大江戸日記

ダイエット・ダイアリー(心と身体のダイエット)

靖国問題の先にあるもの

2006年05月28日 10時07分07秒 | Weblog
小泉首相が今年8月15日に靖国神社を参拝するとの公算が強い。管理人は参拝をしないと思う。首相就任後、毎年その日に参拝せず、姑息にタイミングをずらす例にならい、気を持たせた末に、実行しないであろう。
靖国問題は、政治的な外交問題なのか、国内問題なのか、それとも宗教論争なのか、どれもはっきりしない。首相参拝を賛成する一派も反対する勢力も、一体何が目的なのか。論争は、勝敗があり、結論があるべきである。例えば、郵政民営化の可否とか、竹島の帰属とか、イラクからの撤兵とか、これは目的が理解できる。しかし、靖国問題は賛否両派とも、何を目的としているのか?ただ分かっているのは、古くは長崎国旗事件、光華寮問題、慰安婦問題、等々と全く同じ文脈で中国共産党政権に恰好の反日材料を提供しているだけという事実。ああ、またかの感あり。
管理人の見解は、国内政治的には太平洋戦争の事象が歴史から消えないのと同様、靖国神社の存在もそのまま受容すべきで、外交的にも、感情や主観を抜きに日本独自の宗教風俗として堂々と主張すべきであると思う。敗戦の負い目や贖罪意識は捨てるべきだ。
しかるに、小泉首相にとどまらず、1985年の日航機墜落の直後、公式参拝に踏み切った中曽根元首相など、歴代首相は完全に説明不足である。余計な誤解を内外に与えるだけである。小泉首相に至っては、身分も顧みず、自分のセンチメントだけで行動している感がある。それも中途半端な形で。しかも、政治家であるのなら、言動が齎す効果やその目的を周知させる必要がある。参拝の目的がはっきりしない以上、国益を損ねるだけである。
管理人は、学生時代、香港に短期交換留学した折、同地学生から南京大虐殺(中文では)について、公開で意見を求められた事がある。元々、同事件の全容は藪の中で、日中双方とも感情を交えた誇張合戦という通奏低音が流れているので、ノーコメントと言おうと思ったり、戦時の異常事態での民間人虐殺の是非は難しいなど、数種のコメントが一瞬脳裏を過ぎたが、口に出たのは、以下の内容であった。
「同事件は、遺憾であるし、残念である。その意味は、徹底的に当時敵であった中国人を根絶やしに出来なかった事である。古今東西、戦乱で滅亡された民族は多い。若し、あの時、中国人を根絶やしにできていたら、その後の朝鮮戦争の悲劇や共産党政権の文化大革命を代表とする暴挙や、無辜のチベット人の虐殺・迫害も未然に防げる事が出来た筈だ」
これを言った後、それまであれだけ騒がしく、理屈っぽい発言をしていた学生は唖然として、何の声も発する事はなかった。管理人に対して誰も非難の声を上げなかったのは、当の管理人が一番驚いた。ただ一人、管理人に明らかに好意を示していた女子大生が、微笑みながら管理人に「よく言った」という意味のアイコンタクトをして来た事が印象に残っている。

最新の画像もっと見る