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カンタータ第106番「神の時こそいと良き時」BWV106を聴く-バッハ忌

2008年07月28日 | 今日聴いたCD
ヨハン・セバスチャン・バッハは1750年の今日世を去った。今日は,言うなればバッハ忌である。今日の赤い夕焼けを見ながら,大バッハもこんな暑い日に亡くなったのかな,と一時思いに耽ってしまった。

ご存知のように,セバスチャン・バッハは晩年,眼を患って眼科医(流しのいかさま師)に手術を受けたものの回復せず,ついに,楽長として,20人の子供の父親として,二人の妻の夫としての人生を,30年近く勤め上げたライプチッヒの地で終えた。

「音楽の捧げもの」は捧げっぱなしで王の倉庫入り。「フーガの技法」は未完。存命中から既に後任が決定しているという逆風の中,「オルガン・コラール(汝の御座に,いまぞわれ進み出で)」BWV668を辞世としたものか。
7月18日頃一時視力の回復をみたものの,再び卒中?により高熱を発し,闘病の末7月28日の午後8時45分死去。享年,65歳。

歳のせいか(このフレーズが最近多くなった(悲)),最近はバッハ専心である。バッハ以外の音楽(CD)を聴いていない。他の音楽に興味はあるが時間の無駄のような気持ちが先に立ってしまう。まだバッハの音楽のごく僅かしか聴いていないのだから。

カンタータ106番はポピュラーな方だと思う。序奏のリコーダーの二重奏が美しく,空の上から響いてくるような錯覚を覚える。元来,葬式(哀悼行事)の音楽で「神の時こそいと良き時」とは死んで神のもとに行くことを喜ぶ意味だ。透明感のなかにもその気持ちが表れて美しい。バッハ自身も,静かな,満ち足りた喜びを胸に旅立ったものと思いたい。

カール・リヒターの演奏は,一昔前のものと言ってしまえばそれまでだが,冒頭から何か得体の知れないものに心を持って行かれるような,ただならぬ雰囲気で始まる。これは軽いのり?で進行する古楽系の演奏とは大違いだ。バッハの時代は大規模な合唱団はないから,古楽系のスタイルが正統なのかも知れない。が,しかし,リヒター盤は,恐らく,バッハが意図した以上に荘厳で劇的だ。そしてそれが自分の使命のようにリヒターが重厚な音楽を作り上げていく。その中で,一種のカタルシスのようなものが感じられる。軽・重いずれの演奏をも成立させるバッハの音楽。それが魅力のひとつでもある。

■ヨハン・セバスチャン・バッハ: カンタータ 第106番「神の時こそいと良き時」BWV106,カール・リヒター指揮,ミュンヘン・バッハ管弦楽団,合唱団.1966年録音.アルヒーフ,POCA-2052


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