この前の記事が長くなってしまったので、別記事に分割しました。
この記事では、引き続き、深津絵里さんの演技に関する考察を記載します。
◆田宮が新一と対峙するシーンでは、モーフィングを使わなかった
原作では新一の気持ちをつかみきれない田村(田宮)が、新一の母親の顔になり、新一の気持ちを惹きつけようとします。
しかし、映画ではそれがありません。これは大きな改変ですが、実写映画ではプラスに作用しています。
映画では、田宮が新一に「パラサイトの弱さ」について語り掛けることで、また、市役所戦と並行して展開して対比の構造で観客に提示することで、無理なく観客を惹きつけているのです。
もし映画で、漫画やアニメと同様に新一の母親の顔に変形するモーフィングを使っていたら、もっと安っぽい映像になっていたと思います。
前編ではAが母親になりすまして、新一を油断させるシーンがありましたよね。
そのシーンを観て、「完結編では田宮が新一の母親になりすます演出が使えないな」と思いました。
Aだって母親になりすますことができるくらいだから、田宮が母親になりすましても、新一の心が動かされるはずはないですよね。
(原作ではAは母親になりすましていませんが、少なくとも映画ではそのような展開になっているので。)
モーフィングを使わず、台詞と演技力で説得力を持たせる、これはよい改変だと思いました。
◆額に銃撃されるシーンは、実写映画ならではの演出
原作の田宮の銃撃シーンは、額に穴が開いても平然とした表情の田宮が印象的でした。
実写映画では、まったく異なるアプローチがされています。
平間に銃撃される→田宮の額に穴が開く、と同時に、頭が後ろにのけぞる、眼を閉じる→銃弾など関係ないとばかりに、目を見開く(カメラはズームイン)→弾丸を吐き出す
銃撃された影響で後ろにのけぞるとは、芸が細かい。眼を閉じた後に見開く、という動作に、田宮の決意を感じます。とにかくかっこいいのです。
漫画では、ここまで細かい描写はしないですし、アニメでもこのような細かい描写は無理です。生の役者が演技することではじめて可能になる表現だと思います。
このカットでは、額に穴が開くところしか、CGは使っていません。それ以外はすべて深津さんの演技力で説得力を持たせているわけです。
さて、ここからは、深津さんの演技だけでなく、脚本や服装でいいと思ったところについて触れます。
◆田宮が触手を出すとき、涙を誘う理由
これは、脚本がうまいと思いました。
倉森が赤ん坊を人質にとり、田宮を脅すのは、原作と一緒です。
原作では、倉森と大した会話もせず、田宮は触手で殺してしまいますが、映画では、倉森と新一を前に、田宮が自身の考えを語り始めるのです。
倉森に「力ずくで奪えよ。頭ぐちゃぐちゃの化け物なってな」と言われても、まず田宮は語るのです。
田宮は自身の考えを語った後、「私の子供を返してほしい」と言います。触手で倉森を殺して奪うことはできるのに、なるべく穏便に済まそうとするのです。パラサイト三匹を瞬殺できるほど、強いのにね。
しかし、倉森は反発します。新一にも聞く耳を持ちません。
いよいよ倉森が赤ん坊を外に投げ落とそうとしたとき、田宮の触手が倉森を貫きます。
唖然とする、新一と刑事たち。
田宮の触手は赤ん坊を大事に抱き、自分の手元に戻します。このとき、田宮は顔が半分になった化け物。
化け物が触手で赤ん坊を大事に抱きかかえるという、異様な光景です。
すぐに殺すこともできるのに、すぐに殺さずに穏便に済まそうとした。しかし、それが通らなかったので、公衆の面前でありながら、自身が化け物としての正体を露わにし、赤ん坊を取り戻した。母親としての強さを感じます。
さらにその後の新一とのシーンで、「できることなら、この子と一緒に、二人で生きてみたかった」という原作にない台詞は、とりわけ涙を誘いました。
脚本が本当に素晴らしいです。
◆田宮の強さを衣装でさりげなく表現?~草野三人衆との対決~
実写映画の田宮は、ある意味、原作の田宮より強いです。パラサイト三匹を瞬殺できるわけですから。
そんなに強いキャラクターが、自分の赤ん坊を守るために命を落とす。山崎監督の言葉を借りると、イノセントなものに惹かれて命を落とす。かっこいい!と思ってしまうわけです。
田宮が草野三人衆と対決する前、マンションを出るときは薄着なんですよ。
映画の中では冬設定で、皆コートを着ています。田宮も普段はコートを着ているんです。
でも、草野三人衆と対決するときは、コートを着ずに、ブラウスとスカートで出かけています。
田宮は草野三人衆を瞬殺できる自信があった、すぐに赤ん坊のもとに戻る自信があったから、コートを着ていなかったのかも?と思いました。
赤ん坊にも「すぐに戻る」と言っていましたからね。
本当に、さりげない表現ですけど、衣装で田宮の強さを表現しているんです。
体の小さい、普通の服装をした女性が、男を含めた三人に一瞬で勝つ、こういう描写はかっこいいですよね!
※薄着で出かけた田宮に関する補足
映画のパンフレットによれば、「パラサイトは寒さを感じない」という設定があったようです。
田宮が薄着で出かけて草野三人衆を瞬殺したシーンについては、以下の二通りの考え方があると思います。
1) 上記の通り、すぐに帰ってくる自信があったから、田宮は薄着で出かけた。
2) 普段は人間のふりをすることを意識しているのでコートを着用しているが、このときは自分を暗殺しようとする草野たちに怒っていたため、「コートを着て人間のふりをする」という設定はどうでもよくなり、コートなんて着ないで出かけた。
でも、他のシーンでも、田宮を含むパラサイトたちは、けっこうコートを着ていますよね。
衣装に関するキャラクター設定にあった、「寒さを感じないので、パラサイトの衣装は季節とは微妙にずれていることがある」という設定は、実際に映画の中で使用されていたのか、謎です。
この記事では、引き続き、深津絵里さんの演技に関する考察を記載します。
◆田宮が新一と対峙するシーンでは、モーフィングを使わなかった
原作では新一の気持ちをつかみきれない田村(田宮)が、新一の母親の顔になり、新一の気持ちを惹きつけようとします。
しかし、映画ではそれがありません。これは大きな改変ですが、実写映画ではプラスに作用しています。
映画では、田宮が新一に「パラサイトの弱さ」について語り掛けることで、また、市役所戦と並行して展開して対比の構造で観客に提示することで、無理なく観客を惹きつけているのです。
もし映画で、漫画やアニメと同様に新一の母親の顔に変形するモーフィングを使っていたら、もっと安っぽい映像になっていたと思います。
前編ではAが母親になりすまして、新一を油断させるシーンがありましたよね。
そのシーンを観て、「完結編では田宮が新一の母親になりすます演出が使えないな」と思いました。
Aだって母親になりすますことができるくらいだから、田宮が母親になりすましても、新一の心が動かされるはずはないですよね。
(原作ではAは母親になりすましていませんが、少なくとも映画ではそのような展開になっているので。)
モーフィングを使わず、台詞と演技力で説得力を持たせる、これはよい改変だと思いました。
◆額に銃撃されるシーンは、実写映画ならではの演出
原作の田宮の銃撃シーンは、額に穴が開いても平然とした表情の田宮が印象的でした。
実写映画では、まったく異なるアプローチがされています。
平間に銃撃される→田宮の額に穴が開く、と同時に、頭が後ろにのけぞる、眼を閉じる→銃弾など関係ないとばかりに、目を見開く(カメラはズームイン)→弾丸を吐き出す
銃撃された影響で後ろにのけぞるとは、芸が細かい。眼を閉じた後に見開く、という動作に、田宮の決意を感じます。とにかくかっこいいのです。
漫画では、ここまで細かい描写はしないですし、アニメでもこのような細かい描写は無理です。生の役者が演技することではじめて可能になる表現だと思います。
このカットでは、額に穴が開くところしか、CGは使っていません。それ以外はすべて深津さんの演技力で説得力を持たせているわけです。
さて、ここからは、深津さんの演技だけでなく、脚本や服装でいいと思ったところについて触れます。
◆田宮が触手を出すとき、涙を誘う理由
これは、脚本がうまいと思いました。
倉森が赤ん坊を人質にとり、田宮を脅すのは、原作と一緒です。
原作では、倉森と大した会話もせず、田宮は触手で殺してしまいますが、映画では、倉森と新一を前に、田宮が自身の考えを語り始めるのです。
倉森に「力ずくで奪えよ。頭ぐちゃぐちゃの化け物なってな」と言われても、まず田宮は語るのです。
田宮は自身の考えを語った後、「私の子供を返してほしい」と言います。触手で倉森を殺して奪うことはできるのに、なるべく穏便に済まそうとするのです。パラサイト三匹を瞬殺できるほど、強いのにね。
しかし、倉森は反発します。新一にも聞く耳を持ちません。
いよいよ倉森が赤ん坊を外に投げ落とそうとしたとき、田宮の触手が倉森を貫きます。
唖然とする、新一と刑事たち。
田宮の触手は赤ん坊を大事に抱き、自分の手元に戻します。このとき、田宮は顔が半分になった化け物。
化け物が触手で赤ん坊を大事に抱きかかえるという、異様な光景です。
すぐに殺すこともできるのに、すぐに殺さずに穏便に済まそうとした。しかし、それが通らなかったので、公衆の面前でありながら、自身が化け物としての正体を露わにし、赤ん坊を取り戻した。母親としての強さを感じます。
さらにその後の新一とのシーンで、「できることなら、この子と一緒に、二人で生きてみたかった」という原作にない台詞は、とりわけ涙を誘いました。
脚本が本当に素晴らしいです。
◆田宮の強さを衣装でさりげなく表現?~草野三人衆との対決~
実写映画の田宮は、ある意味、原作の田宮より強いです。パラサイト三匹を瞬殺できるわけですから。
そんなに強いキャラクターが、自分の赤ん坊を守るために命を落とす。山崎監督の言葉を借りると、イノセントなものに惹かれて命を落とす。かっこいい!と思ってしまうわけです。
田宮が草野三人衆と対決する前、マンションを出るときは薄着なんですよ。
映画の中では冬設定で、皆コートを着ています。田宮も普段はコートを着ているんです。
でも、草野三人衆と対決するときは、コートを着ずに、ブラウスとスカートで出かけています。
田宮は草野三人衆を瞬殺できる自信があった、すぐに赤ん坊のもとに戻る自信があったから、コートを着ていなかったのかも?と思いました。
赤ん坊にも「すぐに戻る」と言っていましたからね。
本当に、さりげない表現ですけど、衣装で田宮の強さを表現しているんです。
体の小さい、普通の服装をした女性が、男を含めた三人に一瞬で勝つ、こういう描写はかっこいいですよね!
※薄着で出かけた田宮に関する補足
映画のパンフレットによれば、「パラサイトは寒さを感じない」という設定があったようです。
田宮が薄着で出かけて草野三人衆を瞬殺したシーンについては、以下の二通りの考え方があると思います。
1) 上記の通り、すぐに帰ってくる自信があったから、田宮は薄着で出かけた。
2) 普段は人間のふりをすることを意識しているのでコートを着用しているが、このときは自分を暗殺しようとする草野たちに怒っていたため、「コートを着て人間のふりをする」という設定はどうでもよくなり、コートなんて着ないで出かけた。
でも、他のシーンでも、田宮を含むパラサイトたちは、けっこうコートを着ていますよね。
衣装に関するキャラクター設定にあった、「寒さを感じないので、パラサイトの衣装は季節とは微妙にずれていることがある」という設定は、実際に映画の中で使用されていたのか、謎です。
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