大空を見上げて

日頃感じていること

苦難の時の人の優しさ

2017-09-11 | Weblog

 (続)

朝鮮、現韓国のインチョン~ソウル~プサンから客車はなく貨車で移動、朝鮮人の暴動に何度も襲われ貨車は

何度も停止、何処からか皆逃げろの声、日本人家族はあわてて下車それぞれ近くの小高い山々に逃げ込んだ。

私達家族も隠れ隠れ野宿しながら何度も危機一髪を体験,命からがら何とかプサン港へ岸壁に一週間。

ここでも朝鮮行動隊は暴動が激しく米軍MPが警備してくれたので、何とか引き上げ船で日本の地に帰国できました。

しかし、敗戦国日本の本土も焼け野原、皆自分の事で生きるのに精いっぱい、引揚者に対しては邪魔者扱いでした。

人の優しさが心に残る思い出が一つあります。

今は亡き父から聞いた話ですが終戦を迎え外地から引き揚げて来た私達家族4人(父と姉二人)は、山口県防府市に

徳地町の先祖代々のお寺があり、側のお墓に亡き母、祖母、私の弟のお骨を納めました。

約20年ぶりに帰国した父はこれからどうしよう、と途方に暮れながら雨の中ある家の軒下で雨宿りをしていた。

すると其処の家の人がとても親切で、家の中に通され食事や寝床もまで用意して、これから先の事まで親切

にいろいろ相談にのってくれた。

県庁の引き上げ援護会を紹介してくれたり、私達子供を其処の家で何日も預かりお世話してくれたそうです。

お蔭様で父は一人で身軽に県庁に何回も行き、手続きも出来て、私達家族は県の援護会館の住宅に

一時的に入居する事ができました。その翌年昭和21年父の実姉が広島の府中に仕事あるからと家族移動しました。

本当に見ず知らずの私達を親切に最後まで面倒を見てくれた人の心の優しさを有難く思い出し感謝しています。
      
     

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