花在りて亦楽し

洋ラン栽培暦5年、日々絶えることなく咲く花を、多くの人に観て頂ければ最高の楽しみです。

うちょうらん

2009年12月10日 | 山野草







やないラン展(般若姫)

2008年03月31日 | 【Orchid】
フラワーランドにてラン展開催。ディスプレイで「般若姫伝説」をアレンジしました。
今から1400年前の昔、般若姫は豊後の国(大分県)三重の郷に住む満野長者夫婦の娘として幸せに暮らしていました。その美しさは都をはじめ唐の国まで知れ渡るようになりました。ある時、難病に犯された姫を「やぶさめ」の神事で治した「橘豊日皇子」(後の用明天皇)と結ばれる事となり、すぐに子を授かりましたが、皇子は程なくして長い間留守にしていた都に帰らねばならなくなりました。
 皇子は「もし生まれた子が男であれば世継ぎにするので、一緒に上洛し、もし女であれば長者の家の後継ぎとするので、姫一人で上洛するように。」と言葉を残し都へと向かいました。
 程なくして「玉絵姫」と言う大変かわいい姫を授かった般若姫は、皇子の言い付け通り姫を残し旅立つのでした。


120艘もの船と多くのお供を姫に与えた長者夫婦は、姫岳からその船団を見送りました。 順調な旅となる筈でしたが大畠の瀬戸(山口県)にさしかかった姫の船団は大きな嵐に見舞われます。この嵐で多くのお供を亡くしてしまった姫は大変嘆き悲しまれました。何日も止まない嵐に衰弱した姫は、一寸八分の金の観音像に祈りを捧げました。すると声が聞こえます。
この嵐も姫の難病も、満野長者が潰した池に住んでいた金龍神の怒りである。鎮めるには姫の命を捧げるしかない・・・。」
 姫は大変悩みました。しかし、多くのお供を失い、終に決心します。
 「二度とこのようなむごい事故が起らないよう、瀬戸の守り神となります。私の亡骸は向こうに見えるあの山に葬って下さい。」
 姫はお供の制止を振り切り渦に身を投じました。
 やがて嵐は嘘のように静まり、知らせを聞いた皇子も長者夫婦も大変嘆き悲しまれました。
 遺言どおり姫の指差した神峰山にお墓が建てられ、皇子と長者は弔いの為に、姫の念持仏「金の観音像」を納め般若寺というお寺を建立しました。
 それから長者は姫の供養の為に、臼杵(大分県)に祇園精舎を模した石仏群を生涯かけて作りました。(一部国宝)
 般若姫の魂は1400年経つ今も、大晦日に火の玉(龍燈)となって瀬戸より飛来し、般若寺の観音堂に帰って来ると伝えられています。
 そして般若姫は、今も変わらず瀬戸を行き来する船の「乗るべき潮路」、また般若寺に参詣する人々の「進むべき道」を示し見守り続けておられます。
特別霊場札所(山口県平生町) 神峰山 用明院 般若寺


この物語のイメージとおりの蘭があります。
C.Hannyahime ‘Syaotenn’   般若姫 ‘シャオテン’ です。




やないラン展

2008年03月19日 | 【Orchid】
柳井フラワーランドで山口県蘭協会主催のラン展があります。

ホトケノザ

2008年01月09日 | 路傍の草花
「ホトケノザ 靴で踏みつけ 罰当たり」
葉の形が仏像の蓮の花をかたどった蓮華座(れんげざ)に似ていることから付けられたそうです。


花期は、普通3月から6月なのですが、冬が暖かい南向きの陽だまりでは1月から咲いてしまいました。
セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これぞ春の七草と歌われているホトケノザは別の種類です。


我が家の孫たちは、ホトケノザでよく遊んでいます。
花だけをとり、吹くと「ぴー」と高い音が鳴り笛になります。しかも吸うと蜜が甘くおいしいので、チュウチュウと吸っています。別名チュウチュウバナの由縁です。


新春洋蘭展

2008年01月06日 | 【Orchid】
第39回新春洋蘭展のご案内
平成19年12月29日 読売新聞 「岩柳かわら版」から転載

新年の挨拶

2008年01月01日 | 【Orchid】

よいお年を

2007年12月29日 | Weblog

錦秋の嵯峨路 大徳寺-1

2007年12月18日 | ミニ同窓会



大覚寺は「いけばな嵯峨御流」でも有名であるが、これは嵯峨天皇がとりわけ菊の気品ある姿と香りを好まれ瓶に活けられたことが、嵯峨御流いけばなの始まりとされている。堂宇が建ち並び『旧嵯峨御所』として知られるだけでなく、『般若心経』に『いけばな嵯峨御流』と、嵯峨天皇そして後宇多天皇によって代表される御所の伝統精神が大覚寺の格式ある文化の源ともなっている。





錦秋の嵯峨路 常寂光寺-2

2007年12月08日 | ミニ同窓会






仁王門から石段へと、まさに天空にひろがるようなモミジは圧巻、そして舞い落ちたモミジが苔の上に、しきつめられ輝いている。

錦秋の嵯峨路 常寂光寺-1

2007年12月07日 | ミニ同窓会






『百人一首』で知られる小倉山の中腹にある常寂光寺は、日蓮宗の寺。もとは藤原定家の山荘、時雨亭があったところと伝えられ、16世紀末に日(にっしん)がこの地に隠棲したことにはじまる。角倉家が土地を寄進し、小早川秀秋らが堂宇の建立に寄与したという。本圀寺から移築された仁王門は南北朝時代の藁葺きの門で、晩秋に、紅葉が散りかかる風情は定家の和歌の世界を思わせる。ここは京都屈指の紅葉の名所でもある。