写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

ほたるのひかり

2014年03月04日 | うた

 

 

 先日(2014年2月19日)はきみにおくらん花もがな ということで、惜別の歌」の、格式ある文語調の歌詞を紹介したところだが、

2014年3月4日の[産経抄] では、金沢出身の、拓大教授で

国家基本問題研究所理事だった遠藤浩一さんのお別れ会で、

西村真悟議員が歌った蛍の光の3番の歌詞の紹介と、

歌にまつわる歴史や意義などについて書かれていた。秀逸である。

 

「蛍の光」3番の歌詞とは、

  筑紫の極み 陸の奥

  海山遠く へだつとも

  その真心は へだてなく

  ひとえに尽くせ 国のため

 

読み方は、

  つくしのきわみ みちのおく

  うみやまとおく へだつとも

  そのまごころは へだてなく

  ひとえにつくせ くにのため

 

その意味しているのは、

  九州の果てであろうと 東北の奥であろうと

  海や山が遠く隔てたとしても

  真心だけは場所に関係なく

  ひたすらに力を尽くせ お国のために

 

北海道が抜けてる・・・などと心配しなくても、4番で千島列島や沖縄を歌っており、素直に、いい歌詞だなぁと思うのだが、なぜか、「国のため」という部分が、左巻き連中や、最近では民主オバマまでもが気に喰わないのだそうで・・・・。

 

 

民主オバマと言えば、今やWW3の危険性もあるウクライナ紛争の種を蒔いてきたのはアメリカであり、チベット侵攻には口をつぐんでいるくせに、マッチポンプ(自分で火を付けておいて消火活動するポーズ・・・)をして、正義漢ぶってみたものの世界中から見透かされてて・・・・・。(日本のマスコミは相も変わらず、「報道しない自由」ばかりだが・・・)

80年前に日本に執った矛先を、今度はロシアに向けているようだ。(テメェんとこの原爆とか空襲という無差別虐殺を正当化しているような後進国だし・・・)

 

「蛍の光」とともに、卒業式で歌われていたのが「仰げば尊し」

 

あふげばたふとし      作詞者未詳

  あふげばたふとし わが師の恩

    をしへの庭にも はやいくとせ

    おもへば いと疾(と)し このとし月

    今こそわかれめ いざゝらば

 

  互にむつみし 日ごろの恩

  わかるゝ後にも やよわするな

  身をたて名をあげ やよはげめよ

    いまこそわかれめ いざゝらば

 

  朝ゆふ なれにし まなびの窓

  ほたるのともし火 つむ白雪

  わするゝ まぞなき ゆくとし月

  今こそわかれめ いざゝらば

 

歌詞の意味をここから少し編集すると、

1番が、旅立つ本人(卒業生)の思いであり、

  あのころは分からなかったが、

  先生方のご恩はとても貴重でありがたいものだった。

  この場所でいろんなことを教わったけど、短かったな。

  何年間だったんだろう。今思えばあっという間の年月だった……

  そして今、別れの時が来た。さようなら。

  (“別れ目”ではない、念のため。 こそ~め、の「係り結び」)

 

2番は 先生または友への思いであり、

  みんなと親しくした事や、先生方との日々のご恩を、

  離れていっても忘れないでいてほしい。

  そして、世に認められる人になり、常に努力をし続けてほしい。

  さあ、お別れだ、さようなら。

 

後半部分は人生讃歌 (A PSALM OF LIFE) の、

Still achieving, still pursuing(常に成し遂げ、常に求めて)を

彷彿させるような歌詞だ。

 

そして3番目は、卒業生としての思いであり、

  朝に夕に慣れ親しんできた、この学び舎の風景・・・。

  貧しくて苦労しながらも懸命に学んできた。

  忘れることはない。すべてがいい思い出だ。

  今、我々は旅立っていく。さようなら・・・。

  さようなら! 恩師、学友、校舎よ!

 

最近、この歌が歌われなくなったということを聞くと、

時代の流れや、一抹の寂しさを感じるとともに、

それだけ慕われるほどの教師もいなくなったんだろうなぁ・・・

との思いもよぎる。

  

教師が媚びて流行歌で卒業式をしたとか・・・

子供たちが可哀想だ。

 

・・・にしても、これらの歌に似合う校舎といえば

木造の校舎しか思い浮かばないのだが・・・・

 

鉄筋の学校では歌も似合わない。

子供たちが可哀想だ。