テンキチのブログ「誠」

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「竹島」の真実 その二

2005年03月17日 16時06分25秒 | 歴史のこと
鬱陵島も本当は日本の領土であったというのは真実のようです。
実は我国では、もともと竹島は「松島」と呼んでいて、鬱陵島を「竹島」と呼称していたのです。
松島を竹島と呼ぶようになったのは明治に入ってからのことです。

ところで、韓国は竹島が自国領土であるとする歴史的根拠をどう主張しているのでしょう。
それは、元禄9(1696)年に鬱陵島から竹島を経由して日本に渡った朝鮮人、安竜福の供述によるとしています。
その内容は次のとおりです。
安竜福は、まず鬱陵島に渡航すると日本人が漁業をしていたので、ここは朝鮮の領土だと警告し、日本人を追い払った。
さらに日本漁民を追跡し竹島にも行き、同様に警告して追放した。
そして安竜福は、隠岐に渡って日本に対してこのことを訴え、抗議した。
その結果、日本は両島への渡航禁止を約束した。
これにより鬱陵島と竹島の領有権を日本は放棄し、朝鮮の領有権を認めたこととなる。

さて、我国の文献資料にはこのことがどう書かれているかを次に見てみましょう。
それは次のとおりです。
元禄5(1692)年から日本人漁民が鬱陵島で漁をする朝鮮人を発見するようになり、翌年二人の朝鮮人を捕らえ日本に連行した。
その捕らえられた朝鮮人のひとりが安竜福であった。
報告を受けた徳川幕府は、対朝鮮交渉を受持つ宗氏を通じて、鬱陵島と竹島両島への朝鮮人の渡航禁止を談判した。
ところが朝鮮側は譲らず膠着状態が続き解決を見なかった。
幕府は両国の友好関係の修復を優先させることにし、安竜福らを朝鮮に送還させ、元禄9(1696)年正月、鬱陵島については日本人の渡航禁止を決定した。
しかし同年6月、安竜福ら一行が再び鬱陵島を経由して不法に隠岐に渡り、鳥取までやって来た。
しかも朝鮮政府高官を詐称したので、幕府が宗氏を通じてその違法性を朝鮮政府に抗議し問いただした。
すると朝鮮政府は陳謝の意を表し、安竜福らを処罰した。

このように日本側の文献には詳細な記述があり、この資料により鬱陵島については日本側が領有権を朝鮮側に譲ったとの解釈もできなくはないものの、竹島については日本の実効支配と領有権の継続を逆に証明するものと言えよう。
なお、韓国は、その他に古文書や古地図で、新羅の時代に鬱陵島の付近に「ウ山島」「三峯島」という島が存在し、これが竹島に当るという主張もしている。
しかしながら、その記述にはそれらの島は、豊かに樹木が生い茂っていたり、大勢の人々が居住する等と記されており、実際の竹島とは余りにも異なり矛盾する為、鬱陵島の別呼称と考えられ、証明能力はない。

従って、ここまでの結論は、竹島は歴史的には日本の領土である。

次回は、国際法上の検証に移ります。

<続く>




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1 コメント

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古地図に見る竹島 (文化歴史資料館)
2006-06-16 13:37:42
此方.文化歴史資料館において.古地図において検証しています.是非一度おいで下さい

ホームベージ  http://www17.ocn.ne.jp/~bunka/

随時.古地図お展示致します

 文化歴史資料館 代表 松井 淳
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