気ままに生きてます 2

日々のつぶやきと旅日記です

私の脳腫瘍の記録 3

2015-07-08 12:56:30 | 悪性脳腫瘍の記録
平成15年3月4日に開頭手術をしました。


私もボケボケで、
手術前まで理解していなかったんです


開頭手術ってことは
丸坊主にするって、、


今回はそうではありませんでしたが、

12年前はそれが当たり前だったようで、

手術前
看護士さんに、

さあ
今から髪の毛を剃るね!


と、言われた時、

正直にショックで、
なぜか
アウシュビッツ収容所の
丸坊主の女の方々を思い出してしまいました。


あの方々は

私とは比べられないくらいの
恐怖で日々過ごされていたんだと
思います。

でも、
何故かアウシュビッツが出てきてしまい、
私は普段 ショートカットか
ボブスタイルなんですが、

それでも
大変
ものすごく悲しかったんです


丸坊主姿で

お昼から手術となりました


全身麻酔なので、
寝ている間に手術は終わるんですが、

家族がいつまでも
手術室から出てこない。

と、
心配していたそうです。

私も一応、
あの時は母が付き添ってくれてましたが、

行ってくるね!


と、
簡単な手術だと思ってました。


やはり
また、ボケボケだったんですよね。


開頭手術の意味が
手術を終えて
目覚めてから気づいたんです。


頭蓋骨に
チタンのボルトが入ってるんです!
3つも!


知らぬが仏ですね。


手術すれば
すぐに治ると思っていたのも
お気楽すぎまして、

頭痛が更にひどくなってるんです


しかも、
全部取りきれてないから

全部取ると、
麻痺が残るから
取れないと、、、


それからが
車椅子生活が始まりました。


しかも、
頭も混乱しているのか、

母に
りんごが食べたいと言ってるのに、
みかんだったり、

と、
頭で考えている事と、
言葉が違うんです


お見舞いに
職場の上司が来てくださったのですが、

一言話すのに、
5秒10秒と、

明らかに今までのような
早口な話し方では、
なかったので、

その上司は

もう私はダメだと思ったそうなんです。


主人に車椅子を押してもらい、
頭痛はひどいし、

しかも3月は長男の卒業式、、、


行ける訳もなく、

長男には申し訳ないことをしてしまいました。

でも、
三男の卒園式は
24日くらいだったので、
その頃にはなんとか
車椅子生活が終わってましたので、
外出許可をもらい
行くことは出来ましたが、

やはり

帽子は脱なかったです


ただ、

やはりしんどくなりましたので、

それぞれの

小学校入学式
中学生入学式には

主人や母に行ってもらいました


長男は
母に3歳まで育ててもらってるので、

長男は
大阪の私立中学に入学したのですが、

母もまだ、若かったので、
入学式に代わりに出席してくれて、
感慨もひとしおだったはずです。


三男の入学式には
主人が行ってくれました。


今回の再発も
全く同じパターンだったのです。

長男は大学卒業
三男は高校卒業


三男の高校には主人が行きましたが、
結局 写真を撮らなかったみたいで、

息子も主人が来ていたのは
知らなかったみたいで、、、


三男が大学に入院した
4月1日は
私が退院した日で

結局誰も入学式には行けなくて、、

保護者説明会とかもあったのですが、
悪いことをしたと
思ってます。


話は戻りますが、

病室には脳腫瘍で倒れてから救急車で
運び込まれた方もいらっしゃり、
手術されましたが、
倒れてからなので、
半身不随になっておられました。

私は、頭痛はありましたが、
話は出来るので

その方の話し相手になってくれないかな?

と、
主治医の先生がおっしゃったので、
いろいろ話をしていたら
通訳レベルにまでなりました

大げさかもしれませんが、
私がその方のリハビリを任された感じですね

私にはリハビリは無かったです。

回復を待つのみですが、
頭痛はずーっと続いてました。

6人部屋でしたが、

誰ともめることも無く、

どちらかというと
こちらの部屋の雰囲気が明るいね

と、看護士さんに言われるような
感じでした


入院して54日目だったかな?

ちょっとハッキリとは
思い出せませんが
ようやく
退院することになりました。

ただ、
退院時に

主治医が

もうちょっと入院しててもいいねんけど。


って言う言葉が、
本当に現実になりまして、
5月に再入院してしまいました。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿