肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

入院15日目

2011-02-24 00:37:23 | 入院
昼前に保険屋Sさんと会う。
母の診断書が病院から出たので、
一時金の請求書を一緒に渡した。

来週辺りには入ってくるそうで、
足りない時は保険金から下りますからと念押ししてくれた。

昼過ぎに病院へ。
今日は痛みがほとんどないが、昨日のように眠気が多く
頭がぼーっとしているようだ。
そのため、話をしたり相談・説明になるとわずらわしいらしい。

「痛みはある程度あっていいから
 考える力が欲しい。
 こんな風にぼーっと過ごすのはいやだ」
と言うようになった。
「抗がん剤は無理なの?」
何度も聞かれ、
『今やっても体力奪われて死が近づくだけだし
 抗がん剤で死ぬ人もいるんだよ?
 気の先生のお母さんも抗がん剤をやって死んだって
 言ってたじゃん?
 だから今は無理なの。』
そういうと、
「ノートに大きく書いておいて」
といわれ、しぶしぶ書くと
ノートを手にしてみては
「無理なんだ・・・」
そういう母。

抗がん剤が無理→死を待つのみ
そう考えるのは当然で・・・
奇跡でも起きない限りはそれは止められない。
そんなのは誰でも思うんじゃないだろうか・・・。

家族の私ですら辛いこの現実を
母はどう考えるのか、想像がつかず
胸がいたい。

今日は起きたり寝たりするとゼィゼィと
呼吸は酷くなり、口で息を必死で吸おうとする姿が多かった。

「あぁ、もう近いね。
 死が近づいているよ・・・」
と何度となく口にする。

気の先生がやっていたように胸を挟むように
胸と背中に手を当てて、念じるように

(良くなって・・・消えて・・・
 絶対まだ逝かせない
 病は気から、癌は富士山へ消えていけっ)

そんな風に気を送るしか出来ない。

気休めとしか言えないそんな私の気を受けて
母は暫くすると「楽になったよ」そういってくれる。

夕方またCさんとkさんが来てくれて、
暫し席をはずす。
夕方夕飯を4人でレストランで取り、
二人には帰ってもらった。
一緒にいると楽しそうに笑う母だが
やはり体はしんどいらしい。

さすりながら大阪のおじさんたちが来る土曜の話をする。
夕方から御殿場高原に案内しようとおもう。
イルミネーションもやってるし、
綺麗だからさ。
そういうと
「あぁ、あそこにはスケートがあるから
 やっておいで。」
とか、お金は出すんだよ?とか色々。

何で癌で逝く人がお見舞いに来る人のことを
心配したり、もてなしたりするの?アホじゃん?

『なんで貴方はそんなに人の心配ばかりするの?
 皆自己満足のために見舞いに来てるだけだよ?
 病気のときくらい、そんな心配しなくていいんじゃない?』
そういうと
「大阪のおばさんにはお父さんと一緒にいるころ
 パチンコで2万負けてね、お父さんに怒られるって
 言ったら、3万送ってくれてね、本当世話になったから。」
って。
馬鹿だなー・・・
そんなの店が順調になって余裕出来てからは
大阪に行く度高い料理ご馳走したり
おこづかいあげたりして消えてるのに・・・。
けど、やっぱりこれが母なんだよね。
そういうところはやっぱり好きだわ。

k先生が来たので、
痛みはないが一日中夢うつつで考えがまとまらなかったり
手紙すら書く気力がないので、痛み止めのせいなら
痛みが少しあってもいいから薬を減らしてくれという。

先生は痛み止めを今やめてしまえばかなりの痛みになるので、
眠剤の時間を少し早めて様子を見ましょうといってくれた。

7時には眠剤を投与。
明日は意識しっかりしてるといいね。