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米中による日本の富収奪計画と大・東アジア再建計画  3/7 青木直人講演会

2009年09月07日 | 米中による日本の富収奪

明らかに北朝鮮の人民軍のスタンスは違うんですよ。そういう米中協調路線こそが
中国にとって日本を抑え込む事が出来るし、ロシアを牽制する事も出来るし、朝鮮
半島において中国に有利な政権を作れるし、最大の危惧である台湾も抑え込むこと
が出来るわけです。

つまり、この米中協調体制というものはアメリカにとっても中国にとっても極めて
都合のいい体制なんですよ、72年から始まった体制は。そういう中で、北の核の
突出によって改めて米中両国は、日本の核武装と、軍事的台頭、及び台湾の独立
反対を、北京とワシントンのコントロールから離れるがゆえに許さないという合意を
したわけです。

それが今度は朝鮮半島における、私が言いました拉致処分という、キム・ジョンイル
政権を積極的にではないんだけれども、自分達の外交的な都合で延命させておくと
いう選択に繋がったんだと思います。

そして時系列に話しますと、昨年の7月に北がミサイル発射を行い、10月に国内
核実験が行われた。10日にキッシンジャーが中国に行って胡 錦濤と会う。そして
米中両国が、北の核は黙認した上で、北の核が日本や台湾にドミノ的に広がる事を
抑えるという話し合いをした。

今度は2ヵ月後の12月13日に、ブッシュ・シニアが息子の親書を持って、また
胡 錦濤と会うわけです。ここで、ブッシュ・シニアが何を言ったかというと、
同じような事を実は言ったんだと(思う)そしておそらく私は確実に、ここで・・
軍の話が出たと思いますね。何故かというとブッシュ・シニアは,このあと北京で
記者会見やって、従軍慰安婦問題を含めた日本の歴史認識を叩くんですよ。

この従軍慰安婦叩きっていうのは、本質は何かというと拉致隠しなんですよ。お前
等もやったじゃないかという北のロジックなんです。それにアメリカが協力する
わけですよ、アメリカのチャイナロビイストが。

実は米中が体制間、例えば人権問題とかイデオロギーとか、アメリカと中国は対立
するわけですよね。米中が対立する時、何をカードに持ってくるかというと、日本
の歴史問題なんですよね。これ実は天安門事件の後もそうなんですよ。

89年の6月月4日に、有名な天安門事件がございました。私の友人も死にました。
天安門事件で外国に逃げた連中も死んだ奴もおります。天安門事件のあと西側は
一気に経済制裁に入るわけですね。

その時にブッシュ・シニアつまりブッシュ大統領のお父さんは密かにメッセンジャーを
送るわけです、 小平のもとに。送られたのがですね、これが大事なんですよ
皆さん、キッシンジャーであり、キッシンジャーの愛(まな)弟子のスコウクロフト
なんです。スコウクロフト大統領補佐官という人物なんです。

このスコウクロフトが何故大事かというと、彼が北朝鮮処分のシナリオ書いていて
彼の愛弟子がライスさんなんですよ。そういう非常に生々しい人脈がありまして、
そのスコウクロフトが行くと(いう点が大事)

天安門事件の時、 小平は 小平で孤立してたわけです、軍部から彼、叩かれて
いたんで。で、そういう叩かれた 小平が何をやるかというと,アメリカに強硬な
姿勢を取らざるを得ない。アメリカはアメリカで議会やメディアで叩く、なかなか
動かないわけですね。

次にアメリカのブッシュ政権が送ったのが、ニクソン元大統領なんです。72年の
国交正常化をやった(ニクソンです)そのニクソンが中国の要人と会見します。
(そして)帰国後に、彼はワシントン・ポストにある論文を発表するんです、中国
の要人と何を話したかと。

ニクソンは 小平達中国の要人にこう言ったんです。「我々の共通の敵であった
ソ連は今や力を失った。次の敵は日本である」と。

新たに台頭する日本に対して、米中両国の絆は今後も友好(有効?)であるという
プロポーズをニクソンはやるわけです。ここでも、中国のある種日本に対する、日中
戦争も含めたトラウマをアメリカは徹底して利用するわけですよ。で、中国を恫喝
(?)する形で自分達の陣営に引き込むという構図がございます。

こういう米中共同による日本封じ込めを極めて・・した形で行われたのが、天安門
事件のあと、対立してた米中指導者の相互訪問が回復した98年のクリントン訪中
だったんですね。これは私、繰り返し言ってるんですけど、クリントンはあの時、
日本上空を通ってないんです。これ歴代の大統領が中国を訪問する上では初めて
なんですよ。

彼(クリントン)アラスカから入るんだよね。アラスカから西安に入るんです。
これも歴代の大統領では初めてです。常に北京から入るんです、みんな。何故
西安に行ったんですか。西安て、※「国共合作の舞台」じゃないですか、そこに
行くんですよ、まずクリントンは。

※1936年に国共合作(国民党と中国共産党の協力関係)による日本政府への
対抗を目指す張学良が、蒋介石を軟禁した西安事件の舞台

次に上海に行って、台湾独立を認めないと、彼は大演説をやるわけです。何故台湾
独立を認めないか、その2年前に台湾海峡で中国のミサイル攻撃があったがゆえに、
クリントンのアメリカは第七艦隊を派遣せざるを得なくなったわけです。米中関係の
枠組みが崩れるんですよ。だから台湾の跳ね上がりは許さないんです。

実は、このクリントン滞在(期間)というのは、歴代のアメリカの首脳が海外に
滞在した日数の中では9日間で最大なんです。これはあまり指摘されないんですが、
一番長いんです。そしてクリントンは香港に行きます。イギリスから返還されて
1年目の香港ですね。イギリスの香港支配史とは何かと言うと、難しい言葉で
言えばパックスブリタニカの時代、それが終わったわけです。

パックスブリタニカが終わって、これからはパックスアメリカーナの時代が始まる
と(いうことです)その時にクリントンは香港で大演説をやるわけですよ。「安定
して豊かな中国はアメリカの同盟国である。戦略的パートナーである」という大発
言をやるわけです。日本に寄らなかった大統領がこう言うわけですよ。

クリントンは翌日、香港からアメリカに7月6日(4日?)にハワイに帰るんです。
7月4日はアメリカの独立記念日じゃないですか。全部仕組まれたんですよ、アメ
リカと中国が演出して。

ところが日本人だけは気付かないんですよ。私は、これは、冷戦が終わってアジア・
太平洋の一極支配を確立したアメリカの、最高首脳による大遠征だと思います。
何の為の大遠征か、クリントンに同行した経済人の数って言うのは、数千人いる
わけですよ。ビッグビジネスのトップ連中が皆いるわけです。

つまり、こういう事なんです。第二次世界大戦によってアメリカにとって最大の
脅威であった日本海軍は崩壊した。次にアメリカの支配するアジア・太平洋地域に
おいて、アメリカの敵となったソ連海軍も、ソ連崩壊によって消えてしまったわけ
ですね。

アジア・太平洋は確実に中国(アメリカ?)の内海、内なる海に変わったわけです。
そして内なる海に変わった太平洋の向こうには、自らの意志によって市場経済化を
選択した13億の市場が登場してきたんです。

中国共産党が、社会主義市場経済というのを党規約に書き込んだのは1994年です。
クリントンの訪中が98年なんです。明らかに中国の新しい市場を巡って、ビッグ
ビジネスのトップを連れて、クリントンが大遠征に行ったんです。そういう大きな
流れ、大きな枠組みは、実は共和党政権の中であっても歴然としてあるわけです。

さらに言えば、クリントンの98年の中国訪問の前年に、江沢民がアメリカを訪問
してるわけですね。彼は最初どこに行くんですか。パールハーバーを視察するんで
すよ。江沢民はパールハーバーを視察して、「かつて我々は同士であった」という
大演説をするわけです。

次(の年に)にクリントンは西安に行くんですよ、日本の上空通過せずに。私が
申し上げたいのは、単純なアメリカ不信ではございません。※パワーポリティクス
というのはこういうものだという、我々はリアルな認識を持つべきではないでしょうか。

※パワーポリティクス:強制力としての権力の行使や追求によって特徴づけられる
政治的活動。

それは来るべき朝鮮半島における我々の同胞を果たして奪還出来るのかどうか、
という我々にとって緊急な問題にとっても、一切の幻想を持たずにリアルに、
時には冷静、残酷なまでに、起こるべき現実を分析すべきであろうと私は考えて
おります。

http://www.youtube.com/watch?v=ej_GVOgmUMc&feature=related

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