From "Nobody knows"

あふれる思いを言葉にして

余談ですが

2017-06-24 12:03:39 | ひとこと
あるテレビを見ていて

話しているその方に

びっちりと

びちーーーーっと

張り付いてるのを見てしまった…


うん、まぁ、そうだろうな
とは思ってたけど
すごいな…と霊が憑いてるよという話。


霊が見えない人には見えない


ですが

見えないからと言って影響がないわけじゃないんです


霊はそもそも『思い』ですので
見えなくたってあるんです


あんまりテレビも見過ぎるのも気をつけないと
知らず知らずに余計なものをもらったりします





心の中。覗いてみたことありますか?

2017-06-20 21:55:00 | 知る
こんばんは。

いつも貴重な時間を割いて読んでくださりありがとうございます✨

さて今回はしばらく時間が空いてしまいました。
すみませんでした。

更新をしていない間にも自身の内を見つめる作業を続けております。

毎日毎日、自身の心の中を書き出していく作業をしております。

皆様は『内省(ないせい)』という言葉をご存じでしょうか。『内(うち)を省(かえり)みる』

簡単に言うと心の中を見る

という意味です。(そのままですね(^^;;

この内省を私は紙に書き出すことで行っています。

心の中で自問自答をするというやり方もあると思いますが、意外にこれだと自分のくすぶった感情が堂々巡りとなり、混乱してくることがあると思います。

そもそも『心』というものは『魂』そのものです。
言い換えるなら『思い』とも言えます。

『心』を説明するならば『無意識』の部分が「自分本来の心」と言えると思います。

意識できる部分は、自分の使う母国語という「ツール」で変換できる感情に近い思い。
無意識の部分は「ツール」は使わないけど「思い」としてあるもの。潜在意識も同じですね


ちょっと話がいきなり難しくなってしまって申し訳ないのですが、なんとなーくイメージしていただけたら、ひとまずそれでありがたいです。

さて内省とは、この「無意識」のところに辿りつくための作業でもあります。

自身の心模様に気付くことによって、本来の自分が目覚め、持っている悩みを手放すきっかけにつながり、最終目標である「本来の自身を思い出して、人生を謳歌し生きやすくしていく」ことに近づいていきます。

多くのひとがツールで変換できるものを「心すべて」と惑い、それに振り回されていることに気づかないと思います。

実際は違うんだなと、内省を深めていくと実感していくようになります✨

具体的な紙への書き出しは
以前の回でもチラリと書きましたが
まず自分の長所を書き出す
これは他人から言われた長所を書き出せるといいと思います。

次にその人からいただいた良き評価(長所)について
自分が率直に思ったことを書きます。
例:かわいい→そんなことない。太ってるもの

こんな感じです

その率直に思ったことに対して「なんで自分はそんなことを思うのか?」と理由をさがして書き出す。
例:だって昔はもっと痩せていた

と、こんな感じで書き出した理由のまた理由

つまり「ほめられた善なるエネルギーを否定したがる負のエネルギーは自分のどこからやってきてるのか?」をさかのぼって探す旅に出るのです。

一つずつ、ゆっくり、肩の力を抜いて
この作業をやってみると
そのうちどこかで「心の引っ掛かりになった出来事(トラウマ)」が出てきます。


実はこのトラウマちゃん
あなたの本来の輝きをくすませ続けている原因なのです。

しかし、見つけたらもうこっちのものです。
今まで漠然と何が苦しみの原因か分からない…となっていたものが「正体見たり」まで辿りつければ
その正体を知り、解決する手立ては立てていける

そう『希望と善なるエネルギー』がすでに湧いてくる

のです。


今回は ここまで。
気が向いたら「内省その1:正体見たり」まで
やってみてください。

一つ注意があります。

自分や他人を責める思いが強くなってきて
苦しくなったりしたら、ひとまずそこまでで
ストップ。
その責める思いは「本当のあなたではありません」!

ですので、「責める思いで怒る、苦しくなる」に囚われそうになったら中止してください。
このルールは必ず守ってください。

そしてまた別の気が向いたときに
明るく軽いタッチでやってみてください。

常に春の陽だまりのような暖かく柔らかな光に自分が
包まれていることを思い出してくださいね✨


それではまた

朝のお祈り

2017-06-14 21:10:52 | 知る
こんばんは。

皆様いつもお読みくださりありがとうございます。

皆様にとって今日はどんな1日だったでしょうか。

私は朝、家を出る前に必ず神様にお祈りをします。

「今日も素晴らしき学び多い1日をお与えくださりありがとうございます」

朝の始まりにそうお祈りするのです。

春の陽だまりのような暖かさを持った光に自身が包まれるイメージです。



え?一日が始まったばかりなのに与えてくれてありがとう??



そう思うかもしれませんが
もう既に今日この日を『素晴らしき一日になる』と受け入れた上で感謝をすることで同じような気がしていた毎日が変わります。

これは神様からの御加護を自身が『受け入れます』の状態になっていくことにより自身の心に神様からの御加護が届くようになってくるからです。



「毎日つまんない。どうせ自分は運が悪いから」



このような思いを持って過ごすと
例えばラッキーが訪れても
そのラッキーを見る目に「不幸大好きフィルター」が
かかり「いや、ラッキーじゃない。きっと何か後で悪いことでも起きるだろう」というような見方をするようになるのです。


簡単に言うと「素直じゃない自分」になってしまっている。


例えば感謝の思いで、前向きな思いで生きて行こう✨といるならば
ちょっと自分には痛いと感じる出来事も「自分の弱点に気づけた!弱点を克服するチャンスにできるかも✨」という風に「思い」を変えていくことができやすくなるのです。


この二つの例のどこに差があるかと言うと
「自身の心がどっちを向いてるか?」です

暗いほうなのか
明るいほうなのか


ということは
出来事そのものがアンラッキーかラッキーなのか


ではなく
あなたの思いがアンラッキーとラッキー
どちらを愛しているのか?


ということなのです。


あなた自身が不幸を愛するか
あなた自身が幸せを愛するか


どっちを求めているのかを
ゆっくり自分の心の中を見つめてみてください


苦しい苦しいといいながら、不幸を愛してはいないか


できることなら、爽やかに軽やかな心で生きて、どこからともなくエネルギーが湧いてくるのを感じる人生を過ごしたいものです



私自身は今、それを目指して心静かに
己を見つめ、爽やかに軽やかな心になるように
毎日修行の思いで過ごしております


長年の暗い思いを持ちたがる心の癖を直して
いくのは、スムーズでないときもありますが
あえて自分の癖がどんなところか?
そして自分の長所を『素直に』認めることと
同時進行でやってみています


一進一退のようで実はいきなりババーンと
進むことができたりと楽しい毎日です


裸の自分を知るのは意外に恥ずかしいものですが
朝のお祈りで「学び多い1日をありがとうございますと神様へ感謝」し、自分の心にも
前向きを知らしめていくことで少しずつできるようになってきています


皆様もよろしかったら
ためしてみてください

いい一日!と決めて動くと心が感じるものは
明るいものが増えていきます

裁き心とは

2017-06-12 08:10:24 | 知る
おはようございます

いつもつたない文章をお読みくださり
ありがとうございます


今日は『裁き心』についてです

みなさんもあるのではないでしょうか
誰かを見ていて「◯◯だからダメなんだよ」
「あーあ、思った通りだ」などと思うこと

これが『裁き心』です

自分自身がこの『裁き心』を理解できずに
うんうん唸っておりました

『だってさ、自分の意見まちがってないでしょう?』
『どう考えたって、一目瞭然。正論じゃん』

その思いが強くなりすぎると『裁き心』になる

人の思いはもっと多面的である

魂は転生輪廻を繰り返している

転生輪廻がある理由は『成長を続けることを許されている存在だから』


これを理解しようとしていくと
裁き心に気づく一歩になるようです。

『正論』と思う自分はどこに立って物事を見ているのか

『わたくし』という立ち位置から見れば正論でも
『相手』という立ち位置から見たときに
『相手が越えたくても越えられなくて頑張っている成長段階』に思いを馳せることができているのか

これは慈悲や思いやりの入り口の考え方かなと思います

すごく客観的に見れてるつもりで
親切心のつもりで「だからダメなんだよ」と思ってしまう思いは実は『わたくしの立ち位置、相手が成長することを認めない』という『利己的な思い』であることが多いと学ばせてもらいました

たとえば自分が逆の立場で
『あなたは◯◯だからダメなんだよ』と言われたならば「こちらにはこちらの言い分があるのに」と思ったりするのではないでしょうか


的確なアドバイスはありがたいものです。
自分では分からずにいることにスパッと答えを出してくれるのだから。

しかしそのアドバイスですら、自分が受け入れる気持ちにならないと受け取れないものです。

それはなぜか?

「こちらにはこちらの言い分が…」という思い
つまり、その方にとってまだ受け入れる前に学びを深める時間が必要ということです

それが先ほど言った

転生輪廻がある理由は『成長を続けることを許されている存在だから』の証明なのです


私たちは皆、神様より与えられた魂であり
仏子です

成長することを許されたのは『全ての人』にです

しかし『全ての人』が同じ速度、内容で成長するわけではない=これが個性とも呼べると思います

私は「人は本来の在り方からずれると苦しくなるのが
人としての真理の一つ」と考えております

これに照らし合わせても
裁き心を起こす人は人間関係で苦労されることも多いと思います


正しさを知ったあとに

大事なもの

その正しさを正しいと感じたからこそ

大事な人を救う手立てにしたいと思うのでしょう

であるならば

大事な人がその正しさを受け入れる思いに

なれるように

まずはあなたが「相手の成長を応援し、理解すること」

まずは自分が「慈悲や思いやりの愛の思い」で

相手が課題を越えられることを信じること

そしてそういう素晴らしい真理を感じさせてくれた
相手に
感謝の思いを持つこと


神様は私達を一人にしないで沢山の個性ある仏子を

授けてくださった

それは一人だけで得る喜びよりも

沢山の個性によってお互いを認め合い、励まし合い、

自分だけでは決して気づけない深い喜びの方を

与えてくださったからです


私達はすでに全てを神様より与えられています