SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

再会、そして出発

2011-02-04 18:42:33 | Essay-コラム

相撲の八百長が取りざたされてますが。
相撲に八百長がない、って信じてる人って、本当に相撲をちゃんとみてない人たちなんじゃないか?と思ってしまう。
人間だから給料がからむ地位をお互いに守りたいのはしょうがないのかも知れないけど、あの、事前に結果が決まっちゃってるマッチって、見てるほうとしてはすっごく冷めるので、今回を機会に、出来るだけ減ってくれたらなあ!と期待していますよ。
まあその前に、相撲がなくなちゃったりしないといいんだけど。

ところで。先日コンセルヴァトワール時代のだいたい同期だったフルーティストのコンサートに行ってきました。
Sandrine Tillyという人です。

フランス人の同期の生徒で、心から「演奏が好きだ!」と思えたのって、彼女だけだったからです。
外国人留学生なら、いけてる!と思った人数人いたけれど。他のフランス人の演奏って、めっちゃテクニックがスゴくて音がでかくても、表現が上滑りで、リズムがなくて、心に響いてこなかった。

そういう人たちの演奏をきいても、「うっ、やばい、練習しなきゃ!」と思うばっかりで。そういう演奏のうらには、がつがつしてささくれだった、練習、練習、練習、それしかない。そして、ついでに言えば、興味あるものといえば、楽器!楽器!楽器!それだけ。ちなみに表現したいものは、自分!自分!自分!だったりして。

あれから10年以上経っても、彼女の演奏はそうじゃなかった。リズムも音程も絶対ブレない。その素晴らしい表現のうらで、やりたい音楽を実現する為の、彼女独自の本当に緻密なテクニックを、ますます完成させていた。本当に素直で、大らかで、明日からもさあ!音楽をやろう!と思わせてくれるのでした。

この会場で、すご~く意外な人と再会した。私の大切な室内楽の先生、Alain Meunier!
聞くと、彼は3年前に音楽院を退官され、コンサート活動のみされているそうな。そして夜な夜な、こうして昔の生徒のコンサートに招待さてれシャンパンをたしなみに来られる訳ね!ムニエ先生ご隠居ですか

しかし、彼には本当にそういう優雅な生活がよく似合う。
こんどはさっきと逆にフランスを良く表現しちゃうけど、本当に、彼はフランスの良き時代、生粋のパリジャン、パリの芳香の詰まったような生き方を地でいっている人だ。

サルコジが言っている「もっと働き、もっと稼げ」なんて、まったくフランス的じゃないし、私はそんなのは、あくせくするのが趣味の人たちに任せておけば良いと思う。

彼自身は高名なチェリストだが、「楽器を教えるのなんてさ~、大変だし、好きじゃないよ。自分は音楽を教えるんだ」な~んて
音楽の一番美しいところだけを仕事にされ、実際楽器のクラスというのはエリート教育の戦場と化していたので、彼の教室にいくと、なんともリラックスした、一緒に午後のお茶でも飲んでいるような気分になれたものである。

彼は見事に音楽院のなかで、生徒と生徒を音楽で繋ぐ役割をしておられた。

イタリアのシエナでも、彼の室内楽クラスに在籍したけど、レッスンとは名ばかりで連日リハと化し、先生の弾くチェロでトリオやカルテットを組んではトスカーナをコンサートして回っていた。先生と生徒の垣根なんて、まるでなしで、いつも後はおいしい食事とワインに招待されてめちゃくちゃ楽しかったな~!あの時の日本人生徒の仲間達、お元気ですか~

このムニエ先生と、先頃惜しまれながら亡くなられた、アナリーゼのソランジュ・キャパラン先生を抜きには、私のクラシック人生は語れない、と思う。

メシアンやミヨーの生徒だったというキャパラン先生は、なんとフルートのレッスンをしてくれるアナリーゼの先生であった。フルートでの曲の解釈のレッスンである。(ちなみに前述の「自分!自分!自分!(moi,moi,moi!)」という表現はキャパラン先生が発明した言葉で、彼女が一番嫌っていたものである。)彼女がピアノを弾き、なぜここはこうなのか、というのをピアノ譜から読み取ることによって、どんなフルートの先生よりも詳しく、的確に、作曲家のスタイルや、そこから導かれる音楽解釈を説明してくれた。

それは熟知されたスタイルへの理解から生まれてくる、芳醇なイマジネーションの宝庫みたいだった。

よく考えてみれば、全てピアノ譜から読み取りながら、弾きながらレッスンする、という私の基本はここから来ているし、彼女のアナリーゼは、あの面倒くさい、単位に必要だから仕方なく勉強させられるアナリーゼ、とは一線を画し、純粋に音楽的解釈のためのアナリーゼ、という、分かっていても実際には誰もやっていない革新的なスタイルであった。

しかしこの人は、ムニエ先生のように人生を謳歌するタイプとはほど遠く、楽譜さえ見ていられれば極楽、楽譜をにらみながら昼食はチョコレート、というのでまったく平気なひとであった。家に帰れば楽譜の散乱しためちゃくちゃな家の庭に20匹くらい住み着いた猫にえさをやっていた、という噂もあった。

しかも、彼女の車は予定されたようにいつもパリ環状線上で故障し、必ず授業の時間通りには現れなかった。
ようするに、音楽以外のことは、てんでむちゃくちゃだった。

まったく、エリック・サティーさながらな人である。

音楽人生の生き方はほんとうに人それぞれで、こういう常軌を逸した先生方がいたからこそ私は救われていたし、理屈抜きに自然で、自由奔放な生き方は、私のなかにずっと深い印象として残っているんだ。

ということで、ムニエ先生との再会によって、またサンドリーヌの演奏によって、正直なところこれまで音楽院時代の厳しい、悪夢のような思い出ばかりに苛まれてきた霧が晴れるように、先生の顔をみたとたん、いろんな楽しい思い出だけが、奔流のように甦ってきた、素晴らしいソワレでした。

なんだか新しく出発できそうな、そんな予感がしちゃうね