シーラカンスの憂鬱

照る日もあれば、曇る日もあるんだし…

『街の風景』

2005年04月25日 | 音楽
1992年4月25日の夕暮れ時。
その日の僕は、
普段通りに仕事をこなし、家路を辿る駅のホームにいました。
隣の列に並ぶサラリーマンが開いていたスポーツ新聞の夕刊に
何気なく目をやった僕の脳内に突然飛び込んで来た"ある文字の羅列"は、
すぐには理解不可能なものでした。

   『尾崎豊、死去』

僕は自分の目を疑いながらも
電車を待つ人の群れから抜け出し駅の売店に走りました。
陳列されていた幾つかのスポーツ新聞を手に取りながら、
それらのどの新聞にも表示されていた容易に確認出来た文字。

   "尾崎豊"という名前の後ろに続く
         突き落とされる様な"死"という文字。

日本の音楽シーンを揺るがせた衝撃的な報道。
僕を含めた全ての尾崎豊さんのファンたちが
受け止めなければならなかったあまりにも突然で悲しい事実。
毎年この日が訪れる度に僕の胸が軋み、泣き出してしまいます。

   "尾崎豊の命日"

自分が愛している人間の"死"にまつわる心の情景を
言葉や文章にして表現する事は決して易しい事ではありません。
また、そうする事に今の僕には絶対なる必要性も存在しません。
でも、
"尾崎豊"という
一人のミュージシャンから発せられた情熱的な生き様に
心を震わせながら磨かれた宝の様な精神愛すべき音楽たち
自分の中から発信し共有したいという衝動に駆られてしまいます。

衝撃と涙にまみれたあの日からもう13年。
そんなに時が流れてしまったという事が信じられない程
僕の中の"尾崎豊"は、彼の存在を知った頃と同じ輝きを放ちながら
現在も歌い続け叫び続けています。

買い込んだ新聞を握り締め
電車の窓からぼんやりと眺めた
沈みかけた夕日と闇のグラデーション。
涙で滲んだあの日の流れ行く遠い街の風景。
心に刻まれたあの日の街の風景を忘れる事はきっと無いでしょう。

  十七歳の地図

『街の風景』
作詞・作曲/尾崎豊
アルバム『十七歳の地図』(1983年12月1日発売)のオープニング・ナンバー。

◆『尾崎豊』関連のエントリー◆

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4 コメント

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人生は五線紙さ♪ (someday)
2005-04-25 22:05:33
生前から好きだった人はこんな感じだったんですね。

想像でしかないけれど僕も同様の立場だったらどうしようもなく打ちのめされたでせう。

でも例え死後でも出会えたことと、今、この歳で聴いてもちゃんと心に響くことは幸福なことだと思います。

ちなみにこのアルバムの中でいちばん好きなのは

15の夜でも十七歳の地図でも僕が僕で…でもなく

傷付けた人々へだったりします。

何故だかあんまり取り上げられないですけど。
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☆君の涙の美しさにありがとう☆ (coelacanth0707)
2005-04-25 22:57:04
someday様♪

コメントありがとうございます。



あの日の僕は、

実感が無いまま

殆どの思考能力を失い呆然としていました。

おそらく僕の心が、

尾崎豊さんの"死"を受け入れようとしなかったのだと思います。

それから、

翌日や翌々日に報道される

雨の中の葬儀の模様を観ながら

泣きじゃくる女の子たちや叫び続ける男たちの姿に

煽られる様に深い悲しみの淵に僕も突き落とされました。



someday様は尾崎豊さんの没後に彼と出会う事になったんですね。

彼の音楽が生き続けている素晴らしい証拠と言えるのかも知れません。



『傷つけた人々へ』は、僕も凄く好きな曲です。

正直な彼の潔さみたいなものが僕の気持ちを弾ませてくれた曲です。

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もうそんなに・・・ (アイン)
2005-04-25 23:22:34
もうそんな月日が流れたんですね。

時間が経ち、心が落ち着いた頃友人と二人で狭山湖畔霊園へ行きました。

それも随分昔の事の様に思えてしまう位の時間を自分も過ごしました。

でも不思議なもんですね。

ちゃんと目の前のCDラックにはCDが並んでいてすぐに手にとって聴ける訳ですから。。。

存在とはスゴイことです。。。
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☆早いですよね☆ (coelacanth0707)
2005-04-25 23:40:58
アイン様♪

コメントありがとうございます。



26歳で亡くなった尾崎豊さんが生きていたなら39歳ですね。

きっと彼の音楽は、

少しずつ形を変えながらも

10代の頃に作った曲に存在している《精神》を

一本芯として貫いた曲を聴かせてくれたのではないかと思います。

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