ファインマンテクニックという勉強法があるのだが、
実際これを合理的にしているのがSNS等で知識を発信すること。
要は理解したことを説明できるということになる。
よく分からない前書きになったが、
ファインマンテクニックとは、要は誰かに説明できるようにテーマについて勉強する方法である。
例えば、僕が好むアドラー心理学は何故有効的なのか、何が良いのか、という話について、他者に説明ができないということは、その物事について理解が十分できていない、とかそういうことである。
表面上だけの理解になっており、他者に学んだ内容についてを説明できないとそれは学んでいることにはならない、という概念のような考え方を取り入れた勉強法である。
それでだ。今は『これってこうだったのかー』というのをSNSで呟ける時代。要するに理にかなっているなと思うわけである。
これが、ふーんという感じで頭の中だけで処理すると、とてもモヤモヤしたまま具現化できずに残る。
要は実践に活かせない、というわけである。
まぁ、この辺りの概念が教育における感想文等なのだと思うが…苦笑
僕はどちらかというと文書化できないのであれば理解ができていないというのはとても合理的な考えだと思っている。
また、理解しているのなら他者に教育できて当たり前なのである。
重ねて、僕が本件とは関係ないところで学んだ話だが心理的なところで人は、十分理解ができていないと、十分満足のいく仕事ができない、自信がもてないという考え方が存在する。
従って理解という点がとても重要な位置にあるのが良く分かる。
アドラー心理学の良さを述べよ。
今回はこれについては書かないが(お前書けないな?さては)
そう、こういうことを考えるとアドラー心理学がとても簡単であり難しいものであることを再認識するのである。そう認識することでもっと知りたいと思うのである。
まとめだが、
僕はファインマンテクニックはとても好感を持てる勉強法だと感じる。
文書化できてこそ身に付いた知識だといえよう。
だから僕はこんなブログを書くこと自体が自分のためになっているのだと理解できる。
『学んだことはブログに書け』
氷菓論とでも呼ぶが良い。