「毎日出かけてるの?」「家にいないのでは?」とうわさされているようですが、今週はほとんど家にいて、こうしていろいろ残務処理(?)に追われております。
とか言いながら今日はよんどころなき事情で10年ぶりに母校の大学へ
そして夜は”ママ友”ではなくて”母の友人”のお宅にお呼ばれ。
実はこちらも今年フィレンツェに来られて「是非日本に戻ってきたらうちで飲みましょう~」と言われていたんです。
いやいや、イタリアを通して本当にいろいろな方とお知り合いになれて大変うれしいです。
そうそう、告知をしました31日の”イタリア病を悪化させる会”(なんてネーミングだ!!)は、おかげで現在およそ10名の患者さん(失礼!)が集まりました。
台風が近づいているとのうわさもあり、ちょっと心配ですが、どんな会になるのかなぁ・・・
今から楽しみです。
さてさて、日本に帰ったら片付けねばと思っていたネタの1つにようやく取り掛かることができました。
えへへ、実は5月のお話です。
たまたま見たイタリアのテレビ番組でここのことを知った時
「行きたい!!」と強く思ったのはもうかなり前のこと。
しかしすべての問題は”行きにくい”ということ。
ということで密かに機会を窺っていたところ、願えばかなう、ってなことでようやく行ける、いや行くことにしたのが今年の5月。
というのも最近わかったことですが、友人がここの近くに住んでいたんです。
で、今年の5月、ミラノにオペラを観に行ったとき、おうちに泊めてもらったので翌日ここまで行けたというわけ。
まぁここ、ミラノからでも行けないことはないんですけど・・・
しかし泊めてくれた友人にここに行くと話したら
「えっ、大したことなかったよ」と。一緒に行ったという彼氏も同意見。
「ロープウェイに乗ったことしか覚えてない」と。
でもね、人の意見は得てして当てにならないもの。
ここで断念する私ではありません!
自分の目で見なければ正当な(というよりも自分的)評価は出来ません!
と、どこへ行ったのかかなり引っ張っていますが・・・
そこはNovara(ノヴァラ)から電車で・・・1時間くらいだったかな?
Novaraはミラノから電車で1時間くらい。
ミラノへ通勤、通学している人も多いので、ここまでは割と電車の数も多いんです。
ただ問題はここから。
ここから2両しかない電車に乗り換えます。
そして行き着いた先(確か終点)Varallo Sesia(ヴァッラロ・セジア)で下車。
目的地はこのVarallo Sesiaなのですが、何せ電車が少ないんです。
午前中Novaraからは9:06か12:30(8時台にもう1本あるのかな?)そのあとは15時台。
そして帰りは12:34,13:58、この後は17時台になってしまうので、ミラノに帰るとしたら結構大変。
私はこの日Firenzeまで帰らないといけなかったので、遅くとも13時のに乗らねば・・・ということでそんなに時間はなかったんです。
ということでVarallo(ヴァラッロ)という小さな町へいったい何をしに来たのか?と言いますと・・・
この街を訪れる観光客のお目当てはSacro Monte(サクロ・モンテ)-聖なる山を訪れること。
このサクロ・モンテについてすご~く詳しく知りたい場合はこちらの本がおすすめ
お勧めとはいうもののこれかなり専門的。
余程興味がない限りは図書館で借りるくらいで十分かと。
それにしても日本人でこれだけ調べるの・・・大変だっただろうなぁと読みながら感心。
他の資料としても非常に興味深い本でした。
ではここで簡単にVaralloとSacro Monteとは?というお話を
”ヴァラッロはマスタッロ川とセジア川の合流点に生まれた。渓流が構成するヴァルセジア渓谷周辺には、小さな集落がたくさんある。ヴァラッロはこの周辺の中心的な街となっていた。町の背後に切り立った岩山がそびえ、その上にサクロ・モンテがある。「聖なる山」という意味で、聖地エルサレムへ出かけなくても、ここを訪れるだけで、聖地巡礼と同じ意味を持つ。北イタリアにはこうしたサクロ・モンテが12か所もある。総称して「サクリ・モンティ(複数形)」と呼ばれている。この12か所が世界遺産に認定されている。ヴァラッロはその中でも代表的な巡礼地となっている。”
(旅名人ブックス”イタリアの田舎町”より抜粋)
”聖都エルサレムは、キリスト教世界のとって特別な意味と価値をもち、初期キリスト教時代から多くの巡礼を引きつけていた。とりわけ、巡礼の最も重要な目的地となっていたのが、335年にコンスタンティヌス大帝によって、カルヴァリオ山、キリストの墓、母后ヘレナによる真の十字架の発見の場を記念して建造されたエルサレムの聖墳墓聖堂(11世紀に消失、12世紀に再建)であった。しかし、長旅自体がさまざまな困難の可能性を孕む上に、パレスティナがトルコの支配下に置かれるようになると、聖地巡礼は、ヨーロッパのキリスト教にとって容易ならざるものとなった。このため、中世を通して、ヨーロッパ各地に聖墳墓聖堂やその内部の円堂を再現した建造物が建てられ、代用巡礼の場となっていた。ヴァラッロのサクロ・モンテも、こうした中世以来の伝統に基づいている。”
(「ヴァラッロのサクロ・モンテ」三元社 抜粋)
要は中世、巡礼ブームが訪れますが、今のように簡単に旅行ができなかった。
ということで身近に代用できる施設を作っちゃいましょう~という感じですね。
まぁもちろん「そんな簡単に巡礼したことにするなんておかしい」という意見が出てきたりもするんですが・・・
で、この”聖なる山”、山登りをするだけなら私もわざわざ訪れたりしませんよ。
私はキリスト教徒じゃないし・・・
じゃあ、この山に何が有るかと言いますと、キリストの生誕から始まる物語が45の礼拝堂の中で彫像や絵画によって再現されているということ。
これすべてを回れば、巡礼地を訪れるのと同じ価値があり、罪を贖えるというわけ。
キリスト教徒ではない私の罪も贖えるかは疑問だが・・・
当然苦難の道(徒歩)で山を登った方がいいのでしょうが、何せ電車の時間も有るので、私はロープウェイでずるしました。
だからやっぱり私の罪は贖えないわけ。
いやいや友人の彼氏から聞いてはいたんだけど、このロープウェイ、すごいんですよ。
なんとこれ、ヨーロッパ一高速なんだって・・・標高716メートルの山頂まで約3分!?
って早いのか遅いのか???
友人の話、サイトの情報では人が集まらないと動かない、と有ったけど、なんと私は一人で・・・
ただでさえ高所恐怖症なのに・・・その恐ろしさと言ったらただ事ではありませんでした。
特に登り・・・よっぽど帰りは歩いて降りるかぁ・・・と思ったけど、時間の関係で再乗車。
幸い生きて生還できましたが、ロープウェイ一人乗りはこりごりです。
写真が多いのアルバムで横着させていただきました。
山の上はこんな感じで礼拝堂が配置されています。
山が造営されたのは1490年ごろで16世紀初頭までは礼拝堂の中に入ることもできたそうです。
Sacro monte a Varallo
横着してしまったので、ちゃんと伝わっているかなぁ???
感想
私はすごく感動しました。
彫像がすごくリアルだし、なんといっても”スタンプラリー”好きの私にはこたえられません。
残念なのは45番目の礼拝堂が現在は訪れることができない場所にあるということで、結局罪の贖いはできないみたいです。
街をぶらぶらしても2、3時間で十分回れます。
最後においしいジェラートを食べる時間もありました。
それにしても他に11か所有るのか・・・へへへ、いつかほかのところへも行ってやる~!!
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