Next Life はジョージアか?

中国雲南省に約7年ロングスティし、2017年4月に新たな旅と新鮮な生活と刺激を求め旅立ちます。

トビリシ事始めーヒンカリと

2017-11-23 22:38:01 | 日記
ムツヘタ以降も相互学習は毎週続いている。更にイベントもありだ。古都ムツヘタのブログを熱心に書きすぎ。時間を費やしたのと硬い椅子に座り長時間かかったので治りかけていた肋骨の痛みが再発し、私は相互学習の為の予習の時間が取れなかった。

それでジョージアが載っている旅行の本などを持ち出しレッスン時間の短縮を図りごまかした。他にも日本から持ってきた旅行の写真など持ち出したりあの手この手で短縮した。困った生徒だ。

彼らはスマホで日本語を調べる。


そして翌日の日曜日丁度ムツヘタ観光から一週間後、彼らの日本語の先生のお宅に招かれ先生のお母さんの手作りのヒンカリをご馳走になった。

お母さんがヒンカリを作るところをビデをに撮ったが録画の時間が長すぎブログには載せられない事が録画をUPしようとして分かった。残念だ。

茹で上がったヒンカリ。


実はこちらでルームメイトと餃子を作った事があった。餃子の皮作りは二人とも初めて。こちらには薄力粉が無いのでヒンカリ用の小麦粉で作ったが硬くて生地作りは大変だった。それで参考にしたいとおもったのだ。

お邪魔するともう既に生地は出来上がっていた。でもとても柔らかく出来上がっていた。これなら餃子の皮も作れそうだ。是非改めて生地作りを教えてもらおう。

家庭での手作りのヒンカリはレストランとはまた違い美味しい。


ところでジョージアは葡萄酒の発祥の地であるせいか、こちらの人はお酒が好きでしかも強い。私がお酒が飲めない事を話すと先生は残念そうだった。

それでもこちらの習慣にのっとり乾杯には参加させて頂いた。乾杯の音頭を執る人からその都度一言お話がある。誰誰の為とか何々の為とか、乾杯には欠かせないらしい。それが何回も繰り返される。

食卓には色々用意されていた。


後で聞いた話だがその乾杯の時以外は飲んではいけないらしい。その日の乾杯の音頭はもちろん先生だった。

さてムツヘタを案内してもらったり手作りヒンカリをご馳走になったりした訳だ。私も何かお礼がしたい。そこで先週の日曜日天ぷらをご馳走する事にした。

だがもちろん天ぷら粉はない。薄力粉も無い。天つゆの味醂は大きなスパーで売っているとの事だ。またもし無くとも白ワインと砂糖で代用できるらしい。それで一週間掛けて色々作り方を調べた。

しかし結論から話そう失敗だった。慣れない調理道具と当てにしていた味醂も無く。油の温度管理の失敗と麺つゆの不成功。海外和食作りでの初の失敗かも。

それでも皆さん笑顔で頂いてくれた。いやいや申し訳ない事をした。次の機会にリベンジだ。





ところで今、夜の11時だが気温は2度。明け方には-1度にはなるようだ。急に寒さが強まった。どうやら本格的な冬が到来したようだ。明後日は最低が-3度と予想されている。

でも不思議な事に少し寒さに慣れてきたようだ。今暖房を入れた。

トビリシ生活事始めー古都ムツヘタ⑶

2017-11-15 07:08:49 | 日記
前回は「スヴェティツホヴェリ大聖堂」をご案内した。次に向かうのは小高い丘の上に建つ「シュヴァリ修道院」だ。シュヴァリとはジョージア語で「十字架」を意味する。聖女ニノが異教徒の神殿があった丘に十字架を建てた事がその名前の由来らしい。建物は6世紀に造られたとの事だ。

スヴェティツホヴェリ大聖堂から見えたシュヴァリ修道院。


ところで大聖堂を出ると何軒か土産物屋が並ぶ広場に出た。私達はそこで一服する事にした。すると彼女が店にぶら下がるチュルヘラと言うものを買った。


私はトビリシの街で何回もこれを見ている。が香辛料のようなものと同じ所で売られているのでその正体が分からず手が出なかった。さて何だろう。


それは葡萄の果汁に小麦粉を加えペースト状としたものにクルミやナッツ類を糸で繋げ浸し干した、言わば果物菓子だった。


どうしてどうして美味しいではないか。ジョージアのオリジナルと言う事だ。だが旅行者の話しでは地中海の島国で同じものが売られていたと言う話だ。

さて一服が終わると広場に停まっていたタクシーに乗り、その日の最後の目的地「シュヴァリ修道院」に向かった。近いと思ったが案外遠かった。紅葉に黄色く色付いた山道を分け入った。

やがて「シュヴァリ修道院」のそばに出た。修道院への緩やかな登り道は観光客や信徒達で賑やかだ。


登り始めた。青空や陽射しを受けた地面の緑が輝きこれまでに比べ小さいが修道院が凛として建っていた。美しい。


さらに近づくとその建物が迫って来た。何とも美しい。またこの建築様式は独特なものでここから広く広がったらしい。


登り切ると私達はまずムツヘタの街が見下ろせる所に行った。二つの川が合流する地点の側に街は望めた。二つの川の色の違いも分かる。


そこで取りあえず記念写真。この日一緒に来た学生は彼女の写真担当のようだ。


修道院の内部に入ってみると大きな木製の十字架があった。


更に聖女ニノと思われるイコンと別の聖人のイコン。トビリシのカップルの半分ほどがここで結婚式を挙げると言う。


この修道院はジョージアの人々の篤い信仰を集めているらしい。その日は日曜日で沢山の新婚カップルに出会った。彼女もここで結婚式を挙げるのが夢なのかも知れない。



さてこの日の行程は全て終わり帰路に就く事にしたが待っていたタクシーの向かった先はムツヘタ観光では欠かせないと言うレストランだった。ほとんど満席の中やっと席を見つけ注文した。確かにお腹が空いている。


頼んだものはコーンで作られたパン ・ムチャビとそれをつける壺の様な器に入ったロビオと言うスープ。ムチャビはちょっと硬かったがドロッとしたスープにつけたら美味かった。


その日同行してくれた彼はヒンカリを頂く。混んでいたせいか忘れられていたのかヒンカリは30分以上遅れて出て来た。いやあお疲れ様。



もう日の暮れた中、私達は地下鉄の駅にタクシーで戻った。素晴らしい古都ムツヘタ、歴史と重厚感溢れる古い教会。折から天候に恵まれた美しい風景。そして何よりこれを企画し案内してくれた彼らに感謝しよう。

この一日は鮮やかに私の記憶に刻まれた。そして遠くまで来て良かったと思わずにはいられなかった。

トビリシ生活事始めー古都ムツヘタ⑵

2017-11-12 08:34:32 | 日記
前回は世界遺産の街、古都ムツヘタの聖ニノ縁の三大建造物の一つ「サムタブロ教会」をご案内した。ムツヘタの素晴らしさに興奮気味だったのだろう在都1,200と書いたが皆さんお気付きとは思うがおよそ1,000年の誤りだ。でもその途方もない歴史と重さに変わりがある訳ではない。

さて今回はこの街の中心的な建造物「スヴェティツホヴェリ大聖堂」をご案内する。この教会は聖女ニノがキリスト教を伝えた4世紀に建造されたジョージア最古の教会でありここにジョージア正教会の「総主教座」が置かれていたとの事だ。つまりジョージア正教の中心だ。

これが「スヴェティツホヴェリ大聖堂」。


現在の建物は11世紀に再建されたとの事で近年までジョージア最大の大聖堂だったようだ。また様々な伝承や伝説が残され、またその建築や装飾にはキリスト教的にも美術的にも高い価値があるようだ。まあ私にはそれらを語る知識はない。今回もまた写真でご案内するのでそれらを感じ、関心を持たれた方はお調べ頂きたい。

さて私達が前回、ご案内した「サムタブロ教会」を出てしばらく歩くと高くて長い石の壁の続く通りに出た。すると案内してくれている彼女が佇み写真を撮り始めた。この日の案内は相互学習の一人は来られず彼女の友達のやはり日本語を勉強している学生が同行していた。


何を撮ってるのかと思ったら石壁に伸びる赤く紅葉した蔦だ。


丁度逆光になったが要塞のような壁だ。と言うか長い歴史の中で多くの戦もあり破壊されたりと要塞としても使われていたらしい。良く見ると銃が出る穴もある。


更に進むと門のような塔もあった。でも入り口では無いようだ。


これが門。観光客や信者達で賑わっている。


中に入ってみる。大きく独特の造りの建物だ。


私達は大きな建物のの周りを回ってみる事とした。重厚で荘厳でもある。


壁の十字が印象的だ。


窓やその装飾に何か大きな意味があるようだ。


大きな柳の木が現れた。すると彼女がそこで小休止。大きな柳も珍しいがその下には石造りの水がめがあった。大きな柳と清水。きっと謂れがあるに違いない。


一回りすると大きく開けた。外から門のように見えた塔も見える。


さて教会の中に入った。すると巨大な空間の先にフレスコ画が見える。


上を見上げると高い天井にもフレスコ画が。圧倒される空間と差し込む光だ。


更に「サムタブロ教会」にもあった聖職者だけが入れる壁。重厚で壮麗だ。


そしてイコン。建物内部の造りもかなり複雑だ。


更にイコンとロウソク。


やがて思わぬ所に出た。大きな光の束が二つ差し込んでいる。まさに神々しいとはこう言う光景だろう。その明かりの中で結婚式が行われているではないか。こんな絵のような光景を私は初めて見た。


表に出ると秋晴れの下、結婚式を終えた新婦の白いウエディングドレスが美しい。



いやあ格式と古い歴史がある大聖堂の境内で光り輝くウエディングドレス。大聖堂の歴史が今に交差し輝いているようだ。


今回はここで終わろう。長くなり過ぎたがやむ終えまい。これだけの大聖堂を短くするのは私には無理だ。

トビリシ生活事始めー古都ムツヘタ⑴

2017-11-08 16:52:37 | 日記
10月29日相互学習の若者に古都ムツヘタを案内してもらった。行き方は私の住む地下鉄マルジャニシビリから4つ目のディデュベ駅で下車。この駅はトビリシから西側方面へのバスの発着所になっているらしい。私達はチケット売り場で1ラリ払い立ち席の無いミニバスに乗った。

ムツヘタまでは約20キロで良く舗装された道で20分ほどで着いた。その街は丁度二つの川の合流地点近くに開けた小さな街だ。そしてその街は秋空と太陽の陽射しを受け大変美しいかった。

川の合流地点の右側に見えるのがムツヘタの街。丘の上のシュヴァリ聖堂・修道院からの眺め。


ところで古都ムツヘタとは調べると紀元前4世紀にイベリア王国の首都となり紀元6世紀にトビリシに移ったとあった。出典により多少の違いもあるようだし一本調子に揺ぎ無くこの小国の首都として続いたとは思えないが単純に計算すれば1,200年近く都があった事になる。

その途方もない時の流れと歴史に、私は大きな衝撃を受けざるおれなかった。紀元前4世紀と言えば日本では縄文時代。神話が始まるかどうかと言う時代だ。そして紀元4世紀、聖者ニノによってキリスト教が伝えられイベリア王国は世界で二番目のキリスト教国家となる。さらにその信仰は今も生きている。

そしてその途方もない歴史の舞台が古都ムツヘタにはある。案内される前にもう少し調べておけば良かったと後悔もするが、感動は前でも後でも「感動」には違いはない。遠くはないのでまた行く事もできる。

古都ムツヘタには3つの世界遺産建造物がある。いずれも聖女ニノにゆかりのある教会だ。その中心は「スヴェティツホヴェリ大聖堂」そして聖女ニノが住んでいたと言う伝説がある「サムタブロ教会」さらに小高い丘の上に建つ「シュヴァリ聖堂・修道院」。

さて今回のブログでこれら3つの建造物を紹介するのは無理のようだ。何回かに分けよう。それと私の知識では説明は無理だろう。できるだけ写真で紹介したい。写真からその歴史や重厚感、美しさを感じて頂きたい。

そこで今回はミニバスを下車した「サムタブロ教会」から始めたい。ちなみに前回触れた相互学習の若者に日本のラーメンをご馳走した話しは省略させてもらい博物館や美術館巡りの話しはまたの機会にでも書けたらと考えています。

バスを降りるとサムタブロ教会が見えた。


サムタブロ教会の入口辺りからの外観。


門をくぐる観光客で賑わっている。


門をくぐると右手に小さな教会があった。後で案内してくれた彼女に聞くと聖ニノ教会と言う事だ。


聖ニノ教会の入口近くに聖女ニノのイコンが祭られていた。


内部の天上。


鎮座していたイコン。きっと由緒あるものなのだろう。


内部から案内してくれた彼女の写真を撮らしてもらった。実は彼女の名前もニノ、いかに聖女ニノがこの国に広く浸透しているかが分かる。


この建物がサムタブロ教会。


さて中に入ってみよう。これが入口、重厚だ。


巨大な天井とイコノスタシスと言う聖職者だけが入れるイコンがはめられた壁があった。正教会独特のものらしい。


私は好きなイコンを楽しんだ。




厳かな教会内部に更に厳かに棺が二体置かれていた。きっと聖人達の棺だろう。この教会には当時の国王夫妻も埋葬されているらしい。


さて一通り見終え外に出ると青空のもと糸杉が大変美しかった。



今回はここまでとする。次回は「スヴェティツホヴェリ大聖堂」を紹介したいと思う。