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エンディングノート

2013-11-19 23:04:25 | えこばなし
毎日ちゃんと忙しくしているが、パソコンばっかりやっているとイライラしてくるし、思うところもありエンディングノートを作っている。

エンディングノートとはウィキペディア先生によると「自身が死亡したときや、判断力・意思疎通能力の喪失を伴う病気にかかったときに希望する内容を記す」もの。今はネットにダウンロードしておとせるのが各種取り揃っている。

葬式の手配とか、延命治療をどうするかとか、預金口座、生命保険の種類、果ては「好きな色」とかまで書くところがある。
父の葬儀の時を思い出す。父の「思い出」とか「経歴」を母が司会の人に書いて渡して、それをセンチメンタルな感じに仕立てて葬式で読んでた。多分そういうことで使うための「好きな色」なんだと思うが、だったらその辺はどうでもいいので印刷もしないでひたすら実務的なものを書きまくる。

つまり葬式とか貯金とか保険の種類とか。

貯金保険は「アソコを見れば全部わかる」とか思っていたのだが、いざ書き出してみると「そういえばコレもあった」「アレの連絡先は一体どこなんだ?」ということがぽろりぽろりと出てくる。
借金(スタジオのローン)の連絡先なんか自分で考えている時にはまるで浮かばなかったが、ちゃんとノートには項目として書いてあって、「あ、そうか。死んだら自動的にチャラってわけにもいかんのか」と気付いたりもしてる。アタリマエデショー。

銀行口座も、2年前に随分整理したつもりだったけど、書き出したらまだいっぱいあってヤになった。もうちょっと整理しよう。
クレジットカードも多すぎる。ホームセンター、家電量販店、子どものスクール、、、使っているとはいえ、多すぎるでしょ?どうにかできないかなあ。

連絡先は父が死んだ時に母が苦労してた。ひとり連絡したい人がいたが年賀状があっても電話番号が書いてなくて連絡が出来ないということがあったのだ。だからちゃんと考えた。「ブログに書け」と。葬式の手配時の慌ただしさは驚くほどだったから、そういう時に一発でだいたいの人に知らせられる手段があるのってすごいいい。行き渡らないだろうけどまあそこは「一応書きましたよ」ってことで。

葬式なんかは「死んだらそこまで」と思っているので本当にどうでもいいが、そういうこともきちんと書いておく。どうでもいいと思っているだけと、どうでもいいと書いておくことはやはり一線、違う気がする。
またもう少し運良く長生きしたらまた考えも変わるのかなあ。変わらないような気がするけど。

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こうやって書いてみるとエンディングノートは今の自分を振り返るのにすごくいい。

そうか。そういうことなのか。
死ぬことはは生きることだって本当のことだね。

だから本当は5年おきくらいに見直したらいいんだろう。ノートにもそういう風に書いてある。
遺影の写真とかも用意しておけば楽だよね。父の時には結構あっちこっち引っくり返して大騒ぎだった。

でも5年おきって結構面倒くさい。
銀行口座も整理したらまた書き直さなくちゃいかんのか?それも面倒だな。。

そうか。そういうことなのか。

はじめはイロイロなことを思って書き始めるエンディングノート。だんだん面倒くさくなっていって、最後は「あーもーいいよなんでも。もうテキトウにやっちゃってやっちゃって」という気持ちになる。
遺影だってあっちこっち引っくり返して大騒ぎってのもそのくらいは楽しいもんだしね!がんばってがんばって!?

そうかー。
きっとこういう風にならない人もいるんだろう。ちゃんと最後まで緻密に、丁寧に書き上げる人も。残された人たちが困らないよう、きちんときちんと。

しかし私は結局こうなのだ。
うんうん、もーやっちゃってー。なんでもいいよいいよー。と丸投げ。

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でも、まあ、「らしい」よね。

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