哲学以前

日々の思索を綴ります

ヘーゲル試論

2017-06-03 14:22:58 | 日記
例によって休みの日に本郷をぶらつきながら色々と思索する。

赤門前のいつもの大山堂書店さんで哲学書を物色していたが、ふと目について手に取ったのが『ヘーゲル試論』。

ヘーゲル学会などでお世話になっている杉田先生の『ヘーゲル試論』(1987年)を買う。「ヘーゲル」よりも杉田先生の名前に惹かれて買ってしまった。

カントアーベントで久方ぶりに飯泉氏に会ったときも「最近いらしてませんね」なんて言われてしまったが、複数のことを同時にやっているからここ何年かヘーゲル学会にも行けてない。

それでも杉田先生の本のページをめくると今の私の関心事に近いことが書かれている。

「それは、文字通り、哲学を「理性の言葉で書かれた詩」として読む、という態度である。うかつなことに、このような視点が、プラトンに由来すること、この意味で、ヘーゲルがプラトンの忠実な読者であり、継承者であることを、私はやっと最近になって気づいたのであった。」(前掲書)

私もプラトン全集やアリストテレス全集を買ったからにはプラトンからヘーゲルまで至る「同一性」といった辺りも味わえるようになりたいものだが、私の勝手な憶測だと、杉田先生は渡辺二郎先生の弟子なのだ。渡辺先生ってドイツ観念論や実存主義、現象学あたりを特に専門的にやっていた人みたいだから、だからヤスパースが言うところの「理性と実存」の対比みたいな感じで「実存主義や現象学」とは差異のある「他なるもの」としての「理性」が古代ギリシャのヌースやイデアとの共通性として反映するんじゃないかと思うんだ。

杉田先生は次のようなことも書いている。

「1 起源の問題
 
 「他」と「自」は相関的である。このような「他」を問うとき、自ー他の関係が生じる、まさにその現場を解明することによって、「他」の本質を示そうとするのは、当然の試みであろう。つまり、自ー他の“未生以前”の状態からの「他」の発生、ないし起源を求めようとするのである。」(前掲書)

これは私が最近考えていた宗教と哲学のアルケーの話に通じることじゃないかと思う。そうしたことがヘーゲルの著述に書かれているらしいから、そのうちに検討したく思う。