軽井沢版*エッセイスト

軽井沢に移住したイキメン鴨志田が、エッセイストに!?

『カントリージェントルマン』という生き方

2008-03-08 10:00:00 | エッセイ

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□2004年9月22日、我が家は、東京井の頭から、軽井沢追分へ、移住しました。

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□J-WAVEのナビゲーターで作家のロバート・ハリスの影響を受け、いつからか、私も『人生リスト100』なる自分の夢リストのようなものを作って、ほぼ毎朝眺めることを日課の1つとしていました。

ロバート・ハリス - Wikipedia

人生の100のリスト(ロバート・ハリス)

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□そのリストの2番目に、次のようなものがあります。

┏━≪エッセイストの 『人生リスト100』 ≫━━━━━━━━━━━┓

  『地方に居を構え、カントリー・ジェントルマンとして行動する』
                     (1998年4月17日作成)

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

★『カントリージェントルマン』とは?★

・これを「田舎紳士」と訳してはいけません。
・地方に住みながら 中央に目を光らせる 本当の紳士。
・時流に流されず 自らの考えを 身をもって実行する人のことなのです。
<白州次郎語録より>

・地方に住んでいて、中央の政治に目を光らせている。
・遠くから眺めているために、渦中にある政治家には見えないことがよくわかる。
・そして、いざ鎌倉という時は、中央に出て行って、彼らの姿勢を正す。
<白洲正子著「白洲次郎のこと」>

白洲次郎 - Wikipedia

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□今思うと、この『カントリージェントルマン』というキーワードとの出会いが、地方移住への道の第一歩になったような気がします。

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□『白洲次郎』をTVではじめて知り、その中で『カントリージェントルマン』という生き方と出会ったのが、はっきりと覚えていないものの、90年代。

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□そのTVと言うのも、とあるバラエティー番組で、しかも、家族が録画したビデオを、後日、たまたま見たという偶然の出来事でした。

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□ネットで調べてみたところ、1994年に放映された番組のようです。ちなみに、この番組の『風の男 白洲次郎伝説』は、今でも、DVDに保存してます。

たけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人100万人伝説(1994年4月1日 日本テレビ)

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□見た時は、単純に、『かっこいいな~』というレベルだったものの、その後、ビデオを何度か見て、『これだ!』と自分の中でスイッチが入ったんでしょうね。

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□特に、『白洲次郎』『カントリージェントルマン』というキーワードが、頭から離れませんでした。

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□とにかく、強いインパクトを受けて、その後、『白洲次郎』関連書籍を、求めていくことになりました。

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□とはいえ、当時、まだ『白洲次郎』は、どちらかと言えばマイナーな偉人でした。そこが、また、良かったのかもしれません。

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□ここのところ、注目され、関連書籍も増えているようですね。

白州次郎~カントリージェントルマンに最も影響を与えた男 > 軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい

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□2006年4月には、NHKの『その時 歴史が動いた』でも、取り上げられましたので、ますますメジャーな偉人になり、書店でも、白洲次郎・白洲正子コーナーを見かけるもしばしば。

マッカーサーを叱った男 ~白洲次郎・戦後復興への挑戦~ < その時歴史が動いた

白洲正子 - Wikipedia

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□でも、私が最初にGetした書籍『風の男 白洲次郎』が発売されたのが、1997年11月のようですし、元々、この本も、1990年刊私家版の再刊のようですので、少なくとも90年代は、まだ、知る人ぞ知る偉人だったのかもしれません。

風の男 白洲次郎

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□カントリージェントルマン、白洲次郎。世界の超一流品を愛し、重厚にして自由気まま。毒舌家にして友情に厚く、紳士にして野性的、窮地に落ちても決して絶望することを知らない、まさに風の男。

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□そんな風の男が、イギリスケンブリッジ大学留学から帰国後、実業界で活躍していたにもかかわらず、戦時下の1943年(昭和18年)、日本の敗戦と食糧危機を見越して、東京郊外鶴川村へ転居し、田舎暮らしへ。

旧白洲邸 武相荘 Buaiso

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□9年間のイギリス留学で身につけた『カントリージェントルマン』という生き方を、この時、いよいよ実行に移したのでしょうね。

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□『カントリージェントルマン』という生き方。

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□地方(田舎)に住んでいながら、中央の動きに目を光らせ、事が起ると「いざ鎌倉」の志を持ち、私欲を捨て出て行き、献身的に働き、御意見番となり、目途が立てば、また田舎暮らしに戻る生き方。

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□戦後のGHQの統治下で、「従順ならざる唯一の日本人」と言われる活躍をしたり、吉田茂内閣誕生時、貿易庁長官を任命され、吉田の経済政策を具体化する原動力となり、「白洲三百人力」と呼ばれたのも、まさに『カントリージェントルマン』という生き方の表れだったのだと思います。

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□そんな『カントリージェントルマン』という生き方を体現した白洲次郎に惹かれ、私も、『カントリージェントルマンへの道』と題して、軽井沢移住後も、いろいろ企んでいくつもりでいます。

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□そう言えば、白洲次郎が別荘を持っていたのも軽井沢ですし、晩年は、軽井沢ゴルフ倶楽部の常任理事として活躍されたそうですので、少しご縁を感じます。ちなみに、白洲次郎に憧れて、軽井沢への移住を決めたわけではありませんが。

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□又、戦後、日本国憲法制定に向け、裏方として、深く関わっていたという史実も、今、法律を生業として暮している私としては、ご縁を感じます。

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□『カントリージェントルマン』という生き方のみならず、『白洲次郎』のかっこよさには、やはり、惹かれます。例えば、

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□入院した病院で看護師さんに「右利きですか?左利きですか?」と尋ねられた際の、最期のことば。『右利きです。でも夜は左。』("左利き"とは"酒飲み"という意味)。

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□有名な遺言状のことば。
一、葬式無用
一、戒名不用


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