『最初にアメリカを見た日本人』
原書名:The First Japanese to America
(Plummer,Katherine)プラマー,キャサリン【著】
酒井 正子【訳】
日本放送出版協会 (1989/10/25 出版)
*入手不可のため注文できません。
‘本書は足で集めた日米交渉初期の海事史料により、歴史のなかでは「ものいわぬ」漂流民の生きた姿を比較文学的手法で生き生きと蘇えらせる。’
ホント!生き生きと蘇っているぞ。
万次郎関連図書
Where to Find Out More
The Whitfield-Manjiro Friendship Society
Christopher Benfey
Herman Melville and John Manjiro
Toward a wave theory of the Pacific
ペリーが強引に開国を要求する以前、アメリカ船が何度も何度も来航してあっさり追い返されたり、「オランダのチャーター船ですぅ」という形式をとって長崎で交易したりしていた。
オランダ傭船とはうまいことを考えたものだが(知らなかった!)、そのような「先方(日本)のルール」に従った小細工には我慢がならなかったのだろう。
そこで登場したペリーが・・・というわけね。
オランダ東インド会社の「長崎入港手続き」に関する命令
日本に漂着したアメリカ人達
ラナルド・マクドナルドこそ、真の冒険者だな。
ラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald, 1824年2月3日 - 1894年8月5日)
利尻の近世史Ⅲ ラナルド・マクドナルド
『海の祭礼』も読まねば。
それぞれ記録や評伝などがあるようで、そのうち・・・
小栗 重吉(おぐり じゅうきち、1785年 - 1853年)
督乗丸(約120トン)の船頭
音吉(おときち、文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年)1月18日)
宝順丸(船頭樋口重右衛門)
長者丸の遭難
蕃談
浜田 彦蔵(はまだ ひこぞう、旧字体:濱田彦藏、天保8年8月21日(1837年9月20日) - 明治30年(1897年)12月12日)
富山和子「水の文化」とは何か:ミツカン水の文化センター
「長者丸の漂流、という海難事故がありました。岩瀬船籍の北前船で、江戸時代、三陸沖で遭難して漂流中をアメリカの捕鯨船に助けられた事故ですが、昨年バイ船文化研究会で、この長者丸漂流事故の研究者を講演にお招きしたのです。すると、ブラマーさんという米人女性のその講師がいうには、乗組員の次郎吉という少年などは、八十桁も数えてアメリカ人を驚かせたと」犬島さんは続けました。
「ジュニア版 とやまの北前船・DVD」
③ 文化の普及 ア 教育の振興
江戸時代の漂流をテーマとして研究に取り組んでいるキャサリン・プラマーはその著書『最初にアメリカを見た日本人』において、長者丸で漂流した東岩瀬浦方の次郎吉の学力を高く評価している。次郎吉の記憶力の確かさ、知性、スケッチの芸術性などに才能を認め、さらに、わずか10箇月間での英語の習得を特筆している。
乱暴に整理すると、こんな?(乱暴過ぎる?)
前期:長期間の漂流の末、米国西海岸近くで救助される。カムチャツカ経由で帰国。帰国後に語ったことが記録者により残される。
後期:それほど日本から遠くない海域で捕鯨船などに救助される。生存者中の利発な少年が船長に可愛がられ、英語を習得。後に通訳として活躍。
原書名:The First Japanese to America
(Plummer,Katherine)プラマー,キャサリン【著】
酒井 正子【訳】
日本放送出版協会 (1989/10/25 出版)
*入手不可のため注文できません。
‘本書は足で集めた日米交渉初期の海事史料により、歴史のなかでは「ものいわぬ」漂流民の生きた姿を比較文学的手法で生き生きと蘇えらせる。’
ホント!生き生きと蘇っているぞ。
万次郎関連図書
Where to Find Out More
The Whitfield-Manjiro Friendship Society
Christopher Benfey
Herman Melville and John Manjiro
Toward a wave theory of the Pacific
ペリーが強引に開国を要求する以前、アメリカ船が何度も何度も来航してあっさり追い返されたり、「オランダのチャーター船ですぅ」という形式をとって長崎で交易したりしていた。
オランダ傭船とはうまいことを考えたものだが(知らなかった!)、そのような「先方(日本)のルール」に従った小細工には我慢がならなかったのだろう。
そこで登場したペリーが・・・というわけね。
オランダ東インド会社の「長崎入港手続き」に関する命令
日本に漂着したアメリカ人達
ラナルド・マクドナルドこそ、真の冒険者だな。
ラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald, 1824年2月3日 - 1894年8月5日)
利尻の近世史Ⅲ ラナルド・マクドナルド
『海の祭礼』も読まねば。
それぞれ記録や評伝などがあるようで、そのうち・・・
小栗 重吉(おぐり じゅうきち、1785年 - 1853年)
督乗丸(約120トン)の船頭
音吉(おときち、文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年)1月18日)
宝順丸(船頭樋口重右衛門)
長者丸の遭難
蕃談
浜田 彦蔵(はまだ ひこぞう、旧字体:濱田彦藏、天保8年8月21日(1837年9月20日) - 明治30年(1897年)12月12日)
富山和子「水の文化」とは何か:ミツカン水の文化センター
「長者丸の漂流、という海難事故がありました。岩瀬船籍の北前船で、江戸時代、三陸沖で遭難して漂流中をアメリカの捕鯨船に助けられた事故ですが、昨年バイ船文化研究会で、この長者丸漂流事故の研究者を講演にお招きしたのです。すると、ブラマーさんという米人女性のその講師がいうには、乗組員の次郎吉という少年などは、八十桁も数えてアメリカ人を驚かせたと」犬島さんは続けました。
「ジュニア版 とやまの北前船・DVD」
③ 文化の普及 ア 教育の振興
江戸時代の漂流をテーマとして研究に取り組んでいるキャサリン・プラマーはその著書『最初にアメリカを見た日本人』において、長者丸で漂流した東岩瀬浦方の次郎吉の学力を高く評価している。次郎吉の記憶力の確かさ、知性、スケッチの芸術性などに才能を認め、さらに、わずか10箇月間での英語の習得を特筆している。
乱暴に整理すると、こんな?(乱暴過ぎる?)
前期:長期間の漂流の末、米国西海岸近くで救助される。カムチャツカ経由で帰国。帰国後に語ったことが記録者により残される。
後期:それほど日本から遠くない海域で捕鯨船などに救助される。生存者中の利発な少年が船長に可愛がられ、英語を習得。後に通訳として活躍。