小沢映子 わたしが伝えていきたいこと

「愛する富士市を、愛せる富士市に」 静岡県富士市議会議員 小沢映子ブログ

元美の医療裁判 その1

2008年06月04日 15時38分51秒 | 元美の医療裁判
 前回のブログで、元美の出産時の様子について大まかに書きました。その8年後民事裁判を起こすことになりました。その過程を少しずつ追ってみたいと思います。

 1985年5月31日娘の元美が生まれて、ちょうど23年経ちます。小学校の教員をしていた私の初めての子どもは、陣痛促進剤の投与による事故で、重度の脳性麻痺となり寝返りは多少するものの、寝たきりで言葉も話すことができません。

 1991年、中部地区の医療過誤のアンケートをしていた弁護士さんに、電話をすると、話を聞こうと会うことになりました。その後、「証拠保全の申し立て」を裁判所に出しました。裁判所の許可が出ると、弁護士が病院にいって、その場でカルテや看護録のコピーをして証拠を保存します。
 その保存したカルテや看護記録を見た弁護士さんたちは、処置のずさんさに、びっくりしました。「これはひどい、裁判をしたほうがいい。みんなもっと条件が悪い中で裁判をやっているよ。」と言われました。
 そこで、裁判を始めることになりました。以後3人の弁護士さんと共に11年間ものお付き合いになりました。

 手続きはもちろん、すべて弁護士さんがやってくれます。私を含めて4人で弁護士事務所にて打ち合わせをします。遅くまで、あーでもない、こうでもないと、医療関係者から話を聞きつつ、専門書とにらめっこしながら、内容を煮詰めていきました。最初は、訴状を裁判所に提出します。それを読んで次は病院側から書面を提出します。次はこちらからと、ずっと「準備書面」という書面の提出のやり取りが続きます。
 両方の当事者が裁判所に出頭することなしに、準備書面の提出等により争点等を整理する手続です。これが長い期間かかりました。回数にして20回以上、期間としては3年以上かかりました。
 やり取りをしながら、医者に所見を聞いたり、医学書で調べたり、大阪までシンポジウムに行ってきたり、そうこうするうちに、いろいろな事実が分かってきました。
 
その2へ続きます。

※ 民事裁判は、前半は原告と被告が事実関係やそれを元にした法律論を書面でやりとりし証拠書類を提出します。原告や被告の主張を書いた書面は「準備書面(じゅんびしょめん)」と呼ばれます。


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