電脳東京雑記(仮)

大煩悩人の世迷言

京都出張(裏) 其之弐

2014-03-20 20:15:07 | 旅・仕事
近畿周遊の旅の最後は、滋賀・彦根を訪れました。



彦根には新大阪から米原方面への新快速に乗りました。電車で向かう途中、日曜という事もあり、京都行きのお客さんで一杯でした。彦根は米原の一駅前にあります。そして、彦根駅を降りると彦根藩祖・井伊直政像が迎えてくれました。





彦根城は彦根駅から徒歩15分位のところにあります。そして、入場券購入後、本丸を目指しましたが、その道はかなり急でした。



険しいのぼり道を抜け、ようやく見えた建物は天秤櫓で、敵の侵入を迎撃するために作られたものです。



この天秤櫓は一般公開されており、その中からは関ヶ原の合戦に破れた石田三成の居城がありました佐和山も見られます(佐和山城は関ヶ原の合戦後、石田三成の親族や妻がいたのですが、井伊家等に攻められ、奮戦むなしく落城したそうです)。



直政は徳川家康により佐和山城を所領として与えられたそうですが、関ヶ原の合戦後、直ぐに亡くなりました。また、直政は佐和山城を嫌い、彦根城を建築し始めたのですが、完成を見る事はできませんでした。
(直政の死後は、幼い井伊家当主を盛り立てた、家老の木俣守勝らの支えがあって、完成したそうです)



彦根城の天守は現存する12天守の1つで、その中でも姫路城を含め4城しかない国宝の天守です。更に、現存天守の内、建築当時の姿をほぼ残しているのは、この姫路城と彦根城のみです(その他、高知城等は、江戸時代に火災等で一旦は消失するものの、再建して現在に残っています)。





この彦根城の天守ですが、歴史的には非常に価値があるものですが、天守そのものは小ぶりです。しかし、外からは見えない狭間(鉄砲や弓を放つ穴)、急な階段等、篭城も考えられた、まさしく軍事拠点としての城を目の当たりにする事が出来ました。
(大阪城や名古屋城など、再現した天守は観光しやすいのですが、城本来の目的とは違う建物ですね)



天守の後は西の丸・三重櫓も見ました。こちらも、敵からの防備を兼ねた、とても厳かな建物でした。



彦根城から駅へ戻る際は彦根城名物(?)のひこにゃんは写真の被写体としてサービスしていました。



井伊家の藩主の中には、安政の大獄や桜田門外の変の当事者・井伊直弼もいます。そして、お城近くには、彼が詠んだ歌碑もありました。



彦根城観光した後は米原から新幹線で東京に。乗り換えの途中、米原駅の中で駅弁を購入しました。



これは琵琶湖で捕れた小鮎から育てた鮎の一夜干しと、同じく琵琶湖で捕れた氷魚(ひうお、鮎の稚魚)炊き込みご飯が入っていました。おかずやボリュームは、、、でしたが、お味の方は満足でした。
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