とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

「自閉症スペクトラムがあると保育園の生活はつらいね。」

2013-05-14 22:30:11 | 障害児教育

地域コーディネーターとして保育園に要請訪問に行ってきました。

昨年も行ったことがある保育園で、今日の訪問も3月のうちに予約が入っていた保育園です。

自閉症スペクトラムの子どもが年中に2名います。昨年から継続して見ていました。

保育園としても子どもに何ができるのか?という視点は持っていると思います。

朝9時半くらいに保育園に着きました。初めは子どもたちは教室に入って席についていました。

良太くんは電車の図鑑を見ていました。かなりマニアックな図鑑で、パンタグラフに興味を示していました。

絵本の電車を指さしながら電車の名前を口にするなど、私の好きなタイプのお子さんです。

もう一人の貴くんは電車をずっと持っています。Tシャツの絵はプラレールです。

「電車ちょっと見せて?」と言うと嫌がられました。「そのTシャツはプラレールだね」と語りかけてもシカトされました。

そのうち、「外に出て体操するよ」と声がかかり子どもたちは外に向かいます。

上靴から外靴に履き替えると、その場に整列です。

「女の子から行くよ」という声で、並んで運動場に並びます。

良太くんはさっと駆け出し、外の遊具がある所に入り、プラスチックの車のおもちゃを4つ持ち出して、列の後ろに向かいました。

列の後ろには水で丸い円が描いてあります。どうやら良太くんは、この中にいることは許されているみたいです。

でも、すぐに飛び出してジャングルジムの一番上に上がり、街を眺めたり、友だちを俯瞰したりしています。

この日は年少のクラスが出てくるのがとても遅くて、年長、年中クラスはずいぶん待たされました。

この間も何度も担当の保育士が降りるように促しますが、聞く耳を持ちません。

全員揃ったところで、お寺さん特有の誓いのことばを読み上げます。

毎日やっているので、子どもたちもよく覚えていてそらで復唱します。

続いて園の歌を歌って、やっと朝の体操です。

良太くんは、一連の活動を見切っているようです。

朝の挨拶、誓いの言葉はスルーして、歌になってやっと動きを見せました。

ジャングルジムを一段だけ降りました。

そこへ担当の保育士が降りるように言ったので、また一番上に上がってしまいました。

体操の音楽が流れ始めると、促されると降りてきました。

さっと自分の隊列の後ろに加わり、体を動かし始めました。
やっぱり見切っていました。

自分がやるべき行動、苦手な行動をちゃんと理解していてその場だけ参加します。

体操が終わると整然と行進しながら教室に向かいます。

良太くんはまたジャングルジムの上に上がります。

担任の保育士がクラスのみんなに向かって「今日は何をするんだった?」と声をかけます。「シャボン玉!」

でも、すぐには始まりません。一度教室に帰ります。トイレに行って、うがいをして席に着きます。

今から朝の会が始まります。歌を歌って、紙芝居を読んでやっと外に出てしゃぼん玉に入ることができます。

良太くんは、ジャングルジムの上にいて出遅れたこともあるし、朝の会には入れませんでした。

「トーマスで遊んでいいですか?」と棚にあるボックスを指さします。

どうやら良太くん専用のボックスのようです。朝の会の間ずっとコーナーで過ごしていました。

複雑な朝の生活のシステムです。

自閉症スペクトラムの良太くんにはちょっと酷な状況だと思います。

でも、朝の体操はこの保育園がずっと目玉としてやっている活動で、宗教的な流れでもあります。なかなか変えてほしいとは言えません。

午後から園長と、担任と1時間くらい協議を行いました。

この協議で言えることと、言えないことを使い分けながら話をしなくてはいけないのでここが矛盾です。

自分に対してだめ出しをしながらの地域Coの取り組み報告です。

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居場所があるということ(ある子の変化の秘密)

2012-10-16 00:03:59 | 障害児教育

特別支援教育コーディネーターをしてあちこちの学校や幼稚園、保育園を廻っていると辛いことだらけです。

時には自分が押しつぶれそうになることもあります。

でも、とても嬉しいことにも出会うことがあります。

Pくんの事例はそういう事例の1つになりました。

Pくんは、小学校4年生です。通常学級に在籍しています。Pくんの様子を見てほしいという依頼を受けて小学校に出かけました。

学校から見せてもらった資料には、難しい状況がたくさん書かれてありました。

2年2学期…授業妨害、他害行為があり、校長、教頭、教務 空き時間教師がクラスに入り、見守る。

2年3学期…友達を暴力で傷つけたことにより、本人と母親を呼び、校長室にて指導。

3年6月…Sが無記名のまま出した宿題プリントを宿題係がPに名前を書かせた。S母からP母へ電話で苦情

3年1学期…他とのトラブルがある時は、学校から母へ電話連絡。学校での様子も親に見てもらう。

3年2学期…他とのトラブルが増える。被害妄想が強く、けんかの際の対応も難しい。→荒れがひどいときには、教頭、教務で対応

3年10月…暴力やもの隠し、持ち物壊しがひどくなり、被害を受けた親が直接Pくんの家に電話で苦情を訴えるケースが増える。

→「障害があるから少しは我慢してほしい」とか逆ギレされることもあり、周囲の保護者は怒りが増す。

→「子どもが学校に行きたくないと言っている」目に見える形で対処してほしいとの要望あり。

P母は、直接教育委員会に電話にて要望→市教委とも相談し、生活指導員がクラスに入るようになる。

3年3学期…反抗的態度、他害行為がひどくなる。→母親に連絡すると、学校を休ませるようになる。

3年3月…臨床心理士と面談するようになる。

4年 他害行為、授業妨害、盗癖、自殺しようとするふり。5月2日までの授業参加状況は芳しくない。

資料を読むだけで、本人が一番苦しいと思っているのではないかと思いました。

この日は2時間目の授業から授業参観することにしました。

Pくんが在籍しているこのクラスは授業が始まっても私語が多く、集中せず、あいさつをかけても落ち着きがない状態でした。

社会の勉強をしていて、みんな地図を出していました。

地図の導入もあって、「○○はどこにある?」というような問いかけを教師がしてして、子どもたちは地図で探していました。

Pくんはと言うと一番前の机のさらに前の給食を配膳するときに使う大きめの机で迷路を作っていました。

図工の時に作ったものを改造していました。

教師の問いかけで「一度は行きたいパリはどこ?」という問いかけに対して、「東京スカイツリー」と口だけで反応していました。

それでも、地図帳が終わった頃には自席に戻っていました。

「事故のしらせはどのように伝わるでしょう?」の問いかけに対して、事故で反応して「先生!」と聞いて「もしも自転車にのっていて事故にあったらお金を請求できる?」

次に自分が目撃した事故の話をずっと始めます。それでも、担任は辛抱強く関わっていました。

2時間目と3時間目の間には業間休みとして少し長い時間の休みがあります。

3時間目のチャイムが鳴ってもPくんは帰ってきません。

担任は気にせず理科の授業を展開しています。支援員が危険がない程度に付いているからだと思います。

やっと帰ってくると、中間休みで虫を捕ってきたらしく、ビニール袋のふたをしています。

蜘蛛をとってきて、蟻のケースに入れて観察をしています。

友だちがすでに理科教材(太陽電池の車)をやっていることを理解していますが、全く興味のない風を装っています。

やっと教材を手に取って自分勝手に外で実験をし始めます。教室の窓の外が小さなポーチになっていて、そこで太陽を捕まえようとしています。

でも、簡単に太陽電池は充電できるはずもなく、うまくいかなかったら、再び蟻に向かういます。

友だちの前川くんが砂糖を持ってきていることを知っているので「前川!砂糖!」と強く言いいます。前川くんはすぐに従います。

Pくんが無表情で命令するから従わざるを得なくなるのかもしれません。

「蟻を見つけた」で大騒ぎになります。「前川お前ん家に大きい虫かごある?」と聞きます。

前川くんも「父さんに聞いたら買ってもらえるかもしれない」力関係がはっきりしています。まるでジャイアンです。

教室では回路図の説明が展開しています。その間もPくんは廊下で蓋で遊んでいます。

教室に戻ったPくんは、友だちにハンカチを貸せと要求します。「蟻が死んでいた蓋をハンカチでふいたよ」と言ってそのハンカチを友だちに返します。

そのうち、ほうきを持ち出して教室を掃き始めます。どうやら蟻を集める作戦に出るようです。

でも、教室には蟻を飼育している子が別にいて、その子と蟻の奪い合いが始まります。

そのうち、ほうきで友だちを攻撃してしまいます。友だちの「やめろ!」という言い方で切れてしまいます。

さすがに教師が止めに入ります。止めた教師に対してさらに攻撃を展開します。

その場は何とか折り合いはつけますが、教師の持ち物を教室の外に投げ始めます。教科書、ギターのストラップなどです。

教師に対しても「関係ない」と主張します。そのうち教室から飛び出します。

探しに行くと図書室でクールダウンしています。見えないように観ていたのですが、めざとく見つけて「関係ない!こっちくるな!」と攻撃してきます。さらにドアに鍵をかけてしまいました。

協議の中では、別室で個別の支援の時間が必要なのではないか?事件が起きてからのクールダウンではなく、毎日1時間程度が望ましいのではないかと提案しました。

①別室に行って納得するかどうか。

②具体的に誰が指導するか。

③彼が心許せる人がいるか。

できそうにないと思ったら違う方向に行く。あの子に対する接し方。アプローチの仕方がわからない。などの意見が出されました。

他の機関からの情報によると、「2歳から3歳の頃 お尻がつかなかった。落ち着きのない子 迷路はできた。パズルはできた。」だそうです。

就学の段階では情緒学級の判定医だったのですが、親の意思で通常学級に入ったそうです。

後日、関係者が集まってケース会議を持ちました。そこでの私の立場は前回と同様です。

会議の出席者の中には児童相談所の支援を受けて、親と話して別の機関で一定期間生活訓練が必要なのではないかという意見も出されていました。

今回、またその学校を訪問する機会がありました。

数ヶ月を経て今回訪問して、驚きました。見事に着席して学習に参加しているPくんの姿を見つけました。

国語の順番読みも友だちの読むのを聞いていて、自分の番になったらちゃんと読んで着席していました。ただ、板書をノートに書くことはしませんでした。

目が合ったので「ノートは取らないの?」と聞くと「いやなことを言われた」と言わんばかりに机につっぷすなどのリアクションを見せました。

以前だったら敵意に満ちた目を向けて「関係ない!あっち行け!」と言ってくるに違いありません。

友だちがノートを取っている間、教科書を見ていたのですが、だんだん手持ち無沙汰になったようで、手を目の前にかざしたり、手を組んでみたりしてやり過ごしていました。

こんな折り合いの付け方ができるなんて素晴らしい変化です。

後の協議の中で校長は「何が彼を変えたのかよくわからない」と言われていましたが、第一は居場所の確保だと思います。

一日1時間は個別の時間を保障してもらっていたようです。教室でも怒られることなく、自分で参加できる活動をしている。

それを認めてもらえている。ノートを取らなくても責めてくる友だちもいない。

そういう中で安心して過ごせる環境になっているのだと思います。

「いてもいい自分」をしっかり感じているのではないかと思います。

その中で、無理しなくてもよくなっているのかもしれません。

私は担任の労をしっかりねぎらいながらたっぷり評価してきました。

こういう事例を見るととってもうれしくなってきます。

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みんなつらいんだよな~

2012-09-23 16:51:13 | 障害児教育

ある幼稚園に出向いた時のことです。

何度も行っている幼稚園なのでいつものように園長室で最近の幼稚園の様子について話を聞いていました。

年少クラスの担任が相談があるというので、さっそく話を聞くことにしました。

担任している男の子のことです。

なかなかクラスの活動に乗ってくれない、園で決められた服に着替えることができない、登園しぶりが見られるなどでした。

保護者の協力もなかなか得られなくて、もうすぐ運動会があるのに一人だけ体操服を着ていないのはどうかとも意見が出ました。

私は、幼稚園の服を着ないというのはそれだけの問題ではなく、その子の意識の問題や、不安感からくるものもあるので

無理をしない、楽しい雰囲気作りに努めるということを基本としました。

保護者の問題は、ゆっくり話をしていこうとしました。

もう少し具体的な話もし、その場を終えました。

教室に入り、歌も入れた朝の会の後は、英語教室です。

どこの幼稚園も英語教室や体育教室はつきものです。

ここの評価は別の機会に譲りますが、保護者を意識すると実施せざるを得ないのかもしれません。

英語教室が終わり、給食の時間まで外遊びになりました。

子どもたちの様子を観察しながら、先の担任と少し話をしました。

「楽しい教室とはどういうものか、子どもたちと気持ちを通じていくとはどういうものか

そして、昨年までいたベテランの教師が退職して、相談してきた先生が本採用では一番年長になっていること。

他の若い先生たちとの関係や、周囲の目が気になることなど、誰にでもあるよ。気にしないでいいよ。

みんな超えてきた道だから…あなたにはやさしいトーンという武器があるんだから、後はメリハリだよ。

わかりやすい言い方と、伝えたいことばのリズムです。時には数字を使って伝えることもあるよ」と話しました。

するとその先生の目から涙がぽろぽろこぼれてきました。

「いい教育をしたい」という思いは人一倍もっているのです。

それでもなかなかうまくいかない。もんもんとしている所に、アドバイスが入る。

わかっていたつもりでも、できていなかったり、忘れていたことを指摘されると、悔しいのではなく自分の未熟さに涙が出るのだと思います。

私も若い頃、研究会にレポートを持ち込んで、共同研究者から指摘されると泣かないまでもそんな思いになったものです。

でも、この先生の涙は本物だと思います。成長への糧となる涙だと思います。

「頑張れ!」という思いと、真剣に障害児教育に向き合う教師の姿に自分の仕事についての励ましをもらったような気がしました。

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実践は響き合い

2012-09-21 10:40:08 | 障害児教育

私の勤めている特別支援学校で小学部の“体験入学”がありました。

“体験入学”というのは、来年入学を検討している幼稚園や保育園の年長児さんや、

小学校にいて転入を考えている児童が1日だけ授業に交流するという行事です。

私は地域コーディネーターをしている関係から、体験入学には全面的に協力をしなくてはいけません。

だから、朝からずっとこの行事に備えていました。

開会行事を終えてからは、一人の子どもについてクラスの授業に1時間関わることになります。

今日、私が入るグループの先生たちとはそれほど親しくないこともあり、あまり気が進んでいませんでした。

今回は、“光遊び”ということでスヌーズレン的な教具を用いた授業に参加しました。

このグループの授業に直接参加したことはなく、初めての参加です。

私以上にグループの先生たちは適度な緊張があったかもしれません。

それでも、子どもを抱っこして授業に参加していくと何かほんわかしたムードになってきます。

一緒にやっている先生たちとの一体感のようなものがあります。

こんな感覚は久しぶりに感じました。

いつもいろんな学校や幼稚園、保育園に行って実践を見せてもらっているのですが、

そこの先生たちと仲良しになってもこういった一体感は感じられません。

コーディネーターで参加している時は、どこか醒めた目で観察しているんだと思います。

何かを見つけて、そのことを通してアドバイスして“なんぼのもの”です。

一緒になって楽しんでいたのでは、仕方ありません。

今日の体験入学の授業は、授業に対してのアドバイスは必要ありません。

どちらかと言えば、授業をまず肯定してから、この授業がどうして子どもたちにあっているかを保護者に解説する立場です。

同じ授業者として仲間意識の中で授業をするというのはいいものです。

来年はどこかのクラスに属して、授業できたらどれだけ楽しいものかと思いました。

もちろん、コーディネーターとしていろんな教育機関を歩くのは、やりがいはあり、否定するものではありません。

でも、今日のような、同僚と響き合うような実践の楽しさをどこかに忘れていたように思います。

「だから何だ?」ということでもない愚痴のようなつぶやきです。

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場面緘黙(苦しさの共感)

2012-09-07 22:24:52 | 障害児教育

今年の夏休みは「場面緘黙」について重点的に研修をしました。

仕事でも、そういう子どもたちの相談の件数が増えています。

自分では直接担任したことはなかったのですが、少しでも理解したいと思い、、いろんな本を読んできました。

知識や理解に関する本だけでなく、かつて場面緘黙だった人たちが学校時代にどれだけ苦しかったのか、

社会に出てもどれだけ苦しいのかといった本も読みました。

場面緘黙というと自分の意思で話す場面を選んでいるように思われがちですが、そんなことは全くないのです。

家では話せるのに社会的場面では話すことができない状態だったり、ましてやわざと「話さない」のではないのです。

本当に不安や緊張のために「話せない」のです。

時には、声だけでなく「緘動」といった動けない場合もあるようです。

頻度は200人に1人の割合で女子に多いということで、社会にはたくさん存在しているということになります。

「不安」のために話せないのです。つまり、身体が、緘黙の症状によって「不安」から子どもを守っていると言っても良いのです。

「緘黙」という、不安への対処法が、習慣となり固定されがちになるために学校や園で話せない状態が続いてしまいます。

緘動(ぎこちない硬直した動き。動作がゆっくり)が伴うと、反応がない・反応がゆっくり…無表情。

答えを返すのに時間がかかる。指示がないと動けない。自分で決められない…などの状態像が見られます。

学校でトイレにも行けない、給食も食べられないなどの行動も見られます。

分離不安もとても強くなり、特に母親と離れにくいなどの特徴が見られます。

学校で話せなくても家では話せたり、家では仕切り屋だったり、頑固で怒りっぽいこともあります。

そのために対応がまちまちになり、

「学校でおとなしいだけで、放っておいてもそのうちしゃべれるようになりますよ。家では元気なんでしょう」

「大丈夫です。お母さんの心配しすぎですよ」「話さないだけで、学校では全く問題ないです」

「家庭の愛情不足なのでは?」「家庭で甘やかしすぎ、過保護なのでは?」

「しつけがなっていない」「わがままだけ」

「表情豊かだから、場面緘黙ではないのでは?」「困っているのはお母さんで、子どもは困っていないのでは?」

「不安を感じているようには見えないですけれど……」「緘黙児は不登校にならない」

などの学校側(担任サイド)からの対応で、ますます対応が遅れてしまうことがあります。

先日、教育相談で6年生の男の子が母親と一緒に来校されました。

中心は小学校を出てからの進路の問題でしたが、支援学校も視野に入れたいので見学したいとのことでした。

特別支援学校は、学校教育法のからみから5障害(知的障害、肢体不自由、聴覚障害、視覚障害、病弱)に適応していないと入学できません。

場面緘黙や情緒の障害はこの5障害に含まれません。

小学校や中学校には6番目の障害?の自閉症・情緒学級が存在します。75条学級と呼びます。

その子たちの進路を今とても苦慮しています。その問題を言い出すと長くなるので後日に譲ります。

来校された男の子場合は、小学校の情緒学級に在籍しているけど、小学校時代3年生の時に少し話しただけで後は一度も口を開いていないそうです。

この日も、相談室で3人で話している時はしゃべらないまでも落ち着いて過ごしていたのですが、

学校の教室を案内し始めると態度がかなり硬くなってきました。

廊下で「おはよう!」と声をかけられるだけで、動けなくなってしまいます。

授業見学のために教室のドアを開けると、みんなの目が痛いらしく、肩を内側に入れてフリーズ状態です。

移動に際しても、母親がいつも手をつないでいます。手をつながないと動けません。

スヌーズレンの部屋で少し落ち着いたのでボールプールに母親と入ったらどうか?と勧めてみました。

少しその気になって縁まであがりかけたのですが、途中で止まってしまい、中まで入ることはできませんでした。

本人は何とかしたいと思っていることは痛いほど伝わってきます。

支援学校に見学に来たことも大変な勇気がいることだったと思います。

そんな思いまでしてきたのに、思うように動けない。そんな本人のもどかしさや辛さが本当にびしびしと伝わってきます。

6年生にもなると母親と手をつなぐことなどいやがります。でも、手をつながないと移動できないのです。

本人の気持ちも、母親の気持ちも痛いほど分かります。

中学校に入学して、何百人の中にあって、情緒学級という小さなオアシスで過ごすのか、

支援学校のような人数が少ない環境で、しかもとても静かな環境で過ごすのとどちらがいいのかは考えてみたいと思います。

「お世話になりました」と学校の玄関から手をつないで去って行く親子の後ろ姿を見ていると何の感情かわかりませんが、胸が締め付けられ思いがしました。

特別支援教育コーディネーターなんて何にもできない仕事だとつくづく痛感しました。

いつまでするんだろう?この仕事……

 

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こだわりは近づける第一歩

2012-01-19 22:33:15 | 障害児教育

悠人くんは保育園年中の男の子です。

病院に併設されていた通園施設に早くから通園していて、昨年4月から現在の保育園に今年から通園しています。

病院では広汎性発達障害と診断されています。

 朝の自由遊びから観察させてもらいました。用意された白い紙に鉛筆で電車の絵を描いています。

窓やドア上部にはパンタグラフまで描いてある細かい絵でした。何枚も何枚も同じ絵を描いています。

そばに行って電車が好きなのか、聞きました。

周囲の友だちも悠人くんはいつも電車の絵を描いていると報告されるくらいです。

「車輪は?」と聞くと車輪を加えます。

「新幹線は好きですか?何系が好きですか?」「他にどんな電車を知ってる?」と確認していきました。

電車博士の認定には十分でした。

 朝の会が始まります。歌遊びを楽しむ友だちの後ろで、指を吸ったり、鼻をほじったりしています。

先生の髪を触って口にもっていくなど不安定になっていることを思わせる行動が続きます。

でも、けなげに立ち尽くしています。

担任の保育士からことばだけで今から行うコマの製作についての説明がありました。

説明がだんだん長くなると、担当の先生の髪に突進して乱暴に触って口にもっていきます。

やっと製作活動に入りましたが、紙皿で作るコマはすぐにできてしまいました。

他の子どもたちは、次のコマを作るなどそれなりに時間を過ごしていましたが、

悠人くんはやることがなくなってしまい、また担任の先生の髪に突進して行きました。

その様子をしばらく見ていましたが、こじれそうだったので「悠人くん、電車のコマをつくろうよ」と話しかけました。

電車は自由遊びの時だけしか描いたらいけないと思っているらしくその気になってくれません。

紙皿を手にして「H駅に停まる電車を描こうか?次はK駅で…」と10いくつの駅を言ってみました。

やっとその気になって絵を描き始めました。周囲に車輪を描いて中央に電車をドーンと一台描きました。

「電車の色は何色?」と聞くといろんな電車の色を知っていました。

完成したところで、コマですから中央に穴をあけなくてはいけません。

そのことを告げると最初は渋っていましたが、意を決して穴を開けに行きました。

保育士さんに手伝ってもらって、ひごを通して完成すると、数回喜びのジャンプが出ました。

でも。コマを回すことはしません。「回してもいい?」と尋ねながら回してみることにしました。

勢いよく廻ると電車の絵が一旦消えて、回転が弱くなると電車の絵が見え始めることがうれしくなったようでじっと見ていました。

その後、何度もコマを回していました。

担当の保育士とその後話をしてみると「電車ばかり固執しても困ると思って電車のことはまり触れないでいました」と答えていました。

悠人くんは、帰ろうとした私の所まで走ってきて「江ノ電明日来ます」と伝えに来ました。

絵を描きながら私とした会話で江ノ電に乗ったことがあることと、写真を撮っているのでほしかったら持ってきてあげることをちゃんと記憶していて、

明日江ノ電の写真を持ってもう一度来園することを伝えに来たのです。

大好きなことを一緒にしたこと、大好きなことをしてうまくできたこと、友だちや先生から評価されたこと、そのことを一緒に実現できたおじさん。

この人はいい人に違いないと思ったのかもしれません。

次の日江ノ電や違う電車の写真をプリントアウトして持って行きました。

悠人くんは喜んでくれました。

でも担当の先生もインターネットの画像から電車をたくさんプリントアウトしてくれていました。

とってもうれしいできごとでした。

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月曜日の音楽…

2011-01-31 22:37:10 | 障害児教育

特別支援学校に勤めながら、週のほとんどを地域の学校や幼稚園・保育園の支援に歩いていると自分の学校の居場所がなくなるような気がします。

月曜日は、唯一授業でチーフをさせてもらう音楽の授業があります。

しかし、土曜日・日曜日を過ぎて最初の日です。

ちょっと憂うつになることもあります。

それでも気持ちを振り絞って授業に臨みます。

授業に参加してくれる子どもは小1の女の子が3人、そのうち二人は車いす移動で手も自由には動かせません。

他に小3の女の子が1名、小5の女の子が1名この2人は歩けるけど、病弱で心臓疾患を持っています。

5年生と6年生の男の子が1名ずつ、この二人は会話はできるけど、体は自由に動かせない子どもたちです。

合計7人の子どもと一緒に音楽をしています。

授業の流れは歌唱、手や体を使ったリズム遊び、器楽(打楽器が中心)を曲を変えながら組み合わせています。

楽器はほとんどをギターとバンジョーでやっています。

ピアノ伴奏を手伝ってもらうこともあります。

1月31の授業は

①オープニング『青い空に絵をかこう』

②『北風小僧の寒太郎』(マイクを使って1番ずつ声を出したり、歌を歌ったりしました)

③『たんぽぽ』(子どもたちはマイクを使って、先生たちは2部合唱で歌います)

④『風に向かって』(オリジナルソングです。車いすを後ろから押してもらって教室を動きます)

⑤『大型洗濯機』(オリジナルソングです。子どもたちをくすぐる遊びで、大人気の遊びです)

⑥『おしくらまんじゅう』(オリジナルです。車いすから降ろして、マットに支え座りをしてみんなで背中を押し合います)

⑦『タンブリン』(オリジナルです。四拍子のリズムをタンブリンで叩きながら、みんなで合わせます)

⑧エンディング『世界中のこどもたちが』

だいたいこういう流れで行っています。

子どもたちの喜ぶ笑顔だけが救いの授業です。

それでも、悩みながら授業をしている今日この頃です。

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お弁当作り

2010-02-22 23:23:30 | 障害児教育
私の勤めている学校は特別支援学校です。
子どもたちは普段は給食を食べています。
私は家から毎日弁当を持ってきています。
給食のシステムが、子どものぶんは用意できるけど、大人のぶんまでは用意できないのです。
子どもたちといつも一緒に食べていますが、子どもたちは弁当がとても刺激的に見えるらしいのです。
そこで、総合学習の一環でお弁当作りに挑戦することにしました。
弁当に何を入れたいか質問すると、出てくるものは私が日頃弁当に入れているおかずばかりです。

卵焼き、ハンバーグ、ポテトサラダ、ウィンナー、おひたし、ブロッコリーなどです。
2時間目から作って、弁当箱につめてお昼に食べる計画を立てました。
ハンバーグはこの間からマイブームになっている煮込みレンコンハンバーグにしました。

1れんこん、たまねぎをあらみじんにする。
2ミンチ(300グラム程度)にあらかじめ塩コショーをする。
3卵1コ、小麦粉(大さじ2)を入れ、粗めに練る。


5デミグラスソースの缶詰と、ブイヨンのスープを合わせて温める。
6人参、じゃがいもをゆでる。

7成形したハンバーグを両面こげめがつく程度に焼く。
8ワインを少々振りかけて濃くを出す。

9デミグラスソースと、ゆで野菜を一緒にして、ぐつぐつ煮込む。

それだけで、歯ごたえたっぷりのハンバーグとつけ野菜ができあがります。

おひたしは、ほうれん草とめんつゆとすりごま、かつぶしの3点セットです。

子どもたちは本当に一所懸命やって見事なお弁当が完成しました。

おむすびは、昔伊東家でやっていたミートボールマシーンを使っています。

ちなみに卵焼きは卵2コに砂糖小さじ1だし醤油少々を使用しています。

できあがったお弁当は、商売できるくらいのできでした。
味にも子どもたちも大満足でした。

 

 

 

     
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あこがれと現実

2010-01-21 22:12:29 | 障害児教育
障害児学校に勤務していると、いろんなことに出会います。
それは、子どもたちの思いだったり、自分の悩みだったりいろんなことです。

Pくんのことです。
Pくんは1年生です。
脳性まひで車いすに乗っています。
ことばははっきりしていて、いろんな難しいことばも知っています。
おとなの会話にもどんどん入ってくるような子どもです。
Pくんのクラスには他に4名の同級生がいます。
そのうち3名はペルテス病による車いすの友だちです。
この子たちは一過性の病気で現在隣の病院に入院して治療をしながら、
通学しています。
股関節の病気なので両足を固定しているだけで、手は自由です。

子どもたちはいろんな遊びをやりたがります。
特にスポーツ系の遊びを求めています。
野球もそのうちの一つです。

車いすに乗りながらプラスチックのバットを使って野球をします。
体育館のステージをホームランにして、ゲームをしています。
そのままでは打てないので、ワンバウンドのボールを打つようにしています。
何度か練習していると、本当によく打つようになってきます。

それを見ていたPくんもどうしても仲間に入りたいということになります。
Pくんは足だけでなく、手もなかなか自由が効かないので
特別ルールになります。
固定したボールにバットを当てて転がった距離で、ヒットやホームランにしました。
2,3回はそれで良かったのですが、
Pくんの日記には、みんなと一緒に大きなホームランが打ちたいと書いてありました。

Pくんに本当のホームランを打たせてあげたいけど、なかなかそれは難しい。

Pくんは家で任天堂のWiiでスポーツ系のゲームをしているそうです。
Wiiを使うとテニスもできるみたいで、
Pくんは「僕はテニスが得意なのだ」と本当に思っているようです。
現実的にうまくいかないのは、教師の私の設定の問題だと思っているところがあります。

何とかしてあげたいのだけど、なかなか難しい。
生活年齢が上がれば、自分の障害と向き合うこともあると思うけど、
今の年齢でその現実を突きつけたくない。

ペルテス病の2名の男の子たちは、今はバドミントンをしています。
本当のラケットとシャトルを使って打ち返す練習をしています。
移動して打つことは難しいけど、
その場であればネットを超えるくらいできるようになりました。

Pくんがやりたいと言ってきたらどうしてあげたらいいんだろう?
今考えています。

遊びを発明したり、工夫したりすることには自信があるんですけど、
両者の思いを実現して遊ぶというのはなかなか難しい課題です。
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上靴を脱ぐことの願い

2010-01-05 21:28:10 | 障害児教育
今日も「育ちの臨床」杉山登志郎著日本評論社を読んでいます。
専門用語や統計が多く読むのにけっこうやっかいな本だけど、けっこうはまっています。

いろいろ面白い話が満載されているのだけど、はまったものの一つに
衝動コントロールの技術についてです。

生活のなかでパニックになりそうなとき、
じっとしゃく席できなくなったとき
攻撃的な衝動や事故破壊的な行動が噴出しそうな時に
いかに自分をクールダウンさせるかという方法を治療者と共に練習する手順です。

「靴を脱ぎ、足裏を床に付ける。深呼吸を3回繰り返す。
そこで見えるものを5つあげてもらう。
ついで、聞こえる音を5つあげる。
再度見えるものを5つ数える。
それでも落ち着かないときは、天井の右端と左足の角を交互に見る。
(眼球の左右交互運動)
それでもだめなら、水を飲む、アメをしゃぶる。
さらには頓服を服用するなどなど」

あっと思いました。
通常学級で気になる子を探すときに私はいつも上靴に着目します。
必ず、うわぐつをはいていないかつま先だけ申し訳程度つっこんでいます。
その時は、「できないんだよね」と思っていました。
先生方にもそのことを話していました。
でも、もしかしたら“落ち着きたいから靴を脱いでいたのかもしれない”のかもしれないと思い始めました。

授業中、何か落ち着かないでいらいらするからそれを何とかしようと思って、上靴を脱いでいたのかもしれない。
他の気になる行動もかなりそれに近いものがあるのかもしれない。
そんな思いがしてきました。

ただ、無意識のうちにやっているので、それを意識化させることが難しいのでしょうが…。
苦しんでいる子どもたちにどれだけ寄り添えるか?
そのために何ができるのか?
今回の自分の研修のテーマです。
コメント
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