Next Life はジョージアか?

中国雲南省に約7年ロングスティし、2017年4月に新たな旅と新鮮な生活と刺激を求め旅立ちます。

新規ブログ開設

2018-05-05 09:10:53 | 日記
gooブログにアクセス出来なくなって久しい。体調の悪化もあり、新たなブログサイト探しも一向に進まなかった。しかし本日やっと開設する事が出来ましたので報告致します。

「ジョージアで、新鮮生活」
http://blog.livedoor.jp/ab009/

今後とも引き続き宜しくお願い致します。

不慣れで、更にブログのシステムが良く分からず、思うように作れません。しかし、まぁ何とかやってみます。



アルメニアで初めて見た花ですが、
ジョージアに帰って来たら沢山咲いていました。

トビリシ生活ービザランでアルメニア

2018-04-24 20:14:33 | 旅行

一昨日よりビザランで、隣国アルメニアの首都エレバンに居る。この国に来たらgooのブログが観れるではないか。そこで急きょご無沙汰してしまったブログに近況報告をしなければと思い立った。

実は前回ブログをアップした頃から息苦しさが激しくなってきた。これはビザランを控え困った事になったと思った。4月初め、その事を知ったニノさんから病院へ行く事を勧められた。私も今回ばかりはと、ニノさんに付き添われて病院で検査を受ける事にした。

病院まで行くのも息苦しさの為に歩行が辛かった。病院初日にレントゲンを撮った。その結果は意外にも骨には異常が無く、肺に影があった。2日目は血液検査・心電図等の検査を受けた。肺炎の可能性も調べられた。しかし咳も熱も無い。そうそう、肺に水があるかどうかの検査もされた。水は無かった。

どうやら肺の炎症により呼吸が辛くなり、息苦しさや背中の痛みなどが起こっているのは間違いなさそうだ。まだ診断は出てないが薬が処方された。次の検査は復活祭の連休を跨いで受けた。また別の血液検査だ。午前中の検査で、その日は日本語の先生が付き添って下さった。

翌日、更に2回目のレントゲンがあり最終的な診断が出た。その結果、2回目のレントゲンでは肺の影が綺麗になって来たと言われた。実はその1週間程の薬の服用の効果か、息が多少楽になっていた。

さて診断結果は自分で予想していた通り、煙草の煙が主因で肺が悪くなり、息苦しいくなるCOPDと言う病気だった。ただその病気に特徴的な咳も痰も無い事から軽症と判断され、ビタミンDの不足が強調された。まあ因果応報、これは仕方ない。

そして一か月分の薬が新しく多数処方された。不思議な事に薬を呑み始めて数日したら息苦しさが楽なって来た。そして日々日に回復に向かった。

これならビザランは何とかなりそうだと安堵した。でもまあ治療は始ったばかりで薬を呑むのが仕事になった。

さてあれからまだ2週間以上しか経っていないが、何とかアルメニアまで来れ、ジョージアビザが更に1年、明日には更新できる。

しかし息苦しさはかなり楽にはなったが、まだまだ長距離・長時間歩くのは無理のようだ。昨日、エレバンの街を歩き続けたら途中から息苦しくなり、休み休みとなった。

まあ、ここ暫くこのような状態でかなり鬱陶しい日々が続いた。新しいブログサイト探しもまるで進まなかった。またメールさえ書くのも辛い日々があった。そしてかなり悪い時にはこの事態にどう対処するか色々なケースを考えたりもした。

しかし、しかし、ニノさんや先生のお陰で想定外の速さで良くなり、ビザランが果たせた。身内の様に親身に気遣ってくれる。ありがたい限りだ。

せっかくの順調な回復なので後戻りしないよう気を付け、ゆっくり治療に当たろう。

ブログの方はだいぶ気分が良くなって来たので、無理せず早めに復活出来ればと思っています。またまたご心配掛けたかと思いますおが宜しくお願いします。

ビザランの話しなど早く書ければと思っていますので。


トビリシ生活ーgooが見れない

2018-03-04 23:02:19 | 日記
来月でジョージアも一年となり一度出国しなければならない。長いようで早いものだが依然として背中の痛みは治らない。どうやら時病となりそうだ。最近はちょっと悪化したのか歩いても息苦しくなり坂などは辛い。さて楽に出国できる国や方法はないだろうか。

ところで1ヶ月半近く前からgooのブログサイトがジョージアでは見れなくなった。今もそうだ。原因は分からない。それでブログの更新もコメントへの返信もできなかった。先週ジョージアの若者がVPNを設定してくれて何とか見れた。しかしその後スマホは接続するがパソコンは接続しなくなった。スマホでブログの更新は大変だがやってみる事にした。新しいブログを立ち上げるか検討中だったのだが。



さてこの二ヶ月余りは色々なことがあった。その最大の事は急遽引越しした事だ。上手く引っ越せるか心配だったがアパート探しから引越しまでこちらの方が全面的に協力してくれた。



アパート探しは相互学習のニノさんが、引越は身長190センチの日本語のズラビ先生がやすやすと荷物を運んでくだすった。いやいや本当に助かった。





どのようにお礼をしたものか。WIFI設置にはニノさんが立ち会ってくれた。ニノさんは事ある毎に助けてくれる。また世話をやいてくれる。ありがたい。そして先生もそうだがこちらの方はお返しを求めない。どこか日本人的だ。だからお世話になる事の方が多くなる。自分で出来る事はなるべくしてお礼もちゃんとしたいのだが。






昨日もオールドタウンやその近くの滝に連れって行ってくれた。

と言う事でトビリシでの長期滞在の体制は皆さんのお陰で整った。まあ言葉の方は相変わらず覚えられないが。

さてブログの方ですがgooのブログ関連サイトがこちらで見れなくなっので新たにブログを立ち上げるか検討し早めに結論を出しVPN経由でお知らせ致します。ご心配頂いたかも知れません。直ぐに対応できず申し訳ありませんでした。

トビリシ事始めークリスマス

2018-01-11 23:20:50 | 日記
1月7日はジョージアのクリスマスだった。ジョージア正教会の暦(ユリウス暦)の12月25日にあたる。イブにあたる6日の23時30分過ぎジョージアの方から窓辺に灯るキャンドルの写真が送られてきた。この時間から正教会の家々では一斉に窓辺にキャンドルを灯すとの事だ。

送られてきたキャンドルの写真。私には初めてのジョージアのクリスマスがこの時に始まった。


私は外を眺めた。確かに家々の窓辺に静かにキャンドルが灯されていた。その一つ一つの小さな炎から何故か暖かい温もりを感じた。写真を送ってくれた方のメッセージにこんな一文が添えられていた。

「私も別の家々の窓を見て幸せになりました、そうして国は一つになりますね」っと。

私は短く添えられたこの言葉にこの国の紆余曲折の長い歴史と平穏への思いを見たような気がした。私の考え過ぎだろうか。でもその言葉は私の心に深く残った。

さてその頃、散発的に花火の音が聞こえはしたが街は静かにクリスマスを迎えようとしていた。私はテレビを付けた、そこに映し出されたのはジョージア正教会の総本山であるサメバ大聖堂で行われているクリスマスの祭典の中継映像だった。それは私には静かに新年を迎える日本の大晦日と初詣の姿を思い出させた。








クリスマス当日の午後にアリロと呼ばれる祝いの伝統的なパレードがあった。今月から同居している私達3人は見に行く事にした。午後の2時に薔薇の広場を出発し昨夜テレビで見たサメバ大聖堂までのパレードだ。それは写真でご案内しよう。

薔薇の広場には既にジョージアの国旗を旗めかした人々が集っていた。


子供たちが可愛い。


十字に笑顔。


子供たちがパレードの先頭に、主役なのかもしれない


隊列が動き始めた。


各隊列には興味深い民族衣装を着た子供たちが。






隊列には文明の十字路コーカサスを象徴するかのようにキリンやラクダや象に模した作り物の隊列もあった。


やがて遠くに目的地のサメバ大聖堂が見える地点まで辿り着いた。


そしてサメバ大聖堂の門前に。


更に大聖堂の広い境内へ人々と供に入った。さすがに大きい。


後ろを眺めるとその広大さが良く分かる。


いよいよ大聖堂内部に。


中では厳かな祭礼や沢山のロウソクに火を灯し集う人々もいた。




やがてパレードの終わりを告げるのだろうか大聖堂の前に国旗を旗めかした人々が集結し終わった。



さて番外として民族衣装や気になる僧衣をまとった僧侶の写真も撮ったので掲載し今回のブログは終わりにしよう。












パレードは午後2時に薔薇の広場を出発し4時半頃サメバ大聖堂に到着。約2時間半の行進だった。私には坂道もあったが楽しい一時だった。

トビリシ事始めー新年そして

2018-01-07 09:11:39 | 日記
大晦日の日、私は大掃除を始めた。特にキッチンの床の1年以上放置されたどす黒い油汚れを拭き取った。お陰でその夜は足はガクガクとなり不眠も手伝い,またしても激しい「こむら返り」に襲われた。

元日には私は学習相手のニノさん宅の新年会に招待されていた。この間に紹介した若いカップルとそのお友達も含めてだ。もう私は折角のお招きを辞退するしかないと思われ、彼らにメッセージ送っていた。

するともう約束の時間近くに心配した彼等が私の所まで思いがけず迎えに来てくれた。そこで彼らのパワーも借りありがたい新年会のお招きに出向く気力が沸いて来た。



1時間ほど遅れただろうか途中でニノさんとも会い、彼女の家を訪問した。するとテーブルいっぱいの伝統的グルジア料理と優しそうなで上品なお母さんが出迎えて下すった。壮観なテーブルに一同溜息を打った。





正月元日にグルジアの方の家にお招き頂けるだけで感激なのにその料理の見事さに感嘆した。しかもどれも美味しい。そして独特の味わい。世界的に有名になった日本料理もこれには形無しやもしれぬ。

これはロールキャベツ風。


これはクルミのスープの肉料理。


ホウレン草ペーストの調理。


さてこれは何だっけ。


右上は七面鳥。そしてサラダ。


これは全てお母さんの手作りで手間暇掛けた料理のようだ。その美味しさを語る言葉が私には見つからない。この時間を掛けた心温まるグルジア伝統料理でもてなしてくださったお母さんに私達は感謝する以外にはすべは無い。また宴をもうけて下すったお父様にも。

そしてご両親は穏やかで品位ある素敵な方達だった。このご両親にして優しい素敵なニノさんが育まれた事がご両親のその表情だけで理解できる。きっとご覧になっている方にも分かるに違いない。



やがてご親族の方々も次々にいらっしゃった。そして皆さんと親交を交える事ができた。





やがて夕方過ぎ暖かい気持ちと感謝を胸に私達は帰路に就いた。それにしても素晴らしい元日を頂く事ができた。


伝統料理について説明したかったのだが多すぎて出来かねたお許し願いたい。


さて翌日の事だが前々から短期の部屋探しをしていたカップルが泊まっていたホステル・ジョージアの劣悪な待遇に耐えきれず、遂に難民化した。やむなく私の所に収容しようと考えたがこの家の契約者は私ではない。今、日本に長期帰国しているルームメイトだ。彼が受け入れに大変な難航を示す事となってしまった。受け入れてはもらったが。

私が受け入れを打診した事にも強い執拗な非難を浴びる事になっている。さて何処かでけじめを付けなければ切がない。さてどうしたものだろう。


とは言え今日はグルジアのクリスマス。取りあえずそれらは忘れ清らかな気持ちで過ごそう。