肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

入院

2011-02-09 09:53:13 | 入院
2/9(水曜日)

AM9:45 癌センターへ。

入院の手続きをして10Fの部屋へ。
母は神経質なので1人でないと眠れない。
だから個室にしてもらった。

がんセンターには大部屋と呼ぶものがあり、
そこは2人部屋だ。
そこなら入院費は食事代・治療費だけで済むが
母の気持ちを優先して有料の個室にした。
1日1万。
食費・治療費がここに加算される。
高額医療の申請をすれば治療費は9万以下になるようだ。

朝薬がなかったようで、今までにない痛そうな様子。
歩くときに左足の付け根がコキコキ言う。
病棟を案内してもらう。

個室は思っていたよりは大きく、
富士山が見える。
ベッドが硬いっと文句を言ったり
口は元気な母。

同じ病院に同じ病気で入院経験のある旦那さんを持つ
親友が入院に必要なものを教えてくれていたので
楽だった。

主治医のM先生の助手のK先生と始めて会う。
女医さんだった。

肺がんの末期で、骨への転移がPET検査で判明。
治療をしなければ2-3ヶ月の命。
早ければ1ヶ月。
放射線・抗がん剤で治療していくかどうかは月曜に話すことになった。

骨への転移・・・。
最後の希望が閉ざされた気がした。
覚悟はしていた。
だからそんなにショックは受けてないつもりだった。

母はショックだったろうな・・・。

その日は痛みから何度か兄と私に当たることがあった。

介護保険の担当者が見舞いにきてくれた。
Sさんのお母様も半年前に亡くなったそうで、
話しているうちに涙を流していた。

「痛いくらいなら死にたい」
そういう母に
「残された人のことを考えてください。
 もっと生きることを考えてください。
 そのための保険です。」
そういってくれた。

母は涙ながらに
「治療すればするほどこの子達に迷惑がかかる。
 迷惑をかけたくないんだよ」
と何度もいう。

Sさんが言うには母の保険はとても良い物で、
癌の場合、一時金は勿論、入院の際には通常5000円(日)だが
25000円下りるのだという。

だから心配せず治療に専念してくれと。
ありがたい言葉だった。

母に言いたいことはひとつ。
死んだ後の保険金より生きてくれている間
お金を気にせず治療できるだけで私は十分です。

何もしないより、してダメなら諦めもつく。
諦めるのが先なんてイヤだよ。

夜また病院へいくと
CTの結果が(今日撮った)出ていて、骨が豆腐のような
状態でちょっとしたことで折れやすくなっているので、
歩いたり無理せず、トイレにいくのも車椅子でといわれたそうだ。

うん・・・
知ってる。
骨への転移ってそういうことだよね。
そっか・・・そっか・・・・
もうそんな状態なんだね。
本当に末期なんだね。
奇跡は起きない?
起こせない?

貴方は強運の持ち主じゃない。
いつも逆境を乗り越えて
良い環境にしてきたじゃない。
まだドンデン返ししてくれそうな気がするよ。

帰り道、娘にきかれる。
「Pちゃん(母)はもう治らないの?」
たぶんね・・・
けど、Pちゃんの前では笑っていてね。
笑うと体にはとてもいいんだよ?
『「笑う門には福来る!!」だったよね!!』
と、習ったばかりの言葉を言う娘。

そうだ。
そうだよね!!
偉いな!!娘!!!
そうだよ、笑おう!

といいつつ泣いてばかりの私。
だめだな・・・。