリーンズ(ロッテ)、ホークス(ダイエー)戦が一試合ずつ。
優勝が決まった後のブルーウェーヴ、マリーンズのピッチャーはローズに対して勝負をしましたが、ホークス戦では初回の第一打席から先発田之上慶三郎・城島健司のバッテリーは敬遠。結局四打席全てがフォアボールでした。
2002年のカブレラ。
54本目を打ったのは優勝決定後。残り9試合。この後のホークス戦では敬遠はありませんでしたが、55本目時には残り5試合。ホークス戦、ファイターズ戦、ブルーウェーヴ戦(二試合)、マーリンズ戦。
ホークス戦以外はすべて勝負でしたが、ホームランは打てませんでした。そして、ホークス初戦で若田部健一・田口。のバッテリーから五打席で四つの四死球。凡打に終わった一打席は明らかなボール球を打ちに行ったものだったという。
この試合の七回。第四打席はヒットバイピッチで出塁。三塁まで進塁し、次のバッターの内野ゴロで、間に合うはずのないホームへと突入し、キャッチャー田口の顔面に左ヒジをお見舞いしたのです。
1985年バース。
この年、タイガースは21年ぶりのリーグ優勝。さらにライオンズを下して初の日本一という記憶に残る年でした。54本目をドラゴンズ戦で放ち、残りはジャイアンツとの二試合。一試合目は江川卓が真っ向勝負したが、ホームランは打てず。最終戦では斎藤雅樹、宮本和知、橋本敬司というピッチャーを相手に五打席中四フォアボール。結局バースは55本目を打てませんでした。
偶然でしょうけど、ローズ、カブレラ、バースの三人が徹底的に勝負してもらえなかった相手チームは55本の記録を持っている王貞治が監督をしているときでした。
監督が直接指示しておらず、周囲の勝手な(?)配慮で敬遠に至ったのが現実のようです。
事実、ローズの時には当時の若菜嘉晴バッテリーコーチが、試合後「王・長嶋(茂雄)は野球の象徴。いずれ彼(=ローズ)はアメリカに帰るのだから、オレたちが配慮して監督の記録を守らなければいけない」とコメントしています。
さて、今年のバレンティンはどうでしょうか?
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