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宅見勝暗殺事件 “ヤクザの論理”断罪、「無期懲役」の理由 : 逃亡16年の被告に無期懲役判決

2014-03-21 17:49:57 | 社会
逃亡16年の被告に無期懲役判決 組長射殺事件
http://news.goo.ne.jp/article/kobe/nation/kobe-20140314010.html へのリンク
2014年3月14日(金)16:38
神戸新聞
 1997年8月、神戸市中央区のホテルで指定暴力団山口組の最高幹部、宅見勝・宅見組組長=当時(61)=と歯科医師=同(69)=が射殺された事件で、殺人と銃刀法違反の罪に問われた指定暴力団中野会(解散)の元幹部、財津晴敏被告(57)の裁判員裁判の判決公判が14日、神戸地裁で開かれた。宮崎英一裁判長は「実行犯を取りまとめ、襲撃に必要不可欠な役割を果たした」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。

 宮崎裁判長は「内部抗争という暴力団特有の論理に従った、極めて反社会性が高い犯行」とした上で「宅見組長がホテルの喫茶店にいる様子を確認すると、一般客を巻き込む危険を全く意に介さず、銃撃を実行させた」と指摘。

 「指揮役の元組幹部の命令に従わざるを得なかった」とする弁護側の主張については「現場の状況を把握していた被告の指示がなければ、襲撃は成功しなかった」として退け、懲役20年が確定した実行犯3人よりも重い刑が相当とした。

 事件後、16年間逃亡し、昨年6月、潜伏先の埼玉県で逮捕された財津被告。公判の最後に宮崎裁判長が「これからも2人の冥福を祈り、服役をすることで罪を償ってほしい」と諭すと、力なく「はい」と答えた。


宅見勝暗殺事件 “ヤクザの論理”断罪、「無期懲役」の理由
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20140321525.html へのリンク
2014年3月21日(金)16:33
(産経新聞)

 「山口組若頭を狙うという大事件に加わりたくない」が、「組の命令は絶対。ここまできたらやるしかない」

 平成9年8月、指定暴力団山口組最高幹部、宅見勝・宅見組組長=当時(61)=ら2人が殺害された事件で、殺人や銃刀法違反の罪に問われた指定暴力団元中野会(解散)組員、財津晴敏被告(57)の裁判員裁判で、神戸地裁は3月14日、財津被告に対し、懲役20年が言い渡された実行犯よりも重い無期懲役を言い渡した。16年間も逃亡を続け「最後の逃亡犯」とも呼ばれた財津被告が語った犯行に加担した理由が冒頭の下りだ。だが、判決は「現場を指揮しており、襲撃に不可欠な存在。実行犯よりも、その責任は重い」と指摘した。絶対服従の“暴力団の論理”が法廷に持ち出されたが、判決後、裁判員の一人は「一般人には受け入れられない」と語った。

■ヒットマンの逃走見届け、現場去る

 「店の奥にいる宅見を撃て、隣にいるヒゲはやらんでええ。ボディーガードが反撃してきたら撃ってええ」

 判決文やこれまでの公判によると、9年8月28日、神戸市中央区の山陽新幹線・新神戸駅にほど近いホテルで、財津被告は宅見組長の襲撃に際し、実行犯4人にこう指示を出したという。

 拳銃を持ったヒットマンの男4人がホテル内の喫茶店の奥で歓談していた宅見組長の元へ駆けつけた。パンパン-。銃声が店内に響き渡る。先頭の男が放った銃弾は、宅見組長に命中した。別の男が警護の組員が動いたと勘違いして撃った銃弾は、関係のない歯科医師の男性=同(69)=の頭に当たった。

 喫茶店の外で待機していた財津被告は店から出てくる男たちに対し、指さしして逃げ道を教えた。4人が出ていったのを確認して、財津被告も逃げた。

■警察と山口組に追われる“恐怖”

 「宅見が死んだ。もう1人堅気(かたぎ)に当たったが気にするな」

 襲撃計画完了後の集合場所だったビルに逃げ帰ると、襲撃事件の計画や指揮をしたとみられる中野会の吉野和利若頭補佐(当時、10年7月に死亡)に状況を教えられたという。吉野若頭補佐に使用した銃を渡し、逃亡生活が始まった。

 財津被告は被告人質問で、逃亡資金は中野会系組織から出ていたと説明。当初は1人当たり毎月約100万円が支給されていたという。組の関係者から、ホテルや短期の賃貸契約の住宅が用意され、全国を転々とした。

 逃亡中、中野会の幹部が山口組の報復で殺されたと支援者から聞かされた。また、吉野若頭補佐が韓国のマンション一室で病死していたと教えられたが、毒殺の可能性もあるとの噂も耳にした。警察にも、山口組にも追われているという恐怖から、極力目立たないように生活した。

 「捕まったら組に迷惑がかかる」と出頭しない一方で、一般市民を殺害したことを悔やんで、写経もしたという。そんな逃亡生活も25年6月に終了した。警察に居場所が発覚し、逮捕されたのだ。財津被告は「もう逃げなくていい」とホッとした気持ちだったという。

■東京→大阪→総本部→ホテル、中止、変更相次いだ襲撃

 事の発端は、8年7月、中野会の中野太郎会長が京都府八幡市で、指定暴力団四代目会津小鉄会に襲撃されたことにさかのぼる。

 この事件は山口組若頭の宅見組長の働きかけで和解したが、中野会長の了解を得ずに行われた。

 そのことが中野会の組員に「宅見組長が、中野会長を排除するために仕組んだ」と疑念を与えた。噂を聞きつけた財津被告も「もし本当だったら、(宅見組長が)憎いやつだ」と怒りがわき上がった。そして、組をあげて報復に動き出した。

 当初は東京で宅見組長を襲撃するはずだったが、財津被告ら中野会の組員が宅見組長を捜したが、見つからなかった。舞台は関西へと移った。

 関西での襲撃計画の役割分担は、吉野若頭補佐が計画・立案、財津被告が現場指揮、ほかの4人が実行部隊という配置だった。9年8月27日、大阪府内のホテルで車から降りたところを襲うつもりだった。しかし、その場に中野会長もいたことから、「会長が疑われるかもしれない」と中止した。

 翌28日、神戸市の山口組総本部付近で襲撃を予定していたが、襲撃場所に宅見組長が現れなかったことから断念。直後に同市内のホテルにいるとの情報をつかみ、急遽(きゅうきょ)計画が変更され犯行に至った。

 実は、こうした計画に「宅見組長を狙うという大事件に加わりたくない」というのが財津被告の本心だったという。しかし、「組の命令は絶対。ここまできたらやるしかない」と決意し、犯行に及んだと法廷で明かした。

■許せない『身勝手な見栄と意地』

 検察側はこうした犯行に「組の利益のためという身勝手な理由から犯行に及び、現場で指揮監督していた」と指摘。「無関係の人を巻き込むことを考慮せず、白昼に銃を発射して2人を殺害しており、凶悪で極めて悪質」として無期懲役を求刑した。

 一方、弁護側は「組の命令に逆らえず、主導的な立場ではなかった」と主張。「財津被告は事件の指示や決定権がなく、懲役20年を言い渡された実行犯と大差なく、懲役16年が相当」と述べた。

 これを受け、神戸地裁は3月14日、「暴力団の内部抗争による事件で反社会性が極めて高く、一般人を含む2人の命が奪われた結果は重大」として求刑通り無期懲役を言い渡した。「現場指揮をし、襲撃に不可欠な存在だった。懲役20年となった実行犯よりも責任は重い」と指摘した。

 ヤクザの論理も裁くことになった裁判員の一人は判決後に会見し、「事件の背景となった暴力団の関係などが難しかった」と感想を語った。

 そして、判決をこう振り返った。

 「(巻き添えで殺害された歯科医師の)ご遺族が調書で『身勝手な見栄と意地で行った暴力を許せない』と訴えていたのが印象的だった。一般人の気持ちとして裁いた」




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