2 3 4 R O O M

これは234の未来への道しるべである。

第五十四回

2008-08-20 | Weblog
ヤーマン

Earth Angel




とうとうこれを書く時を迎えたか…。

若干長くなるがよろしく頼んだ。下に思い出写真館も続くからな。

では…

オレは今月半ばでIRISH PUB生活にピリオドを打った。

ここに至るまでには様々な苦悩と葛藤が交差し続けていた。

この店で働き出したきっかけ。

以前、青山にあるイタリアンレストラン兼BARで働いていた。

そこでは先輩方にほんとによくかわいがってもらい厳しいながらも毎日頑張った。

ある程度本格的な店で今の基礎はここで作られたと言ってもおかしくない。

しかし、毎日睡眠もロクに取れず店泊も頻繁にあった。休みも週1あるかどうか。

忙しいながらも充実はしていた。

しかし、オレのことを知ってる人は解るかと思うが、自分の生活にあまりに支障を

きたしてしまうのは234のスタンスではない。

これも含め不条理な出来事も多々あり辞めることになったのだ。

それから、オレはブランクに陥りさまよっていた。

そんな中、そのイタリアン時代の先輩から一本の連絡。

その先輩もイタリアンを辞め、新たにIRISH PUBで始めたとのこと。

どーやらIRISH PUBで当時人手不足だったらしくその先輩に誘われ働くことになった。

オレは何らかの形で海外に行こうと決めていたから、外人さんも多く来店するその環境は嬉しく魅力を感じた。

それから先輩と二人で2か月ほど働いた。

先輩はけっこうプライドがある人。料理人には多いタイプかもしれない。

それもあるが、まぁご存知の通りアホなオーナーとガッツリぶつかり辞めていった。

このとき大きな引き継ぎはあったが特に細かな引き継ぎはなかった。

オレは急に一人残され、どうしたら良いのか本当に分からなかった。

この店のキッチンに関すること(発注、仕込み、管理 etc)は大して修行もしてない料理好きレベルのオレに全て任されたからだ。

ある程度基本はできても、もしパーティーなど入ったらどうしようと不安に駆られた。

パーティーを一人でこなしたことなど一度もなかったから。

案の定パーティーは送歓迎会シーズンに毎週入った。

正直言うとマジでこの時は辞めたかった。

何で辞めたかったかと言うと…

一人でやると新たに勉強することは無く特に得るものは無いと思ったから。実際それは間違いだったが。

もう一つは、自分一人ではこなす自信が無かったから。これの方がデカかったかもしれない。

そして何故辞めなかったかと言うと…

この店のスタッフ達に本当に仲良くしてもらい、ありがたかった分オレが辞めたことによって迷惑がかかってしまうのが本当に嫌だったから。

もう一つは、オレは昔から中途半端なことが多くて親にたくさん迷惑をかけてきた。

ここまできた以上、何か一人でやりとげられないか。と思ったから。

今まで自分に自信がないオレにとって、これを乗り越えれば少しは自信につながるのでは…と。

といった具合で今までやってきたことを少ない脳ミソから引き出し、そして新たに234オリジナルのメニューを考案した。

ありがたいことにそのパーティーラッシュはどのパーティーも一人当たりの料金はほぼ同じ額だった。人数が30人だとか60人だとか、90人だとか。

基本週末に一件は入っていて多い時は週に二件。

時間はマチマチだった。

何とか形にしパーティーを一つ一つ片付けていった。

何とか全てのパーティーを無事終えることができた。

みんなからの「お疲れさま」で癒され、料理に関しては一人でこなしたことで少しは自信が持てた。

ちゃんとした料理人から言わせればカスみたいなもんかもしれないが自分なりの形では頑張ったつもりだ。

それからはある程度パーティーの基盤も自分の中で落ち着いてきて、応用しながら様々な要望に答えてったつもり。

100人以上のパーティーも頑張ってやってきた。

それまでオレはキッチンのことで頭は一杯で前のBARカウンターにでる余裕などなかった。

だからオレを知ってるお客さんなんてホントに常連の数人程度。

この店に入った理由となった本質を見失いかけていた。

だからそれから余裕のある時はなるべくカウンターでお客さんと会話することにした。

そんな感じで時は流れ、新たなスタッフ、HAYATOが仲間入りした。

どう説明してイイのか分からないけど、ありがたかったよ。

ほとんどが年上でそれなりに歳は離れていたから同い年の彼の存在はデカかった。

歳は同じでも見た目のタイプは大きく異なる。HAYATOは絵に書いたような美少年。 オシャレだし。

小汚いオレとは大違いで。

初めはこんな爽やかな彼とうまくやってけるか不安だったよ。

でも話し始めたらそりゃ同い年。仲良くなるまでに時間なんかそういらなかった。

彼の魅力は底なしにあった。

彼が入ってきてからはキッチンもグイグイ手伝ってくれて仕事が本当に楽しかった。

店を閉めたあと2人でじっくり呑み、語り合い、新たにBAR開拓したり。

何て言っても出会ってチョイで2人で旅行行っちゃったしね。

オレは忘れない 「This IZU Blue」

そして時は流れ、いつからか週末要因の立場になった234。

何故だかは解らない。 いまになっても本当に解らない。

それにはJUSTINも疑問を持っていて、後から分かったことだがミーティングで、もっと234の出勤を増やすよう提案していたらしい。

JUSTIN本当にゴメン。もっと力になりたかった。

アメリカ人なのにあんなにシャイで限りなく日本人のような繊細なハートを持っている彼。 

たくさん仲良くしてくれて心からありがとう。

そしてお客さんとスタッフの両方の立場から店を支えてくれているジュニア。

まさかのジャマイカン。日本語も上手でいつも頼もしいジュニア。

素晴らしいセンスで心に響く歌声をありがとう。

そしてこの曲でオレをステージにあげてくれて。  

その他、いろんな場面でいろんな形でオレと関わってくれたみんなにありがとう。

オレの作ったモノをおいしいと言ってくれたみんなありがとう。

最後にはHAYATOやTOMOさんらからお疲れ様って贈り物をいただいた。

先ほど挙げた週末要因的理由、その他おかしなことがたくさんたくさんたくさん…ありすぎて自分じゃどうあがいてもどうしようもできない現実。

ここ一本ではやっていけないのと、計画がどんどん延びてしまうこと。察してほしい。

これからは大澤方式である結果から今何すべきかを改めて辿り、そこから見出したモノに照準をしっかり合わせ生活していこうかと考えている。

この店で得たたくさんの仲間、文化、思い出、そしてこの先役立ってくれるであろうコネクション。

これらを握りしめいざ新たな旅立ちへ。




                                     ありがとう          

                                   O’CAROLAN’S


                                     ヤーマン