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御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

日本語は変形して生き残り続ける、んだろうな

2009-10-17 18:40:57 | 書評
水村美苗の「日本語が亡びるとき」が、恐らく多くはその題名の刺激性ゆえいろいろ取り上げられている。僕はこういう論議自体あまり参加したくない人間なので本は読んでおらず内容は書評で知ったぐらいだ。でも10月15日の日経夕刊でインタビューがしっかりとのっていたので割と詳しく著者の考えがわかった。
で、結論は、(記者がまとめた)著者の枠組みに乗るとしても論議には無理がある。

①英語を学ぶのには日本語の読み書きが基礎である←これは賛成
②明治の日本人には漢籍の素養があった←事実としてそのとおり
③普遍語である漢語を背景とすることで日本語は優れた文学であり思想を生み出した。←普遍語をアドホックに優れているとする点を除き賛成
④日本語を大事にしない教育が続けば、しっかりした、書き言葉としての日本語は滅ぶ。←そのとおり。

で、ここで大きな疑問。①~③と、④は何の関係があるんだ? どんなことでも粗末にしてしまえばダメになってしまうに決まっている。①~③に何をいっていようが関係なく。一体この前ふりはなんなんだろう?
記者はよほどひどいまとめをしたのか?あるいはもともとそんなものか?

とまあけちょんけちょんだが、更にいえば僕は普遍語>国語>地域語みたいな区分を、思想を盛る器としての言語の優秀性・適切性とともに論じることには大いに疑問がある。それに(よほど危機に瀕しているはずの他の言語を除いて)「日本語が・・」という題名で日本人の劣等感をくすぐって部数を伸ばそうという魂胆も気に食わない。だからホントはこういう話はハナっから乗りたくないが、ここまで書いたので徹底的にいっておく。

普遍語>国語>地域語みたいな区分は言語の優秀性や適切性などではかけらもなく、軍事的・政治的・宗教的覇権の結果に過ぎない。ラテン語や漢語、そして現代の英語支配はまさに覇権の移動に対応する。しかし人口も重要な要素。だから、ロシア語や日本語は根強く残る。普遍語の変化に応じて日本語は(恐らくロシア語も)英語を中心とする言語を取り入れる。漢語(あるいはフランス語)を取り入れてきたように。それだけのことだろう。億を越える人口がいればその言語が思想を語り文学を生むのは自然である。 スペイン語やポルトガル語も南米の言葉として生き続け、ガルシア・マルケスのような文学者を生み続けるのだろう。

日本語をしっかりやろうというのは賛成だし、漢籍的素養をもっとというのは個人的好みからは大賛成だ。僕は話し言葉に漢語が多すぎてわかりにくいとよく言われるので、そうなれば世界は住みよくなる(笑)。 ただ、漢籍のハレーションをふんだんに反映した明治の高級文学への愛着・ノスタルジーから「日本語が亡びる」なんて論議を展開するのは暴論だね。

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