昨年のお正月とは、随分違うお正月です。
実家から引っ越しをして、新しいマンション(賃貸ですが)で二人きり。
ほんの少しだけ寂しかったり。
まぁ。わがままって所ですね。
実のところ、昨年の5月に引っ越しをして、
しばらくの間、何にも気力が湧かなくなってしまった時期もあったり・・・。
それでも、仕事の方が以前にも増して忙しくなったものだから、
そんな事を言っている暇がないくらい、バタバタしていて、
気が付いたら、年が明けていました。
お義父さんは今、老健さんにてお世話になっています。
それが、介護が始まった時期から比べたら、本当に元気になりました。
なんと、とろみも付けずに水分が取れるようになっていて、
感情失禁もほとんど出なくなりました。
本当に、施設のみなさんのお陰です。
ここまで、お義父さんが良くなったのは。
今年のお正月は、お義兄さんの希望もあって、
自宅にて一泊して、大みそかを過ごしてもらいました。
で、お義父さんを車で送り迎えをするのは、だんな様と私の役目です。
相変わらずお義兄さんは、肝心な部分は自分から切り出しません。
で、業を煮やして、だんな様が陣頭指揮を取るんですよね。。。
逆です。
車の運転が出来ないから、引け目でもあるのかな。。?
お義母さんも、「連れて帰りたい」と言っていた希望が叶って、嬉しかったようです。
久しぶりに、全員集まってお正月を迎える事ができました。
お義母さんも、一人ぼっちでいる時間がなくなったから、
寂しくなって「お父さんを連れて帰りたい」と泣くことが無くなりました。
お義父さんは、時間になると施設に戻る準備を始めるんです。
家での生活よりも、何不自由のない施設での生活の方に慣れたようです。
安心でもあり、寂しくもあり。
お義母さんも、そのお義父さんの姿に、返って安心したようです。
私も、寂しくて泣いてばかりと言うことが無くなったお義母さんと、
子供のように、楽しそうにしているお義兄さんの様子を見ていると、
やっと肩の荷が降りた気持ちです。
お義姉さんも「えるなちゃんの苦労がやっと判った。」と。
そんな言葉をもらってから、「私が、私が、」と言うような事が無くなりました。
お義父さんの介護が始まった頃の事を思い出すと、本当に嘘のようです。
どちらかと言うと今は、そっと遠巻きに見ているような感じです。
「仕事を辞めて、お義兄さんを家で看る。」と言っていた事も、どこかに行ってしまった感じです。
あの言葉はどうしちゃったんでしょう。。と本当は言いたいけれど、
実際の所、当事者になると、それは当たり前だと思います。
在宅での介護は、本当に大変だから。。
無理の無い形で、過ごしてもらえるのが一番良いと思います。
お義父さんが倒れて、右も左も介護の事なんて全く判らなかったあの頃。
初めて、お義父さんのオムツを取り替えるのに、「ごめんね。ごめんね。」って謝りながら、
「大丈夫だよ。大丈夫だよ。」って肩を抱き抱えながら、
お義父さんに、オムツを嫁に取り替えさせる事に慣れてもらった事。
感情失禁が止まらなくて、癇癪を起し始めると、
お皿にスプーンをガンガンと付きたてながら怒っていた事。
車での送り迎え。
色々な事がありました。
介護の期間としては短い方。だけど。。私なりに、良く頑張りました。
まだまだ、通い介護は続いているけれど、大きな役目は終わりました。
今度は、サポート側。
ここに来て、きちんと自分の気持ちにピリオドを打つために、
ブログに書き留めに来ました。
2010年。
新しい年の幕開けです。
さぁ。明日から仕事です。また一年、みなさん宜しくお願いいたします。
浅草寺にて、おみくじ大吉。
今年も、良い年でありますように。
実家から引っ越しをして、新しいマンション(賃貸ですが)で二人きり。
ほんの少しだけ寂しかったり。
まぁ。わがままって所ですね。
実のところ、昨年の5月に引っ越しをして、
しばらくの間、何にも気力が湧かなくなってしまった時期もあったり・・・。
それでも、仕事の方が以前にも増して忙しくなったものだから、
そんな事を言っている暇がないくらい、バタバタしていて、
気が付いたら、年が明けていました。
お義父さんは今、老健さんにてお世話になっています。
それが、介護が始まった時期から比べたら、本当に元気になりました。
なんと、とろみも付けずに水分が取れるようになっていて、
感情失禁もほとんど出なくなりました。
本当に、施設のみなさんのお陰です。
ここまで、お義父さんが良くなったのは。
今年のお正月は、お義兄さんの希望もあって、
自宅にて一泊して、大みそかを過ごしてもらいました。
で、お義父さんを車で送り迎えをするのは、だんな様と私の役目です。
相変わらずお義兄さんは、肝心な部分は自分から切り出しません。
で、業を煮やして、だんな様が陣頭指揮を取るんですよね。。。
逆です。
車の運転が出来ないから、引け目でもあるのかな。。?
お義母さんも、「連れて帰りたい」と言っていた希望が叶って、嬉しかったようです。
久しぶりに、全員集まってお正月を迎える事ができました。
お義母さんも、一人ぼっちでいる時間がなくなったから、
寂しくなって「お父さんを連れて帰りたい」と泣くことが無くなりました。
お義父さんは、時間になると施設に戻る準備を始めるんです。
家での生活よりも、何不自由のない施設での生活の方に慣れたようです。
安心でもあり、寂しくもあり。
お義母さんも、そのお義父さんの姿に、返って安心したようです。
私も、寂しくて泣いてばかりと言うことが無くなったお義母さんと、
子供のように、楽しそうにしているお義兄さんの様子を見ていると、
やっと肩の荷が降りた気持ちです。
お義姉さんも「えるなちゃんの苦労がやっと判った。」と。
そんな言葉をもらってから、「私が、私が、」と言うような事が無くなりました。
お義父さんの介護が始まった頃の事を思い出すと、本当に嘘のようです。
どちらかと言うと今は、そっと遠巻きに見ているような感じです。
「仕事を辞めて、お義兄さんを家で看る。」と言っていた事も、どこかに行ってしまった感じです。
あの言葉はどうしちゃったんでしょう。。と本当は言いたいけれど、
実際の所、当事者になると、それは当たり前だと思います。
在宅での介護は、本当に大変だから。。
無理の無い形で、過ごしてもらえるのが一番良いと思います。
お義父さんが倒れて、右も左も介護の事なんて全く判らなかったあの頃。
初めて、お義父さんのオムツを取り替えるのに、「ごめんね。ごめんね。」って謝りながら、
「大丈夫だよ。大丈夫だよ。」って肩を抱き抱えながら、
お義父さんに、オムツを嫁に取り替えさせる事に慣れてもらった事。
感情失禁が止まらなくて、癇癪を起し始めると、
お皿にスプーンをガンガンと付きたてながら怒っていた事。
車での送り迎え。
色々な事がありました。
介護の期間としては短い方。だけど。。私なりに、良く頑張りました。
まだまだ、通い介護は続いているけれど、大きな役目は終わりました。
今度は、サポート側。
ここに来て、きちんと自分の気持ちにピリオドを打つために、
ブログに書き留めに来ました。
2010年。
新しい年の幕開けです。
さぁ。明日から仕事です。また一年、みなさん宜しくお願いいたします。
浅草寺にて、おみくじ大吉。
今年も、良い年でありますように。
お喜びになったことでしょう。
お気持ち好く判りますよ
在京の頃、死線を幾度も彷徨って
在郷の念が募って帰郷した私。
「自宅がいいがよ」と口癖だった父。
これから度々在宅が出来るように
なるといいですね。