2009.5.17(日)15:00 スペースYMO
十三にある元ジュース工場だったというスペースでの公演。
川島むーは、これまでにも『セロ弾きのゴーシュ』などの朗読をしているが、今回のテーマは「恋愛」だという。賢治の作品に恋愛ものってあったっけ、と思う(不明でした)。
前半では、詩、短詩を解説ふうの語りをまじえて読む。
入院中世話をしてくれた看護婦さんとの結婚を(彼女の承諾なく)宣言し、父親と衝突した十代の頃の話なども、わたしは恋愛話というよりは家族の話として聞く。
解説書などによくある無理解な父親像と、川島むーの語る父親像は微妙に違う。地方の名士で家意識は強いのだが、子どもには甘くて、結局わがまま(進学とか旅行とか)を許してしまう。その理想や芸術を理解はできなくても、優秀な子どもを内心誇らしく思っている父親の方が現実にはありそうだ。彼女の語る賢治の家族の話はとても魅力的だ。
短歌や短詩は、何度かくりかえして読まれる。読むたびにイントネーションを変え、少しづつニュアンスを変える。
短かすぎる、特にリズムのいい言葉は、意味が伝わる前に心地よく流れてしまうので(口承の詩はそのためのものだ)、意味を伝えるためには、そんなふうにくりかえすのは良い方法だと思う。
『シグナルとシグナレス』の一部を、人形劇ふうに読む。身分違いの、信号機同士の恋。台所用品を利用した信号機の人形(?)が面白かった。
後半は『土神と狐』の朗読。
わたしはこの話を『蜘蛛となめくぢと狸』などとひとかたまりにして嫉妬と見栄の話として覚えていた。だが言われてみれば、確かに「女の樺の木」と書いてある。恋敵に対するときに嫉妬も見栄も際立つものだ。恋の話として考えたことがなかったのはどうしてだろう。宮澤賢治への先入観のせいだろうか。
舞台上には椅子がひとつ。樺の木はここに座り、土神や狐は歩きまわる。
後方にテキストを載せた譜面台。
川島むーはブランケットのような布を羽織っている(リバーシブルになっていて、季節が変わり土神の心理のトーンが変わる最後のシーンで裏返す)。
物語にあわせてピアノの音が流れている。(作曲・演奏:西川由輝子)
演者はテキストを見ずに語り、話の切れ目で後方に退いて、水を飲み譜面台に置かれたテキストのページをめくる。
語りがとぎれるその時に、音楽が聞こえてくる。ああ、ピアノが鳴っていたのだなと思う。物語を聞いている間は全く意識しないくらい自然な、朗読とぴったりと合った演奏。
テキストを見ないこともあって、朗読というよりも芝居の感じがする。樺の木はおどおどとやさしく、狐はちょっと気取っているが人当たりも良く嫌みはない。なかでも一番魅力的に描かれているのは土神だろう。粗野でついつい威圧的になってしまう土神は、現実では苦手なタイプなのだが、言い訳を聞いていると憎めない感じがする。この語りは、登場人物を外から見ての客観的なものではなく、人物の内側からのものだと感じる。
特にラストシーンなどは、文字で読んでいるときには想像もできないくらいサスペンスフルだ。
十三にある元ジュース工場だったというスペースでの公演。
川島むーは、これまでにも『セロ弾きのゴーシュ』などの朗読をしているが、今回のテーマは「恋愛」だという。賢治の作品に恋愛ものってあったっけ、と思う(不明でした)。
前半では、詩、短詩を解説ふうの語りをまじえて読む。
入院中世話をしてくれた看護婦さんとの結婚を(彼女の承諾なく)宣言し、父親と衝突した十代の頃の話なども、わたしは恋愛話というよりは家族の話として聞く。
解説書などによくある無理解な父親像と、川島むーの語る父親像は微妙に違う。地方の名士で家意識は強いのだが、子どもには甘くて、結局わがまま(進学とか旅行とか)を許してしまう。その理想や芸術を理解はできなくても、優秀な子どもを内心誇らしく思っている父親の方が現実にはありそうだ。彼女の語る賢治の家族の話はとても魅力的だ。
短歌や短詩は、何度かくりかえして読まれる。読むたびにイントネーションを変え、少しづつニュアンスを変える。
短かすぎる、特にリズムのいい言葉は、意味が伝わる前に心地よく流れてしまうので(口承の詩はそのためのものだ)、意味を伝えるためには、そんなふうにくりかえすのは良い方法だと思う。
『シグナルとシグナレス』の一部を、人形劇ふうに読む。身分違いの、信号機同士の恋。台所用品を利用した信号機の人形(?)が面白かった。
後半は『土神と狐』の朗読。
わたしはこの話を『蜘蛛となめくぢと狸』などとひとかたまりにして嫉妬と見栄の話として覚えていた。だが言われてみれば、確かに「女の樺の木」と書いてある。恋敵に対するときに嫉妬も見栄も際立つものだ。恋の話として考えたことがなかったのはどうしてだろう。宮澤賢治への先入観のせいだろうか。
舞台上には椅子がひとつ。樺の木はここに座り、土神や狐は歩きまわる。
後方にテキストを載せた譜面台。
川島むーはブランケットのような布を羽織っている(リバーシブルになっていて、季節が変わり土神の心理のトーンが変わる最後のシーンで裏返す)。
物語にあわせてピアノの音が流れている。(作曲・演奏:西川由輝子)
演者はテキストを見ずに語り、話の切れ目で後方に退いて、水を飲み譜面台に置かれたテキストのページをめくる。
語りがとぎれるその時に、音楽が聞こえてくる。ああ、ピアノが鳴っていたのだなと思う。物語を聞いている間は全く意識しないくらい自然な、朗読とぴったりと合った演奏。
テキストを見ないこともあって、朗読というよりも芝居の感じがする。樺の木はおどおどとやさしく、狐はちょっと気取っているが人当たりも良く嫌みはない。なかでも一番魅力的に描かれているのは土神だろう。粗野でついつい威圧的になってしまう土神は、現実では苦手なタイプなのだが、言い訳を聞いていると憎めない感じがする。この語りは、登場人物を外から見ての客観的なものではなく、人物の内側からのものだと感じる。
特にラストシーンなどは、文字で読んでいるときには想像もできないくらいサスペンスフルだ。