コミュニティ☆ロード 徒然Blog (in京都文教大学☆)

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コミュコミュ秋学期初活動!

2006-10-24 02:15:10 | 臨床心理学研究会
今回は、コミュコミュとデスケに属するロードの顔?の太郎です
久しぶりのコミュコミュでした。
 9月の合宿を経てメンバたちとは大分なかよくなったので、また違った雰囲気での活動になるかと思いましたが、そんなに差は感じられませんでした。
 やはり最勝殿、濱野先生、という条件設定が強いのでしょう。この二つの要素がもたらす適度な緊張感は、活動には必要不可欠なものに思われます。
 ちなみに少人数での活動でした。

 活動の始めに私たちがやったことについては以下です。画面の前のあなたも是非やってみてください。
 まず両手の指を全部組み合わせます。指と指のあいだのスリットに反対側の指を入れた状態で、ぐっと握り合う感じです(伝わるかな?)。
 その状態で両の人差し指を立てます。この時、二つの指の間にはどの程度でもいいので間隔を開けます。
 そのまま少し待つと……どうでしょう。
 二つの指がまるで磁石のように、自然と引かれ合い、徐々にくっついてゆきます。最後には指紋と指紋と優しいキスが待っています。不思議でしょう? 何遍やっても同じです(むしろ同じじゃないほうが不思議ですが)。この運命に抗うことはできません。それこそ指の進行方向の反対側に、自然法に反するような勢いで思い切り力を入れたり、組んだ指を解いたりすれば、話は別ですが、ぐっと閉じるのを我慢する程度では、すぐに陥落します。
 実はこれ、指をぐっと組んだ状態では、立てた人差し指のあいだの間隔は開いているより閉じている方が自然なのです。つまり、開いている状態の方がむしろ無理をしているというわけです。超自然的な現象とかではありません。
 ちなみに指のくっつきやすさには個人差がかなりあるようです。私はあんまりくっつかない方でした。

 さて、この指が自然にくっついてゆくという現象。何かにたとえられませんか?
 艱難辛苦を乗り越えて、最終的には結ばれる運命の恋人たち?
 まあ、それでもいいかも知れませんが、こんなのはどうでしょう。
 指の間隔が開いている状態を学校にいけている状態。
 指同士がくっついている状態を、学校にいけてない、つまり不登校状態。
 つまりこの現象は、学校に無理していっていた人が、だんだんといけなくなって最終的に完全登校拒否に至るまでのプロセスにたとえられるということです。
 たとえられました。だからどうなんでしょう?
 こうです。
 我々は学校に籍をおいているものは学校にいくことが自然だと思っています。大抵そうだと思います。特に義務教育課程では。
 しかし不登校という問題は現実としてあります。
 さて、ここに不登校の問題について考えていた人がいたとしましょう。なかなか難しい問題で、頭を悩ませ苦しんでいることとします。
 しかし、その人が指のくっつく現象を発見したとしましょう。さらに、そこで指の現象と不登校を結びつけて考えようとしたら……
 分かりますよね、発想の転換がおこなわれるのです。つまり学校にいくのは極めて自然なことだ、という発想が覆されるわけです。
 もちろん指の現象と不登校は似て非なるものなので、指の現象をどんどん研究していくと、不登校の問題についても理解できるということはないでしょうが、発想が転換したことで、この人の思考は一歩前進したことになります。
 
 ある何かをそれに類似した全く別の何かと結びつけて考えるという思考やそれによる表現。これをメタファ(隠喩、隠喩法)といいます。人間の脳には元々、こうした思考を可能とする機能が搭載されています(これもメタファですね。機械か何かにたとえています)。
 このメタファのセンスというのは、臨床心理学において、非常に重要になってくるそうです。もちろん臨床心理学以外でも、いっぱい役に立つでしょう。
 新たなアイデアとは領域の違うもの同士の結びつけによって、多く生まれますし、メタファを用いた説明は非常に明解です。先ほどの不登校の話ですが、逆に不登校児が、学校にいくのが辛いと伝える時にも指の現象との類似は役に立つでしょう。自分の苦しみを他人に簡単に伝えられるということは、その人にとってとても幸せなことだと思います。
 あー、それにしてもこのレポートの内容をそっくりそのまま表すようなメタファがあれば楽でいいのに。

コミュ合宿!~肝試しは最高!?~

2006-10-10 12:29:34 | 臨床心理学研究会
今回は、臨床1回ながら、心理学の知識は、上回生以上?の木村和樹こと、キムケーです!
 
 今回、9月4日から5日の二日にかけてコミュコミュで合宿が行われました。通常の勉強会では2時間しか時間が使えないので、いつもはできないことをしよう!ついでに夏休みなので遊ぼう!というのが目的のようです。場所は京都ゼミナールハウスで、涼しくて静かな、とても落ち着くところでした。
 1日目、活動はまず、自己紹介から始まりました。ただ、普通の自己紹介と違うのは、「他のメンバーみんなからひとつずつされる質問に正直に答える」という方法で自己紹介を行うということです。はじめのうちは、趣味や最近見た映画など、答えやすい質問が多いのですが、ひとりふたりと自己紹介が終わるうち、「自分の性格についてどう思う?」「好きな人のタイプは?」など、だんだんとつっこんだ質問が多くなっていきます。僕は、自分が後のほうの順番であることにうなだれつつその様子を見ていました。そして結局、悪い予感がしたとおりつっこんだ質問もされ、正直なところ少しこたえました…。この自己紹介の重要な意味のひとつは、他人の普段はわからない一面を知り、それによってメンバー同士より知り合えることだと思いますが、結局自分のことで精一杯でほかの人が何言ってたかなんてほとんど覚えていませんでした…。
 つづけて行われたのは、5,6人ずつ3グループに分かれ、「5人のキャラクターの登場する短いストーリーを読み、不快だと思う順にそのキャラクターを並べる。その後グループのメンバーと話し合ってそのグループでの順位を決め、他のグループに発表する」というワークでした。
僕は、絶対この順番しかないだろう、だいたいみんなこの順番になるだろうと思い順位を決めたのですが…グループのみんなの順位を発表し合ってみると見事に全員バラバラ。話を聞いてみると、ストーリーの状況をどれだけリアルに考えるか、書かれている内容からキャラクターのどんな感情を汲み取るか、などが人によって大きく違い、それがさらに順位に大きく影響を与えているようです。グループでの順位を決めるときもそれらがネックになって、スムーズに進むというわけにはいきませんでした。そして、それなりに議論を尽くし、決まった順位を他のグループに発表してみるとまたさらにバラバラ。
 短い文章の中から感じることが、人によってこんなにも違うものか…。正直ショックでした。ある程度みな同じような順番になると思っていただけに、そのショックもより大きなものになったような気がします。「自分と他人との圧倒的な差、他人との間にそびえたつ壁」のようなものを感じました。しかし、それと同時に、他人と自分がどう違っているかを強く意識することができました。
 1日目の長い勉強も終わり、ここからやっと遊びになります。まずは花火から始まりました。かなりの分量があったように思いますが、さすがに16人もいるとあっという間に花火もなくなってしまいました。線香花火もいいですが次はロケット花火とかもっと派手なやつもやりたいですね。
 さて、次は肝試し。お化け役の中野さんがやけにはりきっておりました。松田さん曰く、「人をおどかすことに命を懸けている」そうです。どんな風におどかされるのかと心配しつつ夜道を歩いていたんですが、中野さん、隠れる場所が悪く出遅れてしまったようです。他のお化け役も出てくる前に見つけてしまい、ほっとはしたんですが…何ともいえない感じでした。それにしても中野さんがしがみついて隠れていたところの下はふつうに崖でした…。「命を懸けている」というのはどうやら本当のことだったようです。しかし、回を重ねるごとにお化け役もうまくなっていったようで、後続の人の悲鳴が、あたりにひびきわたっていました…。
 部屋に戻った後、みんなで持ち寄ったお菓子を囲んで、酒を飲みながら語り合いました。先輩方の話は心打たれるものばかりで、聞いているうちにどんどん時間は過ぎ、気がつけばほとんど朝になっていました。
 2日目、日ごろの疲れと前の晩の夜更かしで心なしみんな口数が少なかったように思いますが、そんな中、1日目のように3つのグループに分かれ、ワークが行われました。
「ある島にそれぞれ条件の違う3つの国があり、そのなかからひとつ選び、国名を考え、閣僚を決め、他の国との関係を考えつつその国がうまく発展するように開発をする」という内容です。このワークの特徴は、かなり現実的な条件が与えられてはいるが、実はほとんど何を自由にやってもよいということです。
僕はかなりの制約を無意識のうちにかけてしまっていました。与えられた地形は変えてはいけないだろう、とか、空を飛ぶのは反則だ、とか…。他のグループの自由な発想、あるいはワーク後のシェアリングで、僕の中の「無意識の制約」に気づいたことは、僕にとって大きな意味をもっていたように思います。自分が小さな枠でしか考えられなかったことを知ったのは、悔しくもあり、また自分自身を少しでも知れたことはうれしくもありました。
 勉強はこれで終了です。今回やったようなグループワークの最も重要な目的のひとつは「自分を知ること」だと聞きます。その目的にかなったのかどうかはわかりませんが、このワークで自分というものを強く意識することとなりました。今回、グループワークという、何が目的かよくわからないゲームのようなものが、どれだけ大きな力をもっているのかを思い知りました。
 昼食を終え、最後に行った遊びは3チームに分かれてのオリエンテーリングですが、初めての土地を、地図とコンパスだけをたよりに歩き回るのは難しく、チェックポイントをひとつ見逃すという失態をやらかしてしまい、チームのみんなに迷惑をかけてしまいました。最後を失敗で終えるあたりもまた自分らしいなと思います。これもきっと「自分を知ること」の一環なんでしょう…。
 
 そして京都ゼミナールハウスをあとにし、合宿は終了となりました。
今回の合宿は僕にとって本当に実り多いものとなりました。この合宿で知り、考え、感じたこと、すべてに意味があるように思えます。きっとみんなそれぞれに合宿に意味を見出したことと思います。行ってよかったと本気で思える合宿であったこと、感謝してます。
皆さんお疲れ様でした。