夏の思い出

2007-08-04 17:00:35 | 雑記帖
<ひとりさみしい>時には、TVをつけることがあります。
さっき、スィッチを入れたら 「新日本紀行ふたたび」が始まるところでした。
懐かしいテーマ音楽(YOUTUBE)が流れてきました。

記憶を呼びさますのは、一に匂い(臭い)、二に音だと思います。 画像映像は記憶呼びさましとしてはちょっと弱いですね。

わたしの世代では、幼い頃は裕福だったひとは少なくて、貧乏だったが大多数。
小学校の同級生たちは「昔のほうがはるかに裕福だった」が多くて、「今は世間並みになっちゃった」とつぶやいたりするんですが、これは例外。

わたしは低所得安定収入の公務員の子でしたが、せまくて汚い官舎で満足して暮らしていました。子供はそんなものですよね。
猫もいたし、本だけはたくさん読めたし、都内に祖父母の家もあって夏は一週間ずつ泊まりに行きました。

旅行は滅多にしなかったです。
親の収入ではホテルや旅館に泊まれなかったそうで、公務員が泊まれる安価な宿に申し込んで抽選で当たったときにだけ行きました。
それでも父や私は勤務先や学校の行事で旅行する機会がありましたが、母は家族旅行がなければどこにも行けずだったのです。

夏休みの午前中は母と一緒にだらだらとTVを見ていました。
新日本紀行はもちろん、当時はバス旅行を一緒に体験する番組があったのです。
格安なんとかツァーではありません。(笑)
泊まりがけのバス旅行に疑似参加するというのかしら、詳しくは憶えていないのですが、その番組はわたしも好きで一緒に見ていました。

「熊野神社や高野山に行ってみたいわね」
「遠いの?」
「すごく遠いわよ」
まだ新幹線がなかった頃だし、飛行機は庶民には縁がないものでした。

あの時代は中国並みに貧富の差があって、同級生の中にはハワイで1ヶ月過ごす人もいて、他の同級生とワイキキのどこどこで会おうねと約束するんです。
「あの人たちいいわよね、うちはお正月にしか行かれないの」と仲良しのYちゃんに嘆かれて、なんと対応していいのか迷いました。

もちろんウチと同じくらいの収入レベルの子もいて、店番(実家は薬屋さん)するからどこも行かないよ、毎日近所のプールに行くんだと吠えていたS君はどうしたかなぁ。
思い出は尽きません。

~~~ちょきちょき~~~
母とは晩年の9年間同居しました。
Mと母とわたしと、年に一回か二回旅行をするのが行事だったのです。

日本はくまなく回ってみたいというのが母の希望でしたが、残念ながら時間切れに。
母が旅行に行きたいと言い続けたのは、昔の夏の日のTV番組がきっかけだったと推測するわたしです。



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