ファミリー メンタル クリニック

児童精神医学,サッカー,時にテレビや映画、Macのネタ。
要するにひとりごと・・・

教師はいじめとケンカの区別はついているのか?

2011年02月23日 | 児童精神医学
ケンカは良くないと言われる。
まあ、そりゃケンカしないに越したことはない。
しかし、子どものウチにきちんとケンカの仕方を学んでないといけないとも思う。

ボクがいつも言っていることの一つが、教師という特殊な立場にいる人たちのことである。
ボクはあまり学校は好きじゃない。(好きな同級生は学校にいたけど(笑)
大学院にお金を払って行く気にはならなかった。
大学を卒業すれば、学校なんてもう用はない。

しかし、学校の先生は、大学を卒業したというのに、毎日、まいにち、学校へ行くのだ。
これは、もう、どうしようもないくらい学校好きな人たちが集まっている特異な場所だ。

成績が良くて、大学に進学し、特に沖縄では難関の教員採用試験に合格する人たちだ。
中には他の職種に就いて、その後再度教師になる人もいるが。
多くは教師になるために受験勉強・合格した人たちだ。

ある教師が言うには、自分が子どもの頃、好きな先生がいた。そんな教師になるのが夢だった。
でも教師になってみると、こどもたちと一緒に遊ぶ時間なんて全くとれない・・・・とこぼしていた。

一般論ではあるが、学校が好きな人が集まった職員室で、学校が嫌いな子たちの気持ちは、理解が難しい事柄かもしれない。

だいたい、ケンカをすると学校では、非常に悪いことをしたかのように注意され、説教され、子どもの人格さえ否定されかねない。
そんな風に学校でケンカをしていた子が教師になることは少ない。教師が嫌いになることはあるだろうが。

屁理屈をここで考える。

ケンカは本当に悪いことか?
そりゃ楽しいことではない。
人と人が生活していて、意見が異なることはある。
言い合いになることもあるし、殴り合いになることもある。
自分が大切であると感じたときに、引くに引けないのが人情だ。(もしかしたら、脳のプログラムかもしれない)

ケンカは基本的に仕返しをする権利が与えられているし、勝敗がはっきりしている。(引き分けも含め)
大体、1対1でケンカをする。
ケンカをするほど仲が良い・・・そんな言葉さえある。

教師に話を戻そう。

ケンカといじめの違いを把握しているだろうか?
仕返しが出来るのがケンカだとすると、仕返しの出来ない場合はいじめと考えるべきだ。
集団 対 個人
オトナでも仕返しが難しい。
いじめられている個人を助けると、その集団から迫害され、いじめられる側に回る。それが、いやでいじめ集団に参加する。(今の日本ではそれが子どもの問題でなく民主党や自民党でも起きているので困っている。彼らは、子どもの頃にケンカやいじめ問題と対峙していないのだろうか)

ケンカの場合面と向かって対決する。
壁に向かってケンカは出来ない。
しかし、いじめは相手が特定できないことさえある。
誰がどのようにいじめているのか、いじめられている側には分からないことも多い。

教師は面と向かって数人が個人を殴ったりしない限り、いじめと認識しないのかもしれない。
もしかして ボクがいじめてます! と宣言でもしない限り、本校にいじめはない! と校長は言うのだろうか。

その本人がいやがっていること(身体的な外見ではやし立てることが多い)を、
繰り返し言うことはオトナの世界ではセクハラだったりパワハラだったり、弁護士が金を稼ぐことさえ出来るポイントだ。

また、教師は、でもその子たちと一緒に遊んでますよ・・・という。
子どもは基本的に一緒に遊ぶだろう。
そうやって、集団生活をまなぶ。

いじめられているから、遊ばない方法を選択してみると、いつもひとりぼっちになってしまうのだ。(きっと、誘っても、あの子が遊ばないんだ・・・と言うだろう)

教師はいじめの構造についてもう少し敏感になるべきであろう。
13万人の不登校児童・・・・(文科省の定義で不登校・・・・ある一定期間登校してない子だろう)
その何倍が不登校予備軍だろうか。
全てがいじめの問題とは思わないが、いじめが解決できると、13万人にはならないだろう。
13万人の中には、大部分は学校に行きたいと思っているのじゃないだろうか。

最新の画像もっと見る