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土佐の国よりドラマレビュー

大河ドラマ「功名が辻」の感想などを掲載していきます。

最終回「永遠の夫婦」12月10日放送 を見て

2006-12-17 | ドラマレビュー
城で倒れた一豊は半身が不自由となりますが、千代の助けもあって症状は次第に回復していました。
征夷大将軍となった家康の孫・千姫と秀頼との婚儀が成立し、豊臣と徳川があい結び、これで世が治まると安堵する千代に、寧々は『これは戦の始まりやもしれぬ』と言います。

やがて家康は将軍の座を嫡子・秀忠に譲り、天下が徳川の世襲である事を世に示すとともに、自らの養女を、山内家の跡取りで康豊の嫡男・忠義に嫁がせる事を約束、『まだやり残した事がある。力を貸してくれ』と言う家康に、一豊は豊臣の滅亡を予感します。土佐へ戻り、家臣一同を集め『徳川と豊臣の最後の乱が起きよう。その時は徳川様に従うのじゃ』、そう宣言したなり再び倒れます。

その脳裡を駆けめぐるのは、千代との思い出の数々。
千代の腕のなかで、そして一豊は静かに息を引き取るのでした。
千代はそっと夜明けまで一豊の亡骸に寄り添い、改めて悲しみにくれるのでした。
信長・秀吉・家康と、三英傑に仕え、功名を求めた一豊の最期でした。

髪を下ろし、見性院と名乗った千代は土佐を離れ京に隠居所を持ちます。
寧々の命により淀を訪ね、秀頼が家康へ臣従するよう説得を試みる千代でしたが、終に大坂夏の陣にて淀は戦死します。
豊臣家の滅亡、さらに一年後、家康逝去。戦国の終わりを見とった千代は、戦死者たちの魂を慰める旅に出ます。その足は尾張、一豊と初めて会った懐かしい河原へと向かって行くのでした・・・。

第48回「功名の果て」12月3日放送を見て

2006-12-07 | ドラマレビュー
一領具足の長たちを殺させた一豊に激しく反発した千代は浦戸城を出、京から呼び寄せた僧の湘南(かつて長浜で育てた拾)とともに吸江庵という荒れ寺で暮らし始めます。
一豊にとって千代のいない毎日は空虚そのもので、かけがえのないものを失ってしまったことを悔やむのでした。その苦しみを理解するのは湘南は、自分の犯した罪を嘆き、最も悩んでいるのは父上ではないか、と千代に語ります。

一方、土佐でのこの荒業を目論見どおりと思ったのが家康。毛利や長宗我部、九州の反徳川勢力の結集を防ぐため、律儀で生真面目な一豊を土佐の国主へと任じておいたのです。
ある日、吸江庵へ康豊が飛び込んで来て、一豊が倒れたといいます。千代は城へと急ぎますが、実は千代に戻ってほしい一豊が打った芝居でした。一豊は千代を騙したことを詫び、これからは慈悲深い政を行うことを誓います。その言葉を千代も受け入れ二人は互いへの愛情と信頼を取り戻す。

その後、千代は京で寧々再会します。家康が征夷大将軍となることを聞き、淀の心中を千代は心配します。
一方、一豊は対馬守から土佐守へと新たに任じられ、本丸の完成した河内山城(現在の高知城)へ入城します。しかし千代と二人、天守閣から土佐の城下町を眺めているとき、突然、一豊は突然、倒れます。

第47回「種崎浜の悲劇」(11月26日放送分)を見て

2006-11-29 | ドラマレビュー
一領具足に狙撃された千代は、大事には至らなかったものの、一豊の施策に対する一領具足の反乱が各地で続きます。彼らに同情的な千代は、捕らえた者を見せしめのため磔にするなど苛烈さを増す一豊のやり方に強い懐疑を抱き、夫婦は次第に対立を深めます。築城の許可を得に大坂へ登った一豊に、家康は、土佐が治まらなければ毛利や九州勢が勢いを増し再びの大戦になりかねぬと言い、一豊は一領具足を一掃する事を誓ってしまうのでした。

土佐へ戻った一豊に、六平太が、一領具足を根絶やしにする手立てを告げます。相撲の大試合をやると国中に触れを出し、相撲好きな一領具足の長たちが集まったところを一人残らず討ち取るという強硬な策でした。殿は手出しせずともよい。そう言う六平太に、一豊はうなづくのですが。

試合当日、城下の種崎浜に集まった75人もの長たちに、六平太が指揮する鉄砲隊が一斉に銃弾を浴びせます。新しい城の検地にと、一豊に連れ出されていた千代は銃声に気づき、浜に急ぎます。累々たる死体の向こうには六平太の姿が。「こうするしか山内家が生き延びる道はなかった。お前のために…」。六平太は毒を仕込んだ三匁弾を噛み砕く。駆け寄った千代の腕のなかで息絶える六平太。この惨劇の中、重臣・新一郎も落命。大勢の者の死に涙を流す千代は、一豊に暇をいただきたいと申し出るのでした。

※千代をひたすらに見守り続けてきた六平太、父の代から山内家に仕えてきた新一郎の落命は哀しい結末です。六平太役の香川照之さんは、一豊役の上川隆也さんと同い年。2人が激しく対立する場面も見ごたえがありました。そして2人の根底にあるのは「千代への愛」でした。

第46回「土佐二十万石」11月19日放送を見て

2006-11-23 | ドラマレビュー
土佐一国を与えられた一豊ですが、長宗我部は無事に国を明け渡すのか、相談に訪れた一豊に、家康の腹臣・井伊直政は「成敗すればよかろう」と言い放ちます。

これまで幾多の戦に参戦したものの総大将として戦ったことなど一豊にはありません。戦をせねばならぬのか、その緊張が千代の前では「政とはそういうものよ」という傲慢さになって現れてしまいます。「夫は変わってしまった」と嘆く千代に、寧々は「何があろうと最後までしっかり寄り添ってやりなされ」と助言をします。土佐では、一領具足と呼ばれる領民たちが、長宗我部に土佐半国を与える事を求め籠城も辞さない騒ぎを起こしていました。盛親が関ヶ原で三成側についたことから、大坂に幽閉されてしまい土佐に残された長宗我部の遺臣たちです。

一豊はまず弟の康豊を土佐に差し向け、長宗我部の重臣たちに一領具足を討たせた後、その重臣をも国から追放し、ようやく城の受け取りを成し遂げます。
平定が遅れれば、家康に土佐二十万石を召し上げられる恐れがあった為、一豊はあせります。千代と一豊は、いよいよ土佐に渡り浦戸の城に入ります。一行の中には、家来となる事を願い出た六平太の姿もありました。六平太は、土佐平定の更なる困難さを予期し、命を賭けて千代の幸せを守ろうと決めていたのでした。ある日、検地に出た一豊に随っていた千代が一領具足に狙われ、一発の銃弾に倒れます。

※いよいよ、土佐入国となりました。どうやら美しい国・土佐を手にいれたということだけのHAPPY ENDでは終わらないようです。

第45回「三成死すとも」(11月12日放送分)を見て

2006-11-12 | ドラマレビュー
関ヶ原から敗走した三成は再起の意志むなしく囚われの人となり、家康本陣のある大津城へと移されます。
縄目姿のまま城の門前でさらし者にされる三成に、一豊は自分の羽織をかけ「たとえ家康を頼もうとも、豊臣家と秀頼様をお守りなされよ」という淀への遺言を頼まれます。
数日後、一豊は大坂の屋敷に凱旋。戦場で感じた虚しさについて千代に語り、敵となるも味方となるも所詮は仮の姿、と生きる切なさ、散る悲しみに、二人は三成と、関ヶ原で敗れた者たちのために涙を流し、「田植え歌」を歌い、舞を踊ります。

徳川方へついた一豊に会うことを淀が拒んだため、遺言は千代から淀へ伝えさせることとなりました。気丈に振る舞っていた淀もさすがに涙を流します。

やがて、三成と一行は六条河原で斬首されます。淀より「我の代わりに見届けて、祈ってくれ」という願いをきき、一豊とともに千代はその様子を見届けるのでした。

そして関ヶ原の論功行賞の日。一豊は、予想もしていなかった土佐二十万石を賜り、ついに国持ち大名へと昇格するのでした。
「千代、そなたにもらった国じゃ」。二人で叶えた、二人の夢。山内家の出世を祝い、家臣たちも涙を流し、祝い酒に酔います。
しかし、六平太が現れ「これは家康が与えた試練、土佐が山内をすんなり受け入れてくれるかどうかわからぬ」と言い、千代も身を引き締めるのでした。

★領民に慕われ、最後は自分を匿う領民の儀に報いたいと、自ら捕まることを選んだ三成。豊臣家への忠義を最後まで尽くした人で、どこか、明智光秀と似ている気がします。そういえば演じていたのも、光秀の坂東三津五郎さん、三成の中村橋之助さん・・・お2人とも歌舞伎界の方で、きりりとした眼差しと、所作もとても美しい気がしました。

第44回「関ヶ原」(11月5日放送分)を見て

2006-11-11 | ドラマレビュー
ついに天下分け目の決戦の火ぶたが切られました。
家康のもとに参集した東軍75,000、三成率いる西軍100,000、陣形も兵力も圧倒的に西軍が有利。一豊は家康の命により、主戦場ではなく、山上に陣取る毛利勢の押さえとして、南宮山の麓に配されます。東軍の劣勢を知り「武士として華々しく死ぬ、それがわしの生きる道じゃ。許せ、千代」覚悟を決める一豊。
そのころ、千代は大坂城下の屋敷でひたすら夫の無事を祈っていました。
「一豊様、生きてお帰りくださいませ」と。

一豊の陣に六平太が現れ「お主らが押し出し、家康を勝ちへ導け。勝って、生きて千代の元へ帰るのだ!」と告げます。
家康本陣へ飛び込み、出陣を願い出る一豊。信長の若きころより戦場に立っていた者は、もはや家康と一豊ぐらいのものでした。
「よし、出よ! 誰が寝返るやらわからんが、そなただけは信じておるぞ!」
家康の声を胸に戦場へ討って出る一豊。さらに猛攻をしかけてくる三成。本陣を突かれ動揺する家康は起死回生の一手に出ます。
家康に内応しながら未だ旗色を鮮明にしない西軍・小早川秀秋軍へ向かって発砲したのでした。

恫喝された小早川軍は西軍に襲いかかります。あからさまな裏切りを眼前にし割り切れぬ思いの一豊。しかしこれにより西軍は総崩れ、勝敗は決します。無念の涙に再起を誓う三成は山中へ姿を消しました。戦場を後にする一豊は、なんともいえない虚しさを抱えていました。勝つこともまた、寂しいことだという思いから、勝っても喜びがわかないのです。一方、夫の無事と味方の勝利を知った千代は、深い感謝の念にかられ、再び祈りを捧げるように両手を合わせるのでした。

第43回「決戦へ」(10月29日放送分)を見て

2006-11-11 | ドラマレビュー
壮絶な最期を遂げた玉に続く者が次々に現れ家康方の結束が強まることを恐れた三成は、城下の屋敷を囲む兵をすべて退き戦に専心する決断をします。

一方、下野の小山まで兵を進めた家康の陣では、一豊が、千代から届いた包みを家康に差し出していました。千代がしたためた文には家康に加勢する旨が、三成からの未開封の書状には家康を弾劾する内容が記されていたのです。三成の挙兵は明らか。家康は一豊の手を取って感謝の意を表しました。夫が家康を選ぶことを見越し封印したままの書状を渡すことで忠節を強調しようとした、千代の機転でした。翌日開かれた小山評定にて、一豊はさらなる大事を成します。城も、掛川六万石の領地も、蓄えた兵糧も、一切を家康に渡すと発言し、他の大名たちも先を争ってそれに続いたのです。

一転して西へ進んだ家康勢は、敵方の犬山城、岐阜城を落とすと、江戸で軍備を調え後発した家康もいよいよ到着。そのころ、寧々の元を石田方の小早川秀秋が訪ねていました。折しも居合わせた千代の前で、寧々は秀秋に、豊臣を思うなら家康をこそ頼るべきと暗に寝返りを指示、千代を驚かせます。家康軍は一気に大坂を突かんと動き出します。大垣城にいる三成をおびき出し得意の野戦に持ち込もうとする策です。三成は敏感に、しかし家康の描いていた筋書き通りに、兵を率いて城を離れます。決戦は、関ヶ原へ。乾坤一擲、東と西の大軍団が、最初で最後の移動を開始しました。

第42回「ガラシャの魂」(10月22日放送分)を見て

2006-10-25 | ドラマレビュー
家康を接待する席で、一豊はおのれの胸中について率直に吐露します。損得に追従する者たちとは違う正直さに感心してみせ、じっくりと迷いなされ、と家康。
一豊の心はかすかに徳川寄りに傾きます。
同じころ、満を持して大坂城に入った三成は、諸侯の妻たちへ書状を発します。大坂に残る妻子を屋敷に閉じ込め、人質にするつもりでした。
六平太から戦を左右する大藩・毛利の分裂を聞いた千代は、咄嗟にある判断をします。一豊に宛てた文を笠に編み込み、三成からの書状を開封せずに託し使者・田中孫作を送り出します。自らは細川家に急ぎ、大坂から逃れるようガラシャを説得しようとするが、ガラシャは、明確な返事をしません。

千代の屋敷へ三成側の武将がやって来ます。大坂城に移るよう言われるが、千代は断固拒絶。ガラシャの身を案じた千代は、文を康豊に託し脱出を請います。「それがし、味土野で玉様に命をいただいたと思っております」と説得する康豊でしたが、ガラシャは死を選ぶことを既に決めていました。
切支丹ゆえに自害の許されぬガラシャは、屋敷に火を放ち、家臣の薙刀を胸に受けて絶命しました。

数日後、田中孫作が一豊の陣屋に命からがら到着します。文を読んだ一豊は、山内家存続のため、家康につくことをついに決意。そのころ、大坂では千代の屋敷を三成方の兵がとり囲んでいました。

★千代から使いを頼まれる「田中孫作」役に興味がありましたが、
「○○○、安い、仕事きっちり」のCMのあの方が、きっちりと仕事をしていました。

第41回「大乱の予感」(10月15日放送分)を見て

2006-10-18 | ドラマレビュー
佐和山に隠居した三成は、城を固め、兵を集めて戦に備えます。
一方の家康は、諸侯に帰国を許し大坂を空にした上で、家康暗殺の噂を自ら流し、身を守るためと称し数千の兵を率い大坂城西の丸に入ります。三成を刺激し天下を二分する乱を起こせば、徳川に逆らう大名を一掃でき天下は我がものとなるという、家康自身が仕掛けた大博打の始まりでした。

寧々は、淀と秀頼が生き延びる為には徳川傘下の一大名になる他ない、そのように進言せぬ三成はうつけじゃ、と千代と一豊に言います。「山内家もそうせよ、ということですか」と尋ねる千代に、寧々はそれ以上は言いません。

そして、三成は上杉家と手を結び、家康は、その上杉討伐の名目でついに兵を挙げ、福島正則、細川忠興ら大軍を従え大坂城を発ました。
秀吉への忠義と、かつて金ヶ崎で救ってくれた家康への恩義の狭間で迷いぬく一豊。その周囲では、ともに長く戦場に立ってきた吉晴が家康につき、家督を息子に譲って隠退。頑迷な豊臣派だった一氏までもが、病におされ、弟を家康軍に参陣させることを決し、一豊に「あとはそちひとりで走れ、功名を挙げよ」と言い残して死去します。

六平太からの情報をもとに、確かに毛利が三成につけば家康がすべてではない、ぎりぎりまで形勢を見極め生き抜く道を探ろうと千代は言います。そして一豊は、上杉攻めへ向かう家康を掛川で饗応することを決意します。
二人きりで腹を割って話し、結論を導き出すつもりでした。

第40回「三成暗殺」(10月8日放送分)を見て

2006-10-11 | ドラマレビュー
秀吉の遺言に従った三成の発令により、朝鮮攻めの兵たちが続々と日本に戻って来ます。疲れ果てて名護屋城に入った福島正則らは、太閤秀吉の死を初めて告げられて驚愕、無駄働きをさせられた憤激を三成に向けます。

ある日、千代と一豊が寧々の元を訪ねると、なんと家康がいました。家康は大名同士の婚姻禁止という秀吉の遺訓をあっさり破り、自らの血縁と諸大名との婚姻を進めていたのです。しかし寧々は、これからの豊臣は家康にすがらねば生き残れぬと言います。一豊は混乱します。

そのころ大坂城では、三成が、淀に一命を賭して豊臣を守ると誓い、家康糾弾に乗り出そうとしていました。三成は一豊や堀尾を家康詰問に赴かせますが、老獪な家康に丸め込まれ堀尾は家康に寝返ります。
血気にはやる清正や正則らは、三成殺害の兵を挙げます。三成の豊臣への忠信を信ずる一豊は三成救出へ動いていました。一豊に義を説き、来るべき家康への決起の時にも助力してくれるよう三成は口説きます。そして三成は家康の屋敷へ逃げ込みます。家康と三成の対面。三成の命を狙う清正らが乗り込んできて、家康は何故か三成をかばいます。

すべては天下を狙う家康の筋書きどおり、そう見抜いた千代は、三成につくか家康につくか、よくよく様子を見てから決めるよう、一豊に念を押します。

★情勢が大きく動き始めようとし、今まで夫を支えてきた千代も、じっと状況を見極めようとします。