哲学以前

日々の思索を綴ります

『哲学以前』と行動経済学

2017-05-05 11:23:50 | 日記
今年のカントアーベントで西堤優さんが「二重システム理論」に関する発表をしていた。

私もそれまで「二重システム理論」なるものを知らなかったけれど、後で調べたらダニエル・カーネマンが2002年にこれでノーベル経済学賞を取ったらしかった。

いわゆる人間の思考・判断が直感的・情動的なシステムと理性的・分析的なシステムとの二重システムになっているという理論で、それによって人間が非合理的な判断・行動をしてしまうことを説明したものらしかった。

そうした二重システムで考えるなら、『哲学以前』の文章・語彙の選び方も出隆の目的に沿ったものだと思えてくる。

出隆はそれまで出した哲学書の売れ行きが芳しくなかったことから「売れる本を書きたい」と考えていた。そのため購買層として想定していたのがミッション系の学生で、当時の学生事情で神学と哲学がどれほど結びつきがあったか分からないけれど、いずれにしてもキリスト教徒を対象として『哲学以前』を書いた。

そのキリスト教において「愛」というものの価値がどれだけあるかは意識していたと思う。タイトルの「真理思慕」なんかにしても真理「探究」でなく真理「思慕」なんだよね。

「思慕」って人が人を恋しく思うことだから、思春期の学生にとっては「感じやすい」言葉だったんじゃないかと思う。

出隆が書いている「智慧を慕い求める愛の努力」って、智慧を「慕い求める愛の努力」と考えたなら、「智慧」「慕う」「愛」「努力」って思春期の学生にとっては、特にクリスチャン系の学生にとっては全てがプラスの価値の好ましい感情が想起されるんじゃないかと思う。

出隆自身が後年、「どうしてあんな本が売れたのか」なんてことを述べているんだけど、それはやはり教室で教科書を使って自分の経験を超えた言葉や概念を学習しつつある途上の、客観的対象と言葉とを的確に合致させることに未習熟な学生だとか人間だとかの感性に訴えたもんだから売れたということだと思う。

そうして改めて読んでみると、『哲学以前』は実に良く分かる。もっとも、知命の私が而立の頃の出隆の作品を理解できなくてどうするとも思えるが・・・・。

クリスチャンの感性に徹底して訴えようと狙っている・・・・人間のやることというのは存外単純なものなんだ。

倉田百三の『愛と認識との出発』および明治のキリスト教文学を調べてみたなら出隆の『哲学以前』が相対的にも理解できると考える。倉田百三は後に旧制一高に進学するが、元は出隆と同じく旧制六高なのだ。一つ違いの同世代の二人が面識があったと考えるのが自然ではないか。

曰く「哲学者は淋しいカブト虫」(故ウィリアム・ジェームス)。

参考:『第一高等学校自治寮六十年史』
参考:阿部次郎『三太郎の日記』大正教養主義

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