いつまでも一緒に・・・・chavez&judy

亡きチャベスとジュディ
現在居るイングリッシュコッカースパニエルのマーブル
ホオミドリアカオウロコインコのがっちゃん

ボブちゃんの死

2006年03月30日 | インポート

ボブちゃんが亡くなり、一晩経ちました。

今日はボブちゃんのお誕生日だった。

ボブかーさん、とーさんは一体どうしているだろうか?

バニ-ズの寿命は短いとは言え、ボブちゃんは

9歳のお誕生日前日まで頑張った。

我が家のチャベスはそんなに長生きができるのだろうか?

獣医に言われた事が脳裏をよぎる。

「6歳まで生きれば充分だよ。」と・・・

私的にはかなりショックな獣医の言葉だった。

今年年末に6歳になるチャベス。

ジュディーは来年始めに9歳になる。

二匹同時に天国へ行ってしまったら・・・

ボブ家は昨年末にチビちゃんが亡くなったばかり。

きっと今頃悲しみで本当に辛い思いをして

いるのじゃないかな・・・・。

大型犬の寿命の短さ、それを思うとボブちゃんは

長い方だし、バイクママの所のバイクちゃんも

病気と闘いながらもこの前10歳のお誕生日を迎えた。

我が家はどうなんだろうか?

いつもアチコチ具合が悪く獣医のお世話になっている

チャベス。獣医代金が高いと文句を言いながらも

とっても感謝している。出来るだけ長く一緒に

居られる事だけを望んでいる。ジュディーは獣医に

お世話になる事は殆どないが、大型犬にすれば

高齢になっている。でもいつもやんちゃで元気な

ジュディーだが、この子もいつかは病気になって

しまうのだろうか?動物を飼えばいつかは

別れの日が来る。飼い主が先に亡くなる事は

犬にとってはとっても辛い事だと思えば

やはり犬が先に逝く事は仕方のない事。

しかし別れは本当に辛い。我が家はセナ以降

”セナよりも長生きして欲しい。”それだけが望みだった。

二匹共セナの以上生きてくれている。それだけでも

ありがたい事だ。セナの死以来、飼い犬の病気には

神経質になっている私だし、未だにセナを愛し

忘れる事ができないのは、あまりに短命だった上、

素直な利口な犬だったからだと思う。短い命とセナ

自信解っていたのだろうか、本当に素晴らしい犬だった。

犬を飼う喜びをセナが教えてくれた。あれほど聞き訳が

良く、素直な犬は初めてだったし、今も最高の犬だったと

思っている。全く癖もなく、飼い主の気持ちをすぐに理解し

全身で答えてくれる犬だった。鋭い神経を持った犬。

病気になり自宅内で飼うようになっても、何も問題も

起こさず、朝トイレに行きたいとそっと顔を舐めてくれたり

本当に素晴らしい表現豊かな犬だった。かれこれ10年も

経つのだが、未だにセナに想いがつのるばかりだ。

セナの病気に対し、私達飼い主は何の手立てもなく

ただ毎日を獣医の言う通りの事をするだけだった。

重い心臓病と言う事で、いつ亡くなるか解らない状態

だったが、セナ自体は全く普段と変わらず過ごしていた。

それだけに、セナが死ぬと言う事自体、私達にとっては

信じられない事であり、突然訪れたセナの死は

途方もなく私をどん底に落とし、酷いペットロスになって

しまったのだった。今我が家の犬達はセナと違って

始めから自宅内で飼い、お犬様状態だ。

この飼い方が良い事かどうかは別にして、

ともかくいつも一緒に過ごしたい。と

言う気持ちだけで室内飼いにしたのだ。

セナの話しになると、夫はいつも言う。

「セナも始めから室内で飼ってあげてれば・・」と、、

セナには庭に立派な丸太小屋を買って与えてたが

気に入らないらしく、夜は自宅の裏で寝ていた。

それを思うと、確かに自宅内で飼って上げた方が

良かったのかもしれない。と今も後悔している。

飼い犬が亡くなると、色々手を尽くして亡くなっても

後悔ばかり出てくる物だ。あれも、これも

してあげたかったとか・・・。

犬と親密な関係になればなるほど、失った時の

心の空洞を埋めるには本当に時間が掛かる。

ネット上でしか知らない犬達が亡くなったと聞くと、

飼い主の気持ちを思い、本当に心が痛み、

セナの時を思い出し、涙してしまう。

しかし、別れはいつかは来る。

その時、私はどうなってしまうのだろうか?

日々泣き続けても戻って来ない犬を想い続け

悲しみに打ちのめされ、辛い日々だろうな・・・。

居なくなった犬を想い、「生きていれば、きっと

こう言う時はこんな事をしただろう、、」とか

犬の残していった玩具やベットを見ては

又涙し、日々泣いて過ごすのだろう。

普段狭いと感じていた部屋が広く感じ

本当に寂しく辛いのだろう・・・。

「動物は亡くなる事が辛いから飼わない」と

言う人も居るが、全ての動物に必ず死は

訪れる物なのだ。”別れが辛いから飼わない。”

のではなく、一緒に居られる事が楽しく

癒されるから飼う。と言うのが私の考えだが

確かに、セナが亡くなってしまった後数年は

別れが恐く飼えなかったのは私も同じだ。

しかし今になれば、セナとの素晴らしい生活を

想うと、一緒に過ごせた時間をありがたいと

本当に感じているし、今現も在我が家の二匹に

心から癒され、一緒に過ごせる時間を与えてくれた

この犬達に感謝している。

ボブ家の人達は今日も寂しく涙している事だろう。

あの辛い気持ちは痛いほど解る。それだけに

何をどう言って慰めたら良いのか私には解らない。

飼い主自信が自分で乗り越えるしかないのかも

しれないが、悲しみは一緒に過ごせた事への

感謝と愛情が在っての事だと思う。

今頃ボブちゃんは空を思いっきり

走り回り、空の上からボブ家の人々を見守って

くれる事でしょう。そして「かーさん、悲しまないで!

僕は空の上で痛みもなく、楽しくしているよ。

かーさんが悲しめば悲しむほど、僕はいつまでも

天国で自由に走り回る事ができないよ。」と・・・

ボブちゃんのご冥福をお祈りすると共に

ボブ家の皆さんが早く元気になってくれる事を

祈っている。

文章が上手くまとめられずごめんなさい。

コメント
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