日々修行、日々発見

仕事etc柄、エンターテインメント全般や、スポーツ・武道の話題を中心に、柔らかく書く雑記帳です(タイトルは硬いけど)。

映画「宇宙戦争」

2005-09-10 | 映画寸評
忙しくてついつい更新ストップです。
今更ですが、「イージス」のレビューも書ききっていないし・・・

その間に

「宇宙戦争」

見ました。
(映画館の8月末までのバリューチケットが1枚余っている事に気付いて慌てて観にいったら、これくらいしか自分の中で選択肢が無かった・・・)

軽く思い返して一言。



映像的にはそれなりの迫力はあったけれども、
「スピルバーグは、何を書きたかったのだろうか」
と思うと、ピンと来ず。

一番怖いのは人間

という事なのかなと思ったりします。

ハリケーン「カトリーヌ」の報道を見る限り、現実にそれが起こっていて、もっともそこに怖さを感じるのは確かだな、と思うと、余計にそうだったのかなとおもうし、そこだけは真実を描いているような。

しかし、SF的なディテールが無く物語りは進むくせに、最後のオチは、いきなり語っているレベルが違うものを持ってきて済ませてしまうとは、いくら原作が、とは言え肩透しをくらった感ばかりが残りました。

・・・あと気持ち悪さと。

会社の人が
「スピルバーグ、頑張って作ってたけど、最後30分くらいになったら、ここまで頑張ったからもういいよね?これで勘弁してよ、という感じがすごいした…」
と言ってましたが、その言葉がよくわかりました。


という事で、
カトリーヌ被害にあった地域の、一刻も早い回復を願っています。

富士山頂で祈ったこと

2005-08-20 | Weblog
富士山登頂記より、あえて別に一筆。


山頂の浅間大社奥宮。
本格的な参拝をされている方もかなり見ましたが、
私は一礼のみして参りました。

神社仏閣に御参りすると、だいたいはまあ家族の健康とか幸せとかを心に思うのですが、そのときは

『世界中が平和でありますように』

とだけが、何故だかスッと心に浮かびました。


くしくも
8月15日 終戦記念日のほぼ正午。


特別に意識はしてなかったと思っていたけど、60周年の節目の日に、何かが私にそう祈らせたのか…振り返ればそうも思えてしまいます。


日本という国の有り様を、まさに一番高い所から俯瞰してきたこの山は、この60年の変化に、何を感じているのでしょう。
そして、登頂から下山まで、時折この一帯に響いていたのが自衛隊の演習によるものであろう爆発音だったのが、なんとなく皮肉にすら思えたのでした。

戦争を全く知らない私のような人間にその変容を推し量るべくもないけれども、少なくともその立脚点からある今の日本というものについては、あの戦争、そしてその後の60年という歳月に濃密に込められているはずの想いを受け止めているべきものであるべきなのではないか、そう思います。

富士という山はその雄大さを持って、それを全て飲み込み受け止めてきた・・・そんな日本の象徴であり、これからもそうであってほしい日本人のアイデンティティ
の象徴であるのかもしれない、そうとも思う山でした。

そんな事に富士山を通じて想いを巡らせつつ、そんな戦後を総括する1つの見方であった「亡国のイージス」の側面について、いい加減(前回から1週以上放置です・・・)レビューの最後として書こう、という程度の決意だけは私もするのでありました。。。

<富士登山>記

2005-08-18 | Weblog
中途半端な携帯からのアップ&山頂写真は添付し忘れ…
という事でまとめて書きます

登ってきました富士山。


富士山って、遠くから見ると綺麗なのに…
やっぱり火山なんだなあ、というのが一番の感想だったりしていますが、、とりあえず体験記、いろいろ感じたこと含めて記してみたいと思います。

まずは一応記録してみた足どり。

0657 新5合目出発
0716 新6合目到着
0721     出発
0811 新7合目到着
0818     出発
0900元祖7合目到着
0905     出発
0948 8合目到着
0955     出発
1030  9合目到着
1040      出発
1110 9.5合目到着
1117     出発
1150 浅間大社到着
1156     出発
1213 日本最高地点到達

1315 浅間大社前出発
1624 新5合目帰着
(くだりは途中雨にもふられたので、あんまりちゃんと記録せず)

トータル時間
のぼり 4時間53分(5時間19分)
くだり 3時間9分


旅程としては、前日に御殿場のホテルにとまり、早朝に出発しての、日帰り登山。
そのまま東京まで帰るはきっときつすぎるだろうとその晩は河口湖畔で温泉ホテルで一泊、なのでした。


▼ 富士宮ルート

初登頂なので、比較はできないけど、比較的のぼりやすいように感じた。勾配がやたらきついという程では無いか、斜めに登るようにして疲れるのを抑えたからかもしれない。

でも、遠くから見る富士山とは違い、とにかく砂礫っていうのか、火山礫というかが堆積し、所々岩場があるという殺風景な山。足場が作りにくいのが疲れる。
またそんな山なので、景観を愛でるという事が少なく、気分的にもなかなかつらめなのかもしれない。

とは言え、ときおり足を止めて見渡せば、下に雲海が見えたり、空の青さは格別だったし、やはり雄大さを感じてちょっと感動したり。

ところで、出発時は新5合目から見えていた山頂らしきものは8合目あたりだったようで、やっぱり長いには違い。着きそうに思って見上げると、まだまだあるよ~と何回思った事か。
一番詐欺なのは、新7合目と7合目の間がめちゃめちゃあいてる事…。7合目についた時は、誰しもが8合目についたと錯覚するでしょ…。

まあそうは言っても、上りはペースをきちんと作った事もあり、割と快調に。
上りよりも下りの方がきつかった。最近はよく練習でも膝が痛んだりしてるのだけれども、案の定膝はにぶく痛むし、砂地でずるっときやすいから注意しっぱなしで神経も疲れたのでした。



▼ 一番心配していた高山病はあまり体験せず。


『息を2回吐け』
(そうすると沢山吐くので、自然とちゃんと吸うから)
という登山用具売り場のおじさんの言葉を忠実に守って登っていったからかもしれません。

でも心臓の鼓動は、あきらかに早い早い。
ちょっと止まって一息入れると、結構落ち着くのが不思議。

これが高山病の症状なのか?と思ったのは、高い場所ではなく、下山して新5合目に近くなってきてから。頭が締め付けられる感が強く頭痛がし、気持ち悪くもなって軽く吐き気も。

空気が薄いというよりは、気圧差にやられたという事でしょうか。
(くだりは雨振ったくらい低気圧だったわけだし)

ともあれ、高山病で断念、という事態はかなり心配していたので、杞憂に終ってよかった。


▼ きっと効をそうしたのだろう事

もし今後登る予定の方が見られたら、の参考までに。

・休憩は1回10分以内に。
 その方が、身体がエネルギーを消費するモードから戻らないため、むしろ酸素摂取が行われるらしい(と読んだから)
・足幅はとにかく小さく。一定のペースで。
・勾配がちょっとでもきついところは出来るだけ細かく斜めに進んだ
 (足首の角度が付くのはきつい)
・腹が減ったら食べるようにしました。
 エネルギー切れでは余計に酸素不足が身体にくるだろうし。
 きつい運動前はいつもですが、アミノバイタルも当然かかせず。



▼ 結局一番やられたのは…

日焼け。

筋肉痛にもほとんどならなかった身としては、これが今でも残ってます…。
着たり脱いだり、調節は随分しましたが、暑い時間が圧倒的だったので、トレーニング用のぴっちりしたラッシュガードみたいなの1枚だkで登ってる時間が圧倒的に長かった。
ゆえに
腕と首が真っ赤。

顔だけは日焼け止めぬってましたが、ここまで脱いで登るとは思わなかったもので。まだ暑いです…。

その晩は温泉に泊まったせいもあるのか、筋肉痛はほぼなく、ともかく元気は元気であり、日焼けが一番のダメージとして残ったのでした。


▼ 誰でも一度はチャレンジ、かな

富士山は誰でも登れる山です、
といろんなところに書いてあったりして
(無論、装備とかいろいろ気を使えばの話だと思うけど)
それはまあ嘘ではないかもしれない。

でも、何の装備もなく、へたすりゃ下はスラックス?という人や(でも中国系の観光客っぽかった…)、ゴム草履の若者とか、まあいろんな人がいたけど、あれはさすがに無いよなあと思う。

案の定、雨降られたしね(まあ本格的には30分くらいと比較的短時間で済んだからまだ良いものの)。
ともあれ、気力さえあれば、すごくゆっくりでも登れるとは思うし、それだけの達成感はあり。一度は登って損はないでしょう。

今回はご来光コースじゃなかったし、残念ながら山頂についた時は下界が見える視界じゃなかったけれども、自分の身体が、確かに富士山の雄大さをたっぷりと感じた、そんな満足感はたっぷりと得た、そんな富士登山でした。



登頂!

2005-08-15 | Weblog
日本最高地点まで到着。

気持ちいい

幸い体調良く、おにぎりがうまいです。

8合目 休憩中

2005-08-15 | Weblog
予報より良い天気。
空気がつめたくなってきた。

さ、これからが本番!

今からチャレンジ

2005-08-15 | Weblog
これからこれにチャレンジです。

映画『亡国のイージス』 その2 如月行とは何者か?

2005-08-06 | Weblog
いったい、この映画の評価とはどうなのだろうか…?
と、ちらほらネットなど見たりもしますが
残念ながらあまり良くないような感じは受けてます。

というか、”ベタ褒め”みたいなのが無いのですね。

なんでか?と思うと、『わからない事が多すぎる』という点が圧倒的にベースにあるようです。

そんな点を中心に、レビュー その2を書こうかと。

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▼ 原作で描かれている事、映画で描かれなかった事

このレビュー その1 で書きましたが、原作と比較して
「思った程は、要素が欠けてないな」
というのが私の感想。

でも良く考えてみれば「このシーンはあれの事か」というのを、原作を知っている頭の中で勝手に補完しているからに過ぎない気もするわけで、内容としては原作本を
「目次だけはちゃんと残してあるけど、その項目のほとんどは、本文を入れずにすごい要約しか入れなかった」
とでも言うところだろうか。

だから、原作に含まれる要素について、取り上げられていないものは少ない、しかしながら多くの要素が、イメージカットで済まされている感じである。

そんな場面を詳しく挙げてゆくとキリが無いし、それ以外に完全に切られている要素も決して少なくは無いわけではあるけれども、そこは2時間の映画にしなきゃいけないという所でまあ仕方無い範疇かなとは思う。
(おかげで結末に今一つ感慨深いものが無かったけど)

でも、人物描写が足りなすぎるのは間違いなく魅力を減じている。
原作においては、主要な人物のエピソードがきっちり構築され、丁寧に書かれている事によって、読み手の心の中に人物をしかと作りあげているし、彼らそれぞれの行動の気持ちや意味をすごく理解させられる。
そして、それらがイージス艦の中に邂逅し、ぶつかり合うからこその人間ドラマがとても面白かったし、また作品のメッセージを成立させていたのだから、そこが足りないのは、原作の魅力を描くという意味では、致命的ではあるだろう。

映画では描かれていない、の代名詞的にすっかり槍玉に挙げられているのは、間違いなく”ジョンヒ”。
「何、あのキスは…?事故?」
みたいにしか思えないのは仕方無いし、とにかく原作知らなければ全く謎でしかないでしょう。
魅力あるキャラクターなはずなのにね…。

まあしかしそこは仕方無い、と私の中では済ませている。。。

でも、それ以上にこれだけは…を私として挙げるとすれば、やはり行の描き方ではないだろうか。


▼ 如月行とは何者か


原作のシークエンスとしては、
”いったい如月行とは何者か?”
という問いかけは、導入部で読者に引き付ける充分なミステリー要素になっていると思う。
全体の長さからすれば、かなり早い段階で解っちゃうことになるとは言え、
(まあ私が単純なだけかもしれないけれども)ついドキドキし、仙石の気持ちにさせられる。

でも、何者か?と言ってみるものの、如月行の過去はまず最初に語られているには違いなく、その意味では何者であるかわかっている。

しかしその過去を念頭においているからこそ、読者にとってはイージス艦にいる行が”いったい何に向かっている者”であるのか、もっと言えば”何に価値をもつものか”がわからない者となっている。テロリストになっていたと言われても、それはそれで飲むこめてしまうであろうから。

そのミスリードを誘う構成によって、読み手はいったい何を信ずれば良いのか、仙石と共に悩ませられる。

映画の中でも、とても充分とは言えないながらも、フラッシュバックで行の過去が
出て来るけれども、やはりイメージカットとしか言い様がない上に、シーケンスの途中途中に散発的に出て来るので、上記のような機能はとても果たしているとは言えない。
多少は、行が普通では無いのだろうなあ…と推測させる程度でしかなく、観る側がをミスリードするようなmのでは無い。

ただ、その導入のミステリーについても良しとしよう。

それでも描いて欲しかったと思う理由としては、
仙石が何故行に拘ったのか、行にしても仙石によって戸惑いながらもどう変わってゆくのか、そこがこの小説の一番大事なドラマだったと思うし、感動させられた部分、それを伝えるのに必要であったと思うから。

行という人間が背負うものを知っているからこそ、彼の”哀しさ”の訳を知るからこそ、感じ取れるカタルシスであったと思うのだが、それが映画の描かれ方だけでは、ほとんど伝わってはこないだろう。

そこだけは、今思うともっと大事にして欲しかったように思うのだ。

勿論、仙石にしても描かれ方は不充分で、こんな普通の親父(先任伍長が普通、になれるものじゃないとは思いますが・・・)であり、一般人がつい共感しちゃうような人物だからこそ、行と、そしてこの事態に対して向かい合う事への気持ちにすこく共鳴できるし、その意味ではやはり描かれ不足は勿体ない。

まあでも、そこは真田広之の演技でかもし出されていて、まだ許せる範囲だったとは思っていますが。

ともあれ、役者の存在感ってものも映画の中では大きいにせよ、もう少し”如月行”という人物だけでも、もう少し丁寧に描かれ、そしてその魅力が画面に打ち出せていれば、事実関係の理解不能度は置いておいても、このストーリーが持つ魅力がもっと理解されるようなものにはなれたのでは無いだろうか・・・と振り返り思っている。


という事で次回は舞台設定について触れようかと思いつつ、続く。。。





疲れたときには

2005-08-03 | Weblog
忙しいです。
練習も行けず。で、身体動かしてないので何か気持ち悪い。

こんな時は

「足揉み」

します。
いまや『リフレクソロジー』なんて洒落た名前で知られてますが、足揉みです、私の中では。

その昔の学生時代に某武道雑誌への連載で、足裏のここを揉んでからストレッチすると、対応したこの部分が良く伸びる、というのがあり、身体がえらく硬い私はそれを実践していました。効果の程は微妙でしたが…。

ただ絶対的に気持ちは良いし体調に影響はあるので、それ以来、たまにでも揉みたくなります。

最近は疲れ気味だし、より健康でいたいと思うようになったので、寝る前に必ず10分程は揉む習慣に。問題は、
”確実に血行が良くなる”
故に
”暑くなる”
事が、今の季節にはどうかと。

ちなみに疑問なのは、「足のツボ」を記した図が良くありますが、モノによって結構対応する場所(反射区と呼ばれますね)が違うこと。
「いったいどれを信ずれば良いのだ!?」
と思うのは私だけでは無いでしょう。誰か何を信ずれば良いか教えてください。

まあとりあえず全体揉みますけど。

という事で今日も揉んで寝ます。。。

映画『亡国のイージス』 その1

2005-08-01 | 映画寸評
当然のように、初日に鑑賞。

『亡国のイージス』
阪本順治監督作品。


最初に断っておくと、私は福井作品のファンだし、原作には強い思い入れがある。

となると、普通は映画化に対して厳しくなっちゃう所。

でも、細かいところを言い出すといろいろ思う点はあるけれども、「ローレライ」「戦国自衛隊」と2本来て、やっと3本目の今回、「福井晴俊作品」らしさを感じられた作品だったと思う。

さて、レビュー書き出すと長めになりそうなので、ローレライの時と同じく分けてみようと思うのだが、まず第1発目としては、原作との具体的比較等はおいといて、
「映画としての良いの?」
について、映画を構成する重要なファクターについてそれぞれ思った事を通じ、記してみたい。


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▼ 監督 阪本順治の表現力

3連続福井作品の中で最もこの『イージス』に期待していた理由、それは監督にあった。
そして観終えた今、阪本順治という監督によって、福井作品のキャラクターの人間性、そこにあるメッセージが、良く表現されたのではないだろうか、とほぼ期待通りに思えている。

ただ熱くなって喚き散らす、声が大きい、からと言って人にメッセージが伝わるのではなく、状況や間や、それらときっちりと合わせる事で、初めて人物の心情や伝えたい事で観る側の真に共感を持たせることができる、そんな事をしっかりと全体に通じさせていると思うのだ。

画作りも、不必要に凝ったカットや動きのある画面でなく、場面にきちっとあったショットを使っていたと思うし、間も良かったと思う。
若干流れとして早かったり遅かったりする細かな点はあったといえばあったけれども、それは要素が多くて詰め込みすぎだったからのように思うし、まあ編集の方の話か。

「どついたるねん」や「トカレフ」といった作品が好きだったので、その辺りはきっとやってくれるだろうといった期待感はあったけど、その期待どおりであった事がちょっと嬉しいのであった。



▼ 役者 福井作品を演ずる難しさ

映画全体、原作ファンとしては、とにかく良くぞ要素を詰め込んだ、と思う。
ローレライで思ったようにもっと要素がカットされているかと思いきや、かなり入っている(勿論、形を変えている部分はあるけれども)。
ただそれ故に、原作読んでない人には、わからない事も多いのでは。
その個々については別途記すとして、1つ思ったのは、
この詰め込み故に、演技者達には、語らずとも…という高度な演技を要求されたのでは無かったのだろうかという事。

「ローレライ」や「戦国」では、人物が語る言葉の含まれる福井作品らしいテーマやメッセージが、なんだか青春映画くささのする、教訓めいた陳腐な言葉にしか感じられなかった。

人間なんだから、的なただの感情まかせではなく、もっと抑圧されたりなんなり、その中でほとばしり出て来るからこそ、心揺さぶられるメッセージ、それが福井作品の言葉の強さだと思っている。本作のキャスト達は、その点をしっかりと理解した演技者だったのではないだろうかと思えた。


それと。
きっと多くの人が思っていただろう
「真田広之と仙石ってイメージ合うのか…?」
という疑問に対して、ちゃんと答えは出ていたと思う。
(勿論、頭の中にあった仙石とは違ったけどね)
それだけでなく、佐藤浩市、中井貴一、寺尾聰、この役柄のどれが入れ替わっても嘘っぽく感じてしまっただろう。皆抑えた演技の中に、でもそれぞれの人物の人間性や立場でしか吐けないものを、しっかりと浮かび上がらせていたと思う。

やはり映画において、演技者の力がどれだけ大事か、再確認させられたのである。


▼ リアリティ  「本物の自衛隊」の質量感

福井作品は、勿論、小説としてフィクションである訳だが、しかしながらリアリティを持って見えるその緻密な文章表現によって、下手すると荒唐無稽な展開や場面にも真実味を感じさせる。
その意味では、映画化前2作品は残念ながら”荒唐無稽さ”を払拭させるどころか、作り物感を余計に持たせてしまったように思っていた。
しかし本映画ではその文章表現力をしっかりと
”百聞一見にしかず”
に置き換えたように思う。
兵器マニアではないけど、その質量感は画面に確かに必要だったと感じた。
自衛隊全面協力がただの売り文句ではない、作品に不可欠なものとなっていた良い例だろう。

CGだから何でも出来る、というのはやはり嘘だな…。

(続く)

花火で一杯

2005-07-30 | Weblog
タイトル的に連続しちゃってる感じですが…

昭和記念公園の花火を鑑賞。

ここの花火はなかなか数や大きさもあって良いです。
写真は終盤の大玉の開き始め。


公園になんぞ行ったら混みすぎでたまらなさそうなので、
毎年ちょっと離れたところから鑑賞。
今日はモノレール下あたり。

低い花火は病院の建物に隠れて観れなかったりはしますし、人ごみもそれ程気にならないし、気軽に見れて良いポジションです。

夜風も適度で、ビールがまたまたおいしかった。

まさに夏ならではの楽しみの1つだなあと満足な日。
昼に待望の「亡国のイージス」も観れたし。

ちなみにそのレビューは明日。だって飲んで気持ちよいところなもので…