鳥のように

鳥のように自由に飛びまわる、
そんな日々でありたいと願いつつ、
考えていることを書いていこうと思っています♪

10時間

2006年03月31日 | Weblog
平日にこんな寝たのは久しぶり。
ぜいたくだけど、なんだか寝ても寝たりないし、
ぼーっとしてるのです。
どうも本調子でない。
そんな日々が続いていたので、
自分の体内時計を一掃する良い機会になったかも。

今日は自分なりには前向きに仕事ができたように思います。
毎日でないといけないんだけどね


今日で今年度も終わり。
退職される職員のお別れの挨拶があり、
明日は会議で新しい職員さんの紹介がある。

あ~そんな季節なんだね。
と物事がすすんでから気づく。

全体的には大きな変化はこれといってないかもしれない。
でも年度が変わるっていうことはひとつの節目。

まず一年が守られたことを心から感謝したい。
毎日が神さまの導きにあったことを思う。
今日も何気なく過ぎた。
でもその積み重ねはすべて神さまの御手の中にあった。

だってさ、1年前を思い出してみてさ、
この状態を想像できなかったもんね。
いろいろあったし、今もいろいろあるし、
明日からもいろいろある。
でもさ、不思議なように守られてきたし、
こらからも確実に神さまの恵みと導きと守りがあるんだよね。
だから神様にすべて感謝


4月の誕生表を担当していました。
花いっぱいの誕生表になりました。
貼りだしながら“花かごひとつ”という
こども賛美歌を思い出しました。
春なのよね。

帰りの送迎ではみごとなまで桜並木を見て、
神さまが与えてくださった
日本でしか味わえない春という季節を
この身に感じることができた。

「山は移り、丘は動いても、
わがいつくしみはあなたから移ることなく、
平安を与えるわが契約は動くことがない」
とあなたをあわれまれる主は言われる。
イザヤ54:10

明日からの新年度も神さまの変わらない約束と平安の中で
全うできますように。



桜三分咲き?

2006年03月28日 | Weblog
今日はデイサービスで久しぶりに作業をしました。
ボンボンで作ったワンちゃん作り
楽しんでもらえて・・・というか私が楽しんでしまって・・・
良かった
みなさん自分の飼っていたワンちゃんの名前をつけ、
気に入ってもらえた様子。
なぜか、飼い主?作り主?に似ているのよねぇ~。
おもしろいっ
みな思い思いのものを作り、個性があり、
面白いですねぇ。廊下に飾りました★


桜が咲き始めましたね。
しだれ桜は満開ですが、
施設の桜はまだ三分咲き?くらいかな。
これからですね
関東では今週末お花見で楽しめるかもかな。

デイでも来週あたり帰りの送迎時、
近くの桜並木を通り、お花見できるかも♪

今雨が降ってきましたが、
がんばって咲いてほしいな☆彡





こんなにも私の心が守られていることは
神さまの憐れみでしかない。
神さま、ありがとう。

「神はわれらを生きながらえさせ、
われらの足のすべるのをゆるされない。
神よ、あなたはわれらを試み、
しろがねを練るように、われらを練られた。
・・・
われらは火の中、水の中を通った。
しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。」
詩篇66:9-12

深く根を張る

2006年03月27日 | Weblog
昨日は久しぶりに会えた友達と
祈ることができました。
“あなたが祈らずして誰が祈るのか?
今祈らなくていつ祈るのか?”
そう神さまにいわれた気がしました。
みこころにかなった祈りならば必ずきかれる。
そう信じ、友と一緒に祈ろうと思いました。
神さま、祈り続けることができるように助けてください。


昨日の礼拝のメッセージを書き留めておきたい。
この3月で退職される先生の涙のメッセージ。
心にしっかりとめたい。

一番語られたことは
“深く根を張る。”
ということ。
良い実を結ぶためには、
しっかりした木を育てなければいけない。
イエスさまに深く根を張っていこう。
そして揺るがない大きな木になろう。
いろんな人が憩い、休める、宿り木になりたい。
そう思った。


今日は・・・
3日ぶりの出勤。
そっか、3連休だったんだ・・・。
なんてまぬけなこと言ってみたり(笑)
あっというまに過ぎてしまったわ
でもいろいろあったんだよね
なんか心がやっと整理され、
体はなまっていましたが、
不思議なようにいつも通り出勤できました。
たくさんの人の祈りがあることを痛く感じました。
感謝。

「わが子よ、私の言葉に心をとめ、
わたしの語ることに耳を傾けよ。
それを、あなたの目から離さず、
あなたの心のうちに守れ。
それは、これを得るものの命であり、
またその全身を健やかにするからである。
油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである。」
箴言4:20-23

与えられた日

2006年03月25日 | Weblog
久しぶりに昨日、平日にお休みを頂いたのですが、
何をするでもなく、ただぼーっと過ごしてしまいました。
おとといからあまり仕事に身が入らず・・・(いかんいかん)、
あまり良い状態ではないなと思っていたので、
今日与えられるべくして神様からいただいた
休日だったなぁと心から感謝しました。
たまには?(いつもかもしれないけど)、
ゆっくり過ごすのもいいさね。

午前中はだらだらと昼寝。
コタツを片付けようか迷って、
でもやっぱり寒いからやめた。

昼すぎより部屋の片付け等・・・。

夕方は同期で年度末の夕食会?をして、リラックス。
やっぱり同期はいい。
ありがとう、みんな。

起きたのが遅かったので、夜でも元気。
夜中だけど実家に帰りました。
そしたら、なんと夜1時過ぎにも関わらず母が
待っていました。ちと愛を感じてしまいました。


昨日、今日といろんな人の愛を感じました。
私は幸せ者だなぁ~。

母からもらったみことば。
コリントⅡ 4:8-15

おねえさまからもらったことば。
“もっと自分の感情を大切にしたほうがいい。
chieはそのままでいいんだよ。”

友達からもらったメッセージ
“水をすくうときは片手ではすくえない。
やさしく両手ですくうのだ。
水はとらえずらく、つかみずらい。
人の心も水のようなもの。
だからやさしく両手ですくう。
自分の心も、人の心も。”


自分の心を知る。
人の心を知る。
神さまの心を知る。
どれも完全にできないけれど、
やさしく両手でつつむように少しずつ
汲み取っていければいいな。


きっと今だからこれらのことばたちが
心に染み入るのでしょうね。
神さまがそのように私の心を素直な状態に
整えて下さったのだと思います。

自己嫌悪→神さまの愛→自分を好きになる
の繰り返しなのですが、
前回より今回、今回より次回少しずつ
神さまの愛をたくさん感じているように思います。


神さまから受けた恵みを忘れないように
今ここに書いておきたいと思いました。

神さま、ありがとう。

燃え尽きない神の炎

2006年03月20日 | Weblog
昨日の日曜の恵みを忘れないうちに記しておきたい。
神学校をこの春卒業したK先生が
メッセージをするため関西からきてくださった。

「燃え尽きない神の炎」
出エジプト3:1-12

燃え尽きない小さな柴に近づいていった
モーセが神さまに直接語られるそんなシーン。
1、燃え尽きない小さな柴
 燃え尽きそうで燃え尽きない小さな火 
 だからこそ人は不思議がって興味を示す。
2、足からくつを脱いだモーセ
 畏れ敬う、尊敬してくつを脱ぐ。
 僕であることを認め、自らが無に等しいということを知る。
 靴をぬぐのか?脱がないのか?
 その二択が今なお私にも迫られている選択。
 片方の靴だけというわけないはいかないのだ。
 どちらかなのだ。

 神さまの愛、偉大さを知るならそのまま
 ずかずかと入っていくことなどできない。
 靴を脱がざるを得ないのだろう。

 果たして私は・・・土足で聖なる地に入ってはいないだろうか?

3、何者でもない者と共におられる神
神さまはモーセに
「さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、
わたしの民、イスラエルの人々を
エジプトから導き出させよう。」という。

しかしモーセは「私は何者なのでしょう?」

そして神さまのこたえは
「わたしは必ずあなたと共にいる。」ということ。

「何者か?」は二の次。
まず大切なのは何者でもなく、
「神が共にいる」ということ。
そして「神と共に歩むということ」。

“何が燃えているか?”から
“神さまの力によって燃え続けたか?”
に視点を変えたい。



5つの目的の読書会
11日目「神の親友になる」
“視点を問題から聖書の御言葉に移す。”
ということが一番心に残った。
私は自分の言葉で悩むことが多い。
しかし、それは解決のない単なる
思い煩いで終わることが多い。
そんなどうどうめぐりの時は解決がない。
だから短いみことばでもいい。
一日握りしめていたい。

私は人に目を向けやすい。
何度も同じことの繰り返しなのだが、
神さまに目を向けたいのだ。
神さまを畏れたい。
そこにこそ解決があるのだから。
そこにこそ真の道、まっすぐな祝福の道がひろがるのだから。


賛美礼拝
創世記11章1-9節
“人間が神さまになろうとした罪”
“人間が神さまの命令に背こうとした罪”
について語られた。
人間的に1つになろうとした結果、言葉が乱され、世界中に散らされた
その結果は「地に満ちよ」という本来の目的を果たすことになる。
人間の罪ゆえの罰も神さまの本来の命をうけ、祝福となった。
ここに神さまの愛を見る。

人間には人に自分の意見を押し付ける弱さや
人と違うことを必要以上に気にしてしまう弱さがある。
しかし神さまはバラエティーに富むことを認めておられ、
画一的になることを望んではおられない。
聖霊に委ね、信頼せずしてひとつになろう
とすることは神様の意に反するのではないだろうか。



神は言われた、
「わたしは必ずあなたと共にいる。
これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。
あなたが民をエジプトから導き出した時、
あなたがたはこの山で神に仕えるであろう。」
出エジプト3:12

みことばを握って歩みたい。

ばとぅん4回目

2006年03月18日 | Weblog
isoisoさんから受け取っていたバトンを今頃という感じですが
やってみたいと思います。
おそくなってごめんね~

お題は大学だったんだけど、
勝手に私の所属していた“大学の聖書研究会”でもいいかな?
私の愛する友たちと過ごしたグループ。
もちろん大学のお友達も大切なんだけど、
一生の信仰の友と出会った場所でもある聖研には
思い入れが強いので・・・

1.パソコンもしくは本棚に入っている『大学聖研』
本棚にある聖書研究会の顧問をされていた
先生の論文とお手紙でしょうか。
私の中で先生との出会いは
本当に神さまの導きを感じています。

2.今妄想している『大学聖研』
いろんな人が何かここは違う
と思って集まってくるような場所。
神さまの愛が溢れるところ。

3.最初に出会った『大学聖研』
ヘボ研(ヘボン聖書研究会)

4.特別な思い入れのある『大学聖研』
ヘボ研

学生のときは両親に心配されるほど、
のめりこんでいました。
神さまはこの大学を愛してやまないことが
痛いほど分かりました。
キャンパスに神さまの愛が光輝いていけるように・・・
そしてこれからもその光を見た人がたくさん
神さまと出会えますように。

ほそぼそとした歩みではあるかもしれないけれど、
しかし、神さまの目から見たらきっとほほえましい、
そして愛おしくてしようがない、
そんな群れではないかと思うのです。
神さまに対する純粋な思い、愛、信仰、希望をもつ
そんな集まりなのだと思うのです。

5.最後にバトンを回したい人5人&指定お単語
やってみたいと思ったひと~♪

神さまによって

2006年03月06日 | Weblog
「しかし上からの知恵は、第一に清く、
次に平和、寛容、温順であり、
あわれみと良い実とに満ち、
かたより見ず、偽りがない。
義の実は、平和を作り出す人たちによって、
平和のうちにまかれるものである。」
ヤコブ3:17-18

これらのことは何ひとつ私にはできない。
でも神さまを通して、どれが平和で、
寛容で温順で偏り見ることではなくて、
偽りではないかを分かる、
ということは大切にしたい。

“これは神さまに喜ばれなかったことでした。
これは神さまの思う平和ではありませんでした。”
それに気づき、神様に言える自分にまずなりたい。

もちろんできなかった自分に甘んじてはいけない。
でも完璧な道を歩めなくて
ちょっとした遠回りしてしまう自分がどうしてもいることを
認めざるを得ないわけで、
そういう自分を発見したとき、
神さまから離れるという選択をとるのではなく、
むしろだから神さまに助けてもらいたい
と思う選択をとりたい。

神さまに近づきたい。
神さまのそばにいたい。
そして義の実をむすんでいきたい。
特に偽りのない実をむすんでいきたい。
そして平和をつくりだすひとになりたい。

信じるということ

2006年03月04日 | Weblog
私は本当に「信じる」ということが
できない人間だとおもった。
いつのまにか疑っている自分がいる。
本当に愚かだと思う。
そうやって人を傷つける。
そして自分も傷つく。

人をみない。
神さまだけをみる。

そのことばを今日は何度
自分に言い聞かせただろうか。

信頼しきって信じる人になりたい。

観梅2

2006年03月01日 | Weblog
観梅に行ってまいりました。
しかし、昨日今日で変わるはずもなく・・・。
やっばり枝見になってしまいましたが、
のんびり過ごすことができました。

今日から3月。
「早く来い。春よ来い。」など春を呼ぶ歌を
メドレーでカラオケしてみました。
とバスの中で歌いました♪


来年度から更に身を引き締めがんばろうと思った一日。
そう思えるようになった1週間の変化をまず神さまに感謝したい。
逃げようと思ったこともあったけど、
でも今を周りの人に支えてもらいながら、
そして神さまに導かれながらがんばっていきたい。
与えられた道だということを確信して進んでいきたい。
そう思いました。

このみことばを握り締め今年度のデイをがんばっていこうと思う。
「人の歩みは主によって定められる。
主はその行く道を喜ばれる。
たといその人が倒れても、
全く打ち伏せられることはない、
主がその手を助け支えられるからである。」
詩篇37:23,24

神さまが与えてくださった道だと信じる。
だから神さまの喜ばれるような歩みができるように、
私は神さまに明け渡していけばいい。
技術のないこと、
人を傷つける性質をもっていること、
すぐ落ち込む性格も、
パニックになることも、全て。
神さまが支えてくださる約束の道なのだから。
安心して楽しみに明日を待とう。
きっと弱さのうちに豊かに働かれる神さまを
また見ることができるチャンスなのだろう。

神さま、本当によろしくですっ