『女人追憶』を3か月読み続けてきたが、
だんだん、なぜこんなに一生懸命富島健夫を読んでいるのかがわからなくなってきた。
ブログのタイトルには「富島健夫の青春小説を」としているし、
まあ『女人追憶』も青春小説だと言われればそれまでだが…。
ちょっと原点に戻る。
コバルト文庫を読もうと思ったのだが、わけあって読んだのがこれ。
『青空に虹が』
ソノラマ文庫 昭和52年7月初版
青春というのも早いくらい、恋って何?とでもいう感じの中学2年生の物語。
初出は昭和45~6年ごろらしいのだが(調査中!)、初版は昭和52年。
イラストは「ピクニック」の樹村みのり。
コバルト文庫のモー様やおおやちきといい、そうそうたる少女漫画家がイラスト描いてますね(富島氏はしらんかっただろうが)。
たぶん初出時は土居淳男さんとかだと思うけど…樹村版も軽さがあっていいかも。
(※11月14日追記 荒川さん情報によると谷俊彦さんでした)
主人公は丸顔でオッチョコチョイで近所の小学生と遊びまわってばかりの陽気な少女、鈴子。
富島ヒロインは姿も言葉も振る舞いも美しい…のが定番だけど、
こんな少女も実に愛らしく描くのだ。
「チキショーッ!」
こんなセリフもほほえましい。
「先生の小説の主人公は美人ばかり」という手紙も読者から送られていたようだが、
いやいや、そんなことはないのだな。
電車の中で思わず笑みがこぼれる。
もちろん、隣近所の葉子、転校生の愛子といった定番の美少女ヒロインもきちんと対比されており、
それぞれおしとやかだったり、芯が強かったり、例によって好感が持てる。
みんなそれぞれの魅力があるんだよ、というメッセージのごとく。
メッセージといえば、物語の冒頭、鈴子の姉 光子が、ボーイフレンドとのことで母親と言い合うのだが、
これが「あしたへの道」をほうふつとさせるような内容で、うーん。中学生向けの作品(『中二時代』らしいが)としては思い切っている。
富島作品ですから、もちろんほのかな恋物語であり、鈴子にもちゃんとロマンスの訪れがあるのだが、
まあ、鈴子の物語らしい終わり方になっている。
「あの男の子はどうしちゃったの?」という登場人物が何人かいるのがちょっともったいないかな。
もう一編、今度は中三です。
<発奮する太郎>
『心に王冠を』のユーモアバージョンといえばよいか。
しょっぱなから「富島健夫という作家は大うそつき」というように、作者が顔をのぞかせるのがおかしい。
行間を読み取るにはちょっと早いかなという個所をおもしろおかしく補っている。
恋愛と友情と…そして読み手に「何でもやってみよう。がんばってみよう」と思わせる、勇気を与える物語。
太郎の第3の目標は達せられたのかはわからないけど。
読後感がとてもいい。「富島健夫をなぜ読むか」そうだ、これだ、これなんだ。
2010年10月26日読了
だんだん、なぜこんなに一生懸命富島健夫を読んでいるのかがわからなくなってきた。
ブログのタイトルには「富島健夫の青春小説を」としているし、
まあ『女人追憶』も青春小説だと言われればそれまでだが…。
ちょっと原点に戻る。
コバルト文庫を読もうと思ったのだが、わけあって読んだのがこれ。
『青空に虹が』
ソノラマ文庫 昭和52年7月初版
青春というのも早いくらい、恋って何?とでもいう感じの中学2年生の物語。
初出は昭和45~6年ごろらしいのだが(調査中!)、初版は昭和52年。
イラストは「ピクニック」の樹村みのり。
コバルト文庫のモー様やおおやちきといい、そうそうたる少女漫画家がイラスト描いてますね(富島氏はしらんかっただろうが)。
たぶん初出時は土居淳男さんとかだと思うけど…樹村版も軽さがあっていいかも。
(※11月14日追記 荒川さん情報によると谷俊彦さんでした)
主人公は丸顔でオッチョコチョイで近所の小学生と遊びまわってばかりの陽気な少女、鈴子。
富島ヒロインは姿も言葉も振る舞いも美しい…のが定番だけど、
こんな少女も実に愛らしく描くのだ。
「チキショーッ!」
こんなセリフもほほえましい。
「先生の小説の主人公は美人ばかり」という手紙も読者から送られていたようだが、
いやいや、そんなことはないのだな。
電車の中で思わず笑みがこぼれる。
もちろん、隣近所の葉子、転校生の愛子といった定番の美少女ヒロインもきちんと対比されており、
それぞれおしとやかだったり、芯が強かったり、例によって好感が持てる。
みんなそれぞれの魅力があるんだよ、というメッセージのごとく。
メッセージといえば、物語の冒頭、鈴子の姉 光子が、ボーイフレンドとのことで母親と言い合うのだが、
これが「あしたへの道」をほうふつとさせるような内容で、うーん。中学生向けの作品(『中二時代』らしいが)としては思い切っている。
富島作品ですから、もちろんほのかな恋物語であり、鈴子にもちゃんとロマンスの訪れがあるのだが、
まあ、鈴子の物語らしい終わり方になっている。
「あの男の子はどうしちゃったの?」という登場人物が何人かいるのがちょっともったいないかな。
もう一編、今度は中三です。
<発奮する太郎>
『心に王冠を』のユーモアバージョンといえばよいか。
しょっぱなから「富島健夫という作家は大うそつき」というように、作者が顔をのぞかせるのがおかしい。
行間を読み取るにはちょっと早いかなという個所をおもしろおかしく補っている。
恋愛と友情と…そして読み手に「何でもやってみよう。がんばってみよう」と思わせる、勇気を与える物語。
太郎の第3の目標は達せられたのかはわからないけど。
読後感がとてもいい。「富島健夫をなぜ読むか」そうだ、これだ、これなんだ。
2010年10月26日読了
この気持ちわかります~!三部は例の挿話のせいで、ぐらぐらきますし、中だるみという感じですが、私としては、五部から盛り返しました。
厳しい十代を過ごしたであろう作者から、この時代の十代がヤケになることは何と贅沢で無駄に見えたことでしょうね。(自分もふくめ)
>恋愛と友情と…そして読み手に「何でもやってみよう。がんばってみよう」と思わせる、勇気を与える物語。
なぜ、富島作品を読むか、まさにそれだと思います。
われわれが官能系を読んだ時襲われるあの感じこそ、時代の要求に作者が感じたことではないかと、切なく思います。もっと早く読み、作者自身に返すべきだったと。(心配しなくても、多くの若者がレスポンスしたとは思いますが)
長文失礼しました。今、富島作品について考えるときふみさんの思いと照らし合わせられることに感謝しています。
土居さんも樹村さんもぴったりきてしまう作者ってすごい!
無駄な10代を送り、30代でとりかえそうとしています(笑)。
まったく違う挿絵でもしっくりくるのは、時代に流されない本質を書いているからでしょうね。ただ
>われわれが官能系を読んだ時襲われるあの感じこそ、時代の要求に作者が感じたことではないかと
時代がたつにつれメッセージが読み手に届かなくなってきたというのもあるのでしょうね。切ない。
でもこうして読み継がれているのだけど!
『女人』は5部から持ち直しですか!あの分厚い本をもう1冊…。
もうちょっと寄り道してから戻ります!