今日出勤前に10分も見ていないが、「朝ズバ」で自民党の山谷えり子議員が出ていた。他にも数人、出ていたがあまり印象にない。みのもんたが靖国参拝について口上をたれていた。山谷さんは靖国参拝は賛成派であるようなことは分かった。それはそれで議論して貰えばよいことだ。スルーしようと思った。 「しかし天皇は何故参拝なさらないのでしょうか?」みのもんたが尋ねた。山谷さんは答えた。
「陛下は参拝されなくても皇室を代理しての参拝には毎年参加されている」と答えた。まあ良しとしよう。
その後も同じことを聞かれた。何故本人が参拝しないのですか?
「三木総理が参拝し、国会で問題となり云々・・・」ちょっと良く分からないが、陛下の問題ではなく、社会状況で云々と答えていた。
更に追求されると、「そんなこと誰にだって分かっていることじゃないですか」だったか「そんな質問は失礼ですよ」だったかはっきり覚えてないが、コミュニケーションを打ち切る話法を用いた。
その瞬間コイズミ改革はこれだと思った。
どうしてこれはこうなるのか?と問われる。
「常識ですよ。そんなこと。答える必要もない。」
これは答えにもなっていない上に、質問した相手を見下している。更に自分のポジションを高め、問答を終結する野球のクローザーが持つ決め球的な技だ。
「そんな質問は相手に失礼ですよ」
これも同じ様な用法だ。
自分が相手のことを尊重しているように見せかけ、質問に答えない。
きっと山谷さんが、もっとスキルアップしたらきっと 自衛隊が行くところは非戦闘地域だ という論理のない日本語を使えるようになるだろう。素質はありそうだ。もっと応援しようと思う。
言葉が論理を失い、本人の主体性が無くなり、皆が脚本通りに陳述する。
それがコイズミ改革で壊された自民党の本質なのかと、ちょっと感動した。
きっとスピーチトレーニングを皆で受けているのだろうな・・・
discommunication の技は結構慣れないと使えないモノだからねえ・・・
相手との議論をシャットアウトする。
理屈ではない。詭弁でもない。言葉の意味さえ無い。
それがコイズミスタイル(文体)だ。
自衛隊が行くところが非戦闘地域だ。
これに集約される。
構造改革とは文法構造の改革だ。
これからは政治学者でなく 文法学者をコメンテーターとして朝ズバに出て欲しいね。
言語学の学位論文ともなりうると思う。
素晴らしい研究になりそうだ。
「陛下は参拝されなくても皇室を代理しての参拝には毎年参加されている」と答えた。まあ良しとしよう。
その後も同じことを聞かれた。何故本人が参拝しないのですか?
「三木総理が参拝し、国会で問題となり云々・・・」ちょっと良く分からないが、陛下の問題ではなく、社会状況で云々と答えていた。
更に追求されると、「そんなこと誰にだって分かっていることじゃないですか」だったか「そんな質問は失礼ですよ」だったかはっきり覚えてないが、コミュニケーションを打ち切る話法を用いた。
その瞬間コイズミ改革はこれだと思った。
どうしてこれはこうなるのか?と問われる。
「常識ですよ。そんなこと。答える必要もない。」
これは答えにもなっていない上に、質問した相手を見下している。更に自分のポジションを高め、問答を終結する野球のクローザーが持つ決め球的な技だ。
「そんな質問は相手に失礼ですよ」
これも同じ様な用法だ。
自分が相手のことを尊重しているように見せかけ、質問に答えない。
きっと山谷さんが、もっとスキルアップしたらきっと 自衛隊が行くところは非戦闘地域だ という論理のない日本語を使えるようになるだろう。素質はありそうだ。もっと応援しようと思う。
言葉が論理を失い、本人の主体性が無くなり、皆が脚本通りに陳述する。
それがコイズミ改革で壊された自民党の本質なのかと、ちょっと感動した。
きっとスピーチトレーニングを皆で受けているのだろうな・・・
discommunication の技は結構慣れないと使えないモノだからねえ・・・
相手との議論をシャットアウトする。
理屈ではない。詭弁でもない。言葉の意味さえ無い。
それがコイズミスタイル(文体)だ。
自衛隊が行くところが非戦闘地域だ。
これに集約される。
構造改革とは文法構造の改革だ。
これからは政治学者でなく 文法学者をコメンテーターとして朝ズバに出て欲しいね。
言語学の学位論文ともなりうると思う。
素晴らしい研究になりそうだ。
私が思うのに、山谷議員は、党の勉強会かなんかで習ったことをそのまま答えているような印象でした。「三木総理が参拝し・・・」などの部分です。(山谷氏は、上坂女史や桜井女子などに比べたら自分の言葉で無い分押しが弱いかなと思いました。)
それよりも、私が気になったのは、いつものことですが、みのもんたの議論の強引な方向づけの方でした。議論の詳細は覚えてないのですが、みの氏の質問は「天皇陛下は参拝するべきである」という方向付けでの、いつもの煽りのような質問でしたので、山谷氏の韜晦な答えよりも、前天皇や現天皇の個人的な意志を無視した議論に、気分が悪くなって、見るのをやめました。(参拝反対者の存在は完全に無視されてましたし。)「靖国史観」論者達にとっては、この天皇の意志は、うやむやにしたい、都合の悪い問題なのでしょうね。と言うか、あのふたりとも、昭和天皇のメモのニュースをちゃんと見たのか、と思います。(山谷氏は教えられた通りごまかしているのでしょうが)みのもんたは、どうしてああいう質問の仕方になるのかわかりませんでした。山谷氏の「失礼」というのは、陛下に対してかなと私はとらえました。だから、そこを議論していくと、自分たちの論理にとっては、非常に困ることになるので、しゃべりたくないのだろうと。
まあ みのもんたさんには期待してませんが、朝からテレビを見ている人たちが、どうとらえるかは憂慮すべき事ですよね。
すると,読売テレビやフジテレビやNHKは "Thought Police" になるのかな(笑)