真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

情報で世界を操った男/CIAを創った男ウィリアム・ドノバン

2010-01-31 | 読書-歴史
読んだのは単行本。文庫も新刊では入手不可能状態?
『情報で世界を操った男』
吉田 一彦【著】
新潮社 (1997/04/25 出版)
絶版

PHP文庫『CIAを創った男ウィリアム・ドノバン』
入手不可のため注文できません

wiki/
Major General William Joseph Donovan, USA, GCSS, KBE (January 1, 1883 – February 8, 1959)


CIA公式サイト:CIA Home > About CIA > History of the CIA

大いに興味深い。
あまりにも興味深いもので、メモ代わりに列挙(珍しい)。

へえ、それは知らなんだ、もあるし、それなりに認識はしていたけどドノバンと結び付く話だとは知らなんだ、などなどまちまち。
注意が必要なのは、ドノバンてすごかったんだぞ、という主旋律の邪魔をしない記載になっている可能性があること。

ドノバンの功績であることが定説であるものもあるだろうし、そこまで結び付けちゃうんですか?という未確認のエピソードも記載されている可能性があること。
あくまでも可能性であって、それぞれを詳細にみているくとそれなりに確認できるのかもしれないが、そこまではちょっと…。

◆ドノバンはアメリカのパワーエリートの精神構造に今もなお刺激を与え続けている。冷戦時代におけるアメリカの国策の成功と失敗の根底には、彼の姿が見え隠れするといっても過言ではない。
アメリカが世界の超大国となっていく過程で、ドノバンは鉄道のポイントの切り換え係を演じたという人がいるが、いったんその方向に転じた列車は幕臣、もとい、旗本、ちがう! 驀進を続けて突っ走ったということなのだろう。
~一極から多極化へ?が論じられている昨今、きわめて示唆的。

◆(第1次大戦で)ドノバン率いる部隊が味方の砲兵隊から誤射されたため、怒り心頭に発したドノバンは電話で責任者を尋常でない口調で問い詰めた。
誤射した砲兵隊の中隊長はハリー・S・トルーマン大尉。
後年の両者の不和の遠因かも。
~どやしつけられたトルーマンはきっと覚えていた筈だから、という根拠。

◆FBIのフーバーはドノバンを自己の最大の敵とみなして綿密な調査を行い膨大なファイルを作成、ドノバンのOSSとその後のCIAもフーバーを調査。
後年、両者の調査ファイルが交換されたという噂には信憑性がたかいとされる。
~ライバルの存在が組織人(特に♂)のエネルギーの源泉であるのかもしれないな。

◆第2次大戦中のドノバンの欧州視察旅行の成果:
①ドノバンがユーゴスラビアの反枢軸陣営に支援を約束した(本人は否定)ためそれをあてにして蜂起し、その制圧のためドイツ軍は対ソ戦のために用意していた主要戦闘部隊を一時転用せざるをえなくなる。
その結果、バルバロッサ作戦の発動は当初予定の5月中旬から6月下旬へと約5週間の遅れが生じ、これが致命的な遅れとなり(冬将軍のお出ましまでに片付けられなかったのでご承知の結果に)、第2次大戦全体に決定的な影響を与えた。

②地中海側から欧州大陸に攻め上がるというチャーチルの戦略をルーズベルトに採用させた。この結果、ノルマンディー上陸が成功。米側は、南方戦略は植民地との交通連絡路を確保しておきたい英側の都合と見ており、早急に仏に上陸すべしとの考えだった。
もしドイツ軍の勢力が分散されないまま仏に上陸していれば、英米軍は撃退されていたと考えられる。

◆日本の暗号解読情報の「マジック」からドノバンは排除された。
もしドノバンにマジック情報を与えていればパールハーバーの悲劇は避けられたのではないかとの議論あり。
戦後設立されたCIAはこの過程を最大限に利用して組織を拡大したといわれる。
~権限拡大に命をかけているヒトたちは、いつの時代もどこの国でも多数?

◆OSSのイスタンブール支局にいい加減な身元調査で各方面の工作員が多数潜入。これが発覚し大問題となる。
英米の情報機関はドイツ側の情報工作員の亡命を受け入れない(反ナチス志向のカナリス提督にドイツ情報機関を任せておくべき)という協定を結んでいたにもかかわらず、OSSはドイツ国防軍情報部の工作員5名の亡命を受け入れる。
亡命騒ぎは、カナリスの追放を狙っていたゲシュタポ長官のヒムラーにチャンスとなり、カナリスおよび彼に連なるスタッフらは失脚。
その結果、ノルマンディー上陸の準備段階でドイツ側の情報部門が弱体化し、上陸の成功に寄与。

◆中国軍の戴笠(「調査統計局第二処長」という何食わぬ肩書)は、秘密警察と情報機関をあわせ支配した「中国のヒムラー」。蒋介石が校長をしていた黄埔軍官学校の出身で同郷でもあった人物。
OSSに縄張りを荒らされることは面白くないので何かと妨害。戴笠が死亡した1946年の飛行機事故の原因は、OSSの破壊工作説、共産側の暗殺説などあり。
蒋介石は、戴笠が生きていたら、毛沢東軍に敗れて台湾に逃れる事態には至らなかっただろうと述べた。
~と、そこまで言えるのかどうかは分らないが、そのくらい頼りにしていたのですという意味に取っておこうかな。
やはり権限争い、勢力争いは組織のエネルギーの根源じゃないのかね。

wiki/戴笠

中国の三面記事を読む(561) 戴笠:中国特務トップの謎の死 (1) 乱れ飛んだ流言蜚語

戴笠:中国特務トップの謎の死 (2) 戴笠の死の謎を追う:飛行機事故か? 暗殺か? ①

◆アジア戦線でOSSのチームはゲリラ工作を展開。日本軍の通信網と輸送路を切断し、(現地人の仕業と思わせ)現地人に日本軍の復讐が及ぶように工作。
日本軍の報復が行われれば、現地人は日本軍を憎んで反抗するという狙い。
現地部隊には嫌がられる。
~「そんな酷いこと、よくさせるな」といったところだったのだろうが、百の演説で説得するよりも、自発的に「日本軍を絶対許さないぞ」と思わせるためには入口で日本軍に復讐的懲罰を受ける犠牲者くらいなんのその、という発想なのね。
あなおそろし。でも巧み。

◆第2次大戦末期、バチカンからの情報が注目される。特にOSSのルートがなかった日本の情報が詳細で重視されたが、じつはイタリア人ポルノ作家が金儲け目的ででっちあげていた作文を買わされていたもの。
バチカンにいた日本関係者が提供した話に脚色して膨らませた可能性もあるが、その証拠はない。また、本件は、その後日本からの和平の打診は疑いの目で見られる結果となったことにも影響か。
~なんちゃって日本情報でした、と。

◆大戦末期、ドイツが敗れた地域で、ナチス発祥の地ババリア地方に発した地下抵抗運動「人狼作戦」。
http://en.wikipedia.org/wiki/Werwolf

◆OSSの工作員673号こと、フリードリッヒ・ハック博士。
藤村中佐の和平工作に登場する反ナチスの親日ドイツ人。
スイスから祖国を見つめて-笠信太郎氏らの日米和平工作-
球形の荒野・幻の終戦工作

著者はいまどこに?

北星学園大学@札幌市厚別区
学外広報誌 VOL.3|2007.JANUARY
先生たちのその素顔~文学部 吉田一彦先生 p7

つづく







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウェザーニュース社の勝利宣... | トップ | CIA本部ビル、ロビーの壁... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書-歴史」カテゴリの最新記事