今回は、コミュコミュとデスケに属するロードの顔?の太郎です
久しぶりのコミュコミュでした。
9月の合宿を経てメンバたちとは大分なかよくなったので、また違った雰囲気での活動になるかと思いましたが、そんなに差は感じられませんでした。
やはり最勝殿、濱野先生、という条件設定が強いのでしょう。この二つの要素がもたらす適度な緊張感は、活動には必要不可欠なものに思われます。
ちなみに少人数での活動でした。
活動の始めに私たちがやったことについては以下です。画面の前のあなたも是非やってみてください。
まず両手の指を全部組み合わせます。指と指のあいだのスリットに反対側の指を入れた状態で、ぐっと握り合う感じです(伝わるかな?)。
その状態で両の人差し指を立てます。この時、二つの指の間にはどの程度でもいいので間隔を開けます。
そのまま少し待つと……どうでしょう。
二つの指がまるで磁石のように、自然と引かれ合い、徐々にくっついてゆきます。最後には指紋と指紋と優しいキスが待っています。不思議でしょう? 何遍やっても同じです(むしろ同じじゃないほうが不思議ですが)。この運命に抗うことはできません。それこそ指の進行方向の反対側に、自然法に反するような勢いで思い切り力を入れたり、組んだ指を解いたりすれば、話は別ですが、ぐっと閉じるのを我慢する程度では、すぐに陥落します。
実はこれ、指をぐっと組んだ状態では、立てた人差し指のあいだの間隔は開いているより閉じている方が自然なのです。つまり、開いている状態の方がむしろ無理をしているというわけです。超自然的な現象とかではありません。
ちなみに指のくっつきやすさには個人差がかなりあるようです。私はあんまりくっつかない方でした。
さて、この指が自然にくっついてゆくという現象。何かにたとえられませんか?
艱難辛苦を乗り越えて、最終的には結ばれる運命の恋人たち?
まあ、それでもいいかも知れませんが、こんなのはどうでしょう。
指の間隔が開いている状態を学校にいけている状態。
指同士がくっついている状態を、学校にいけてない、つまり不登校状態。
つまりこの現象は、学校に無理していっていた人が、だんだんといけなくなって最終的に完全登校拒否に至るまでのプロセスにたとえられるということです。
たとえられました。だからどうなんでしょう?
こうです。
我々は学校に籍をおいているものは学校にいくことが自然だと思っています。大抵そうだと思います。特に義務教育課程では。
しかし不登校という問題は現実としてあります。
さて、ここに不登校の問題について考えていた人がいたとしましょう。なかなか難しい問題で、頭を悩ませ苦しんでいることとします。
しかし、その人が指のくっつく現象を発見したとしましょう。さらに、そこで指の現象と不登校を結びつけて考えようとしたら……
分かりますよね、発想の転換がおこなわれるのです。つまり学校にいくのは極めて自然なことだ、という発想が覆されるわけです。
もちろん指の現象と不登校は似て非なるものなので、指の現象をどんどん研究していくと、不登校の問題についても理解できるということはないでしょうが、発想が転換したことで、この人の思考は一歩前進したことになります。
ある何かをそれに類似した全く別の何かと結びつけて考えるという思考やそれによる表現。これをメタファ(隠喩、隠喩法)といいます。人間の脳には元々、こうした思考を可能とする機能が搭載されています(これもメタファですね。機械か何かにたとえています)。
このメタファのセンスというのは、臨床心理学において、非常に重要になってくるそうです。もちろん臨床心理学以外でも、いっぱい役に立つでしょう。
新たなアイデアとは領域の違うもの同士の結びつけによって、多く生まれますし、メタファを用いた説明は非常に明解です。先ほどの不登校の話ですが、逆に不登校児が、学校にいくのが辛いと伝える時にも指の現象との類似は役に立つでしょう。自分の苦しみを他人に簡単に伝えられるということは、その人にとってとても幸せなことだと思います。
あー、それにしてもこのレポートの内容をそっくりそのまま表すようなメタファがあれば楽でいいのに。
久しぶりのコミュコミュでした。
9月の合宿を経てメンバたちとは大分なかよくなったので、また違った雰囲気での活動になるかと思いましたが、そんなに差は感じられませんでした。
やはり最勝殿、濱野先生、という条件設定が強いのでしょう。この二つの要素がもたらす適度な緊張感は、活動には必要不可欠なものに思われます。
ちなみに少人数での活動でした。
活動の始めに私たちがやったことについては以下です。画面の前のあなたも是非やってみてください。
まず両手の指を全部組み合わせます。指と指のあいだのスリットに反対側の指を入れた状態で、ぐっと握り合う感じです(伝わるかな?)。
その状態で両の人差し指を立てます。この時、二つの指の間にはどの程度でもいいので間隔を開けます。
そのまま少し待つと……どうでしょう。
二つの指がまるで磁石のように、自然と引かれ合い、徐々にくっついてゆきます。最後には指紋と指紋と優しいキスが待っています。不思議でしょう? 何遍やっても同じです(むしろ同じじゃないほうが不思議ですが)。この運命に抗うことはできません。それこそ指の進行方向の反対側に、自然法に反するような勢いで思い切り力を入れたり、組んだ指を解いたりすれば、話は別ですが、ぐっと閉じるのを我慢する程度では、すぐに陥落します。
実はこれ、指をぐっと組んだ状態では、立てた人差し指のあいだの間隔は開いているより閉じている方が自然なのです。つまり、開いている状態の方がむしろ無理をしているというわけです。超自然的な現象とかではありません。
ちなみに指のくっつきやすさには個人差がかなりあるようです。私はあんまりくっつかない方でした。
さて、この指が自然にくっついてゆくという現象。何かにたとえられませんか?
艱難辛苦を乗り越えて、最終的には結ばれる運命の恋人たち?
まあ、それでもいいかも知れませんが、こんなのはどうでしょう。
指の間隔が開いている状態を学校にいけている状態。
指同士がくっついている状態を、学校にいけてない、つまり不登校状態。
つまりこの現象は、学校に無理していっていた人が、だんだんといけなくなって最終的に完全登校拒否に至るまでのプロセスにたとえられるということです。
たとえられました。だからどうなんでしょう?
こうです。
我々は学校に籍をおいているものは学校にいくことが自然だと思っています。大抵そうだと思います。特に義務教育課程では。
しかし不登校という問題は現実としてあります。
さて、ここに不登校の問題について考えていた人がいたとしましょう。なかなか難しい問題で、頭を悩ませ苦しんでいることとします。
しかし、その人が指のくっつく現象を発見したとしましょう。さらに、そこで指の現象と不登校を結びつけて考えようとしたら……
分かりますよね、発想の転換がおこなわれるのです。つまり学校にいくのは極めて自然なことだ、という発想が覆されるわけです。
もちろん指の現象と不登校は似て非なるものなので、指の現象をどんどん研究していくと、不登校の問題についても理解できるということはないでしょうが、発想が転換したことで、この人の思考は一歩前進したことになります。
ある何かをそれに類似した全く別の何かと結びつけて考えるという思考やそれによる表現。これをメタファ(隠喩、隠喩法)といいます。人間の脳には元々、こうした思考を可能とする機能が搭載されています(これもメタファですね。機械か何かにたとえています)。
このメタファのセンスというのは、臨床心理学において、非常に重要になってくるそうです。もちろん臨床心理学以外でも、いっぱい役に立つでしょう。
新たなアイデアとは領域の違うもの同士の結びつけによって、多く生まれますし、メタファを用いた説明は非常に明解です。先ほどの不登校の話ですが、逆に不登校児が、学校にいくのが辛いと伝える時にも指の現象との類似は役に立つでしょう。自分の苦しみを他人に簡単に伝えられるということは、その人にとってとても幸せなことだと思います。
あー、それにしてもこのレポートの内容をそっくりそのまま表すようなメタファがあれば楽でいいのに。