新・静かな町

まとめ/記事資料
2012.2.23より

【週刊朝日 2011年9/2号記事】 「公文書で判明した米核戦略の深層」 高橋博子氏

2012-04-15 23:11:06 | まとめ/記事転載

いまさらだが、去年の9月、「週刊朝日」に掲載された広島市立大平和研の高橋博子氏の記事をテキスト化した。(管理者)



高橋 博子
職:講師
専門分野:アメリカ史
出生地:兵庫県西宮市
著書:「〈新訂増補版〉封印されたヒロシマ・ナガサキ」

広島市立大学 広島平和研究所




 

ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ…フクシマ
公文書で判明した 米核戦略の深層
悪評高い「許容量20ミリシーベルト」の原点


日本政府は福島第一原発事故の対応策で、あちこちから批判を浴び続けている。この不可思議な行動は、源流をたどればヒロシマ・ナガサキ以来の米核戦略に行き着く。米政府は核兵器を非人道的と非難されないように、被曝の実像を隠してきたのだ。米公文書が明らかにした。

広島市立大学広島平和研究所講師 高橋博子


 福島第一原発事故を受けて、文部科学省が公表した小中学校や幼稚園などの施設に対する「年間被曝線量20ミリシーべルト」という暫定基準は、事故収束後においては「年間1~20ミリシーベルト」と国際放射線防護委員会(ICRP)が提唱する推奨値を参考に決められた。その後に反対運動が起こり、5月27日に「1ミリシーベルト以下をめざす」としながら、この上限値は撤廃していない。原発労働者でも被曝することがないほどの基準を学校児童に適用しているのは、別の言い方をすれば、原発による被害を少なくみせかけるために、子どもたちが「動員」させられているのである。
 数値の根拠を示したICRPとは、どういう組織なのだろうか。
 1950年に初会合が開かれたICRPは、米国放射線防護委員会(NCRP)議長のL・S・テイラーが中心となって組織された。NCRPは46年に発足。広島・長崎の原爆を開発したマンハッタン計画で、プルトニウムを人体へ注射するなどの放射能人体実験にも携わった海軍大佐スタッフォード・ウォーレン(同計画の医学部長)らが執行委員となっていた。
 つまりICRPは、米国の核戦略の強い影響力を受けて発足したといえる。放射線影響史が専門の中川保雄は『放射線被曝の歴史』(技術と人間)の中で〈ICRPとはヒバクは人民に押しつけ、経済的・政治的利益は原子力産業と支配層にもたらす国際委員会である〉として、ICRP発足の経緯そのもからして、マンハッタン計画やそれを引き継ぐ米原子力委員会(AEC)の影響が大きい組織だと指摘した。そうした組織の基準が、国際的だとして福島県内の子どもたちに適用されているのだ。
 広島・長崎への原爆投下から66年、ICRPの背後にある米国の核戦略は、原爆の威力は強調しつつ、その残虐性・非人間性は巧みな手段で隠蔽する、という考え方が貫かれてきた。筆者は、米国立公文書館での調査や米エネルギー省のサイトから、米国が最も隠そうとした核兵器の恐怖、すなわち放射線の人体影響に関する資料収集・分析を、90年代から行っている。米紙アルバカーキー・トリビューン紙の記者アイリーン・ウェルサムが93年から「プルトニウム人体実験」の実態を報道したことを受けて、米エネルギー省が関連する資料を公開のため米国立公文書館に移し始めた時期である。
 これらの資料を読み解くと、核兵器による放射線の人体への影響が、いかに人為的に過小評価されてきたのかが浮き彫りになる。こちらから積極的に入手しないと、証拠資料が永遠に埋もれてしまうことに対する恐ろしさも感じる。多くの人に事実を知ってもらうために一端を紹介したい。
 まずは広島・長崎で原爆の放射能の被害がいかに隠されてきたかを振り返る。
 原爆について、日本政府は投下直後の45年8月10日、「(従来禁止されてきた)毒ガスその他の兵器をはるかに凌駕しをれり」と、スイス政府を通じて米政府に抗議文を出した。1907年にオランダ・ハーグで署名され、「不必要の苦しみを与える兵器、投射物その他の物質」などを禁じた「陸戦の法規慣例に関する規則」を引用したものだ。
 そして日本占領とともに、広島や長崎を海外のジャーナリストが取材しはじめた。同年9月5日付の英紙デイリー・エクスプレスで、ジャーナリストのウィルフレッド・バーチェットによる「原爆病」という記事が掲載される。
 〈広島では、最初の原子爆弾が都市を破壊し世界を驚かせた30日後も、人々は、かの惨禍によってけがを受けていない人々であっても「原爆病」としか言いようのない未知の理由によって、いまだに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている〉

日本側の抗議に全面否定の声明

 これに対して、米政府も動いた。米紙ニューヨーク・タイムズは9月13日付で、「広島の廃墟に放射線なし」と題し、マンハッタン計画副責任者の記事を掲載した。〈陸軍省原爆使節団長のトーマス・ファーレ准将は、爆撃された広島の調査後、秘密兵器の破壊的な力は調査者が予想したよりも大きかったと本日報告した。しかし彼は、廃墟の街に危険な残留放射線を生じさせたり、爆発時に毒ガスを発生させたりしたことを全面的に否定した〉
 日本政府が原爆を国際法違反だとする批判や、裏付けとなる報道を意識して、それを否定するために出された声明である。これを支えたのは、先述のマンハッタン計画のウォーレンだった。ファーレルはウォーレンから聞いたとして、
「(広島の原爆は)はるかに高いところで爆発したことが、地上に多くの放射能が沈殿することを妨げ、同時に兵器としての爆風効果を増大させたと信じられる」
 と述べている。
 ウォーレンたちは9月8日から10月上旬までの調査で、「重大もしくは危険な程度の放射能はなかった」と報告した。ここでの数値は、9月中旬の枕崎台風で残留放射能がかなり流された後に計測したものが採用された。原爆による物理的な破壊状況を調べた米戦略爆撃調査団の報告書で〈ウォーレンは放射線による死傷率を低く見積もっている〉と書かれたように、米軍のなかでも、放射線の人体への影響について、楽観的な見解を出す科学者だった。
 ウォーレンは46年、マーシャル諸島ビキニ環礁で実施された米原爆実験「クロスロード作戦」の放射線安全対策の責任者にもなった。広島・長崎の調査とビキニ環礁での原爆実験を、先述の人体実験と同時進行で行っていたのだ。
 クロスロード作戦でウォーレンは放射線安全偵察隊に対して、「2週間で500~600ミリシーベルト」という被曝の基準を設けた。現在、日本人の一般人の年間許容被曝限度は法律で1ミリシーベルトとなっているのだから、この基準は、まさにけた外れに高い。広島・長崎での放射線の影響を過小評価するための論拠を提供したような人物が、原爆実験で「安全基準」を設定したのである。
 作戦では若い兵士たちが、汚染された戦艦を洗浄したり、沈没した戦艦を撮影したりするなど、彼の「安全対策」のもとで被曝した。その際も外部被曝については測られたが、内部被曝線量は評価されなかった。
 残留放射線の影響については、米国内でも軽視された説明がなされた。49年にソ連(当時)が核兵器を保有すると、50年代に米国内で民間防衛計画が実施される。そこでは核爆発後1分間に発せられる放射線さえ避けられれば、放射線の影響はないこととされていた。
 50年5月11日、米上下両院合同原子力委員会の民間防衛グループのセミナーでは、1~1.5シーベルトで「何人かの人々は吐き気をもよおし」、2シーべルトで半分が病気になり、4~5シーベルトで医療が施されなかった場合半分が死亡し、6~8シーベルトで100%が死亡――1シーベルト(1000ミリシーベルト)まではあたかも大丈夫かのように解説していた。51年に発足した米連邦民間防衛局は、原爆が爆発した瞬間に物陰に伏せて隠れさえすれば助かるかのような説明をしていた。



1946年、美子に環礁での米原爆実験後、
汚染された戦艦を洗浄する兵士たち。


脱毛や紫斑でも「丈夫で幸福そう」

 そんななか、ビキニ環礁では54年3月1日、水爆実験「ブラボー・ショット」を実行した。その放射性降下物によって、マーシャル諸島の住民、米兵、そして第五福竜丸を含めた漁船の乗組員が被曝した。読売新聞の3月16日付の報道で、核実験による第五福竜丸の被災が明るみに出た。
 しかし、核実験責任者のAEC委員長ルイス・ストローズは3月31日、実験は成功したと報告し、第五福竜丸の被災については、
「警戒地域への不注意にもとづく侵入の結果おこった事故」
 と述べた。そのうえ、
「マーシャル諸島の住民236人は、私には丈夫で幸福そうに思えた」
 と、被害はなかったかのような説明をした。
 この声明の前にはすでに、被曝したマーシャル諸島の人々はさっそく「プロジェクト4・1 著しい放射線にさらされた人間の反応に関する研究」の研究対象となっていた。今日、機密扱いだった写真・映像を見ることができるが、住民には放射能が原因と思われる髪の毛の脱落や皮膚の紫斑などの影響が出ている(これらの写真は筆者が情報公開請求によってAECの文書から見つけだした)。当時これらの写真・映像が公開されていたら。だれも「丈夫で幸福そう」だというストローズの声明は信じなかったであろう。
 9月23日には第五福竜丸の久保山愛吉無線長が死亡した。日本側医師は「水爆による最初の犠牲者」としたが、米側は「輸血による肝炎が死因」と発表した。ここでも放射能の被害を隠蔽する米核戦略の方針が貫かれた。
 同年11月、日本学術会議主催の「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」が東京で開催された。米側の出席者は、ほぼAECの科学者であった。記者会見では核実験問題について一切言及しなかったが、AEC生物医学部のワルター・クラウスは汚染除去法として「石鹸と水で十分洗う」と述べ、野菜についても「豊富な水で洗う。皮をむいたり、外側の葉を取り除いたりすることによって汚染を取り除く」と説明した。
 また。「1分間に500カウント(放射線の検出量を表す単位)以下の放射能で食料として十分安全である」と述べた。これは、この年の3月から日本の厚生省(当時)の実施していた、1分間に100カウントを計測すれば漁獲マグロなどを廃棄する方針が厳しすぎると示唆したのである。
 会議に参加したAECのポール・ピアソンは11月20日付の書簡で、「会議の重要な成果の一つは、厚生省が、1分あたり100カウントという現行の安全限度がおそらく厳しすぎるとしたこと」と書いている。実際に年末をもって、日本政府はマグロの調査と廃棄を打ち切った(これらの書簡も筆者が情報公開請求によってAECの文書から見つけだした)。
 その一方で、日米間では55年1月、第五福竜丸の被災について米政府が日本政府に対して法律上の責任の問題と関係なく厚意での「慰謝料」として、200万ドルを提供することで政治決着とされた。
 2月15日には、AECが水爆実験「ブラボー・ショット」についての声明を発表し、放射性降下物の影響を初めて認めた。ただし空中爆発した場合は拡散して無害になるとした。放射性降下物が皮膚や髪や服に付着した場合は、米連邦民間防衛局が説明してきたような迅速な汚染除去の予防措置が危険を大いに減らすとし、その方法について「身体がむき出しになっている部分を洗ったり服を着替えたりするといった簡単な方法も含む」と説明した。
 米政府の考えは、もはや繰り返すまでもないだろう。



マーシャル諸島ロンゲラップ環礁の住民。
中央の女性はのどに斑点が見える。


首相官邸と行政「場当たり的だ」

 福島第一原発事故に話を戻す。発生直後に「緊急作業時における被曝線量」として引き上げられた作業従事者への250ミリシーベルトは、先に述べた46年の核実験「クロスロード作戦」で大量被曝を許した基準(2週間で500~600ミリシーベルト)に近づきつつある数値だ。
 もともと、この線量は、文部科学省の放射線審議会(会長・丹波太貫京都大学名誉教授)が2011年3月26日に妥当と答申したものだ。論拠として使われたのが、500~1000ミリシーベルトを推奨するICRPの2007年勧告だった。
 4月29日、内閣官房参与の小佐古敏荘(東京大学大学院教授)が辞意表明をした際には、冒頭で紹介した学校施設の利用基準が年間20ミリシーベルトであることに対して、
「この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」
 と述べた。
 緊急時被曝の上限についても、官邸と行政機関の「場当たり的な政策決定のプロセス」の結果だと批判した。審議会は今年1月にICRPの勧告と国際原子力機関(IAEA)の基準をもとにした国際的な推奨値500ミリシーベルトとの整合を図るべきと提言し、3月には経済産業相や厚生労働相らの諮問に対して250ミリシーベルトが妥当だと答申したからだ。しかも小佐古によれば、「ところが(官邸と行政機関は)福島現地での厳しい状況を反映して、いまになり500ミリシーベルトを限度へ、との再引き上げの議論も始まっている状況」でもある。小佐古は放射線審議会基本部会の委員で、ほかのメンバー6人のうち2人は東京電力関係者であった。
 審議会も審議会なら、審議会の500ミリシーベルトという提言があるにもかかわらず250ミリシーベルトの妥当性を諮問する政府の行動も不可思議だ。いずれにしても上限が引き上げられる可能性が極めて高いことは明らかである。
 このままいくと原発事故が起これば起こるほど、すでに計画的に準備されているICRPの「緊急時の基準」、すなわち500~1000ミリシーベルトが導入され、被曝許容条件が緩くなってしまう。被曝の問題がより深刻になるのだ。このような、人間よりも原発を守るシステムが優先される国策・社会のあり方そのものが、いま問われている。
 放射線の影響は幼い子どもほど大きい。私自身1歳11ヵ月になる子どもを持ち、子育てしている親の気持ちが痛いほどわかる。妊娠中も、高齢出産であることに加え子宮筋腫を患っていたので、流産および早産のおそれがあり、一週一週を祈るような気持ちで過ごした。一週ごとに胎児が成長している喜びをかみしめた。胎児や子どもたちが放射線に不必要にさらされると思うと、原爆投下という罪を軽くするために加害者側が築いてきたような基準によって、危険に直面させるほどの不条理はない。
 精いっぱい成長しようとしている胎児や子どもにとって、放射線の影響は「敵」以外の何物でもない。「ただちに影響がない」どころか、不必要な苦しみを与え続ける国際法違反の兵器そのものである。その「敵」から守るため、あらゆる立場の人がともに立ち上がることを願っている。
(敬称略)



島薗進 氏のツイートより

2011年8月25日
週刊朝日9/2号。「公文書で判明した米核戦略の深層―悪評高い「許容量20mSv」の原点」は、核開発勢力の意図の下に進められてきた広島・長崎の被曝調査の歴史研究の高橋博子氏の記事。米核開発指導者はつねに健康被害を過小評価。今こそ「人間よりも原発を守るシステム」を問い直すべきと。

2011年09月21日
高橋博子氏「「安全神話」はだれが作ったのか」(『現代思想』2011年5月号)は秀逸。放射線健康影響問題の歴史的側面の核心に迫っている。原爆に関わる医学者がアメリカが握った情報とアメリカ側の資金に依存せざるをえなかった経緯。そしてやがて加害者側の視点に転換してしまった悲劇。

原爆投下直後から日本政府側は「新型爆弾をさほど惧れることはない」と45年8/10朝日報道。マンハッタン計画責任者ファーレル准将記者会見「広島の廃墟に放射線なし」9/12。国際法違反兵器であることを否定。

アメリカ民間防衛局パンフレット『原爆攻撃下の生き残り』1950年10月「あなたは生き残れます。…少量であれば、放射線はほとんど無害です。重度な被曝による深刻な放射線病でも回復の可能性があります。」

ビキニ実験後、米国原子力委員会は放射性降下物の影響を初めて認めた1955年2月「もしも放射性降下物が皮膚や髪または服に接触した場合、連邦民間防衛局が説明してきたような迅速な汚染除去の予防」で危険は減らせる。

米国原子力委員会「日本人生存者は世界で唯一の原爆で被爆した集団である。この理由により、ABCCの医学的調査結果は科学者にとって、また米国における軍事・民間防衛計画にとって重要な意味を持つ」1955年6月

2012年02月12日
高橋博子氏『封印されたヒロシマ・ナガサキ』(新訂増補版)刊行
3.11以後を踏まえ研究の意義が鮮明に。「本書では、原爆を投下した国である米国が、いかに残留放射線の影響を隠蔽してきたかを検証した。広島・長崎の場合空中高く爆発したため原爆投下一分後まで発生する初期放射線による影響しかないとする米公式見解にもとづいて、「科学的」な基準が作られてきたと言える。しかしながら、実際にはABCCの科学者でさえ、原爆投下時に市内にいなかったにもかかわらず入市して被曝した人々の存在を把握していた。」


島薗進・宗教学とその周辺(ブログ)




最新の画像もっと見る