「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

1.10 十字軍と今日(p140~)

2012-10-05 00:47:09 | 十字軍
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 トーマス・メイデンによると、現在における西欧諸国とイスラム諸国の緊張関係は、十字軍とはほとんど関係がない。19世紀の修悪主義者が、西欧帝国主義との闘争の中で、顧みられてこなかった十字軍の記憶を再現したという。

 Q:十字軍とジハードは関係があるのか?
 それほどの関係はなかった。ビン・ラディンなどのイスラム主義者が米国を「十字軍」と呼んでいることを考えると奇妙な答えかもしれない。しかし、中世から16世紀まで西洋世界はイスラム世界の後塵を拝していた。
 第一次以外の十字軍が失敗に終わった事実を考えてほしい。十字軍は確かにイスラムの征服活動を遅らせたが、それでもイスラム世界は拡大を続け、やがてはコンスタンチノープルを席巻した。18世紀のムスリムは十字軍のことを殆ど知らなかった。欧州人にとっては失敗だったが故に重要な出来事とされていたが。
 しかし、欧州列強の植民地化が本格化した19世紀になると情景は一変した。フランス等の民族主義者たちが十字軍を「遅れた中東に先進的な欧州文明の果実をもたらした勢力」として描写するようになったのだ。つまり、十字軍の戦争が帝国主義の戦争に準えられた。
 この歴史観が中東でも受容された。20世紀帝国主義の信用がなくなると、イスラム勢力やアラブ民族主義者は十字軍を植民地勢力とみなすようになった。先祖の記憶を大事にする中東の民だが、十字軍の記憶は欧州の征服者によってつくられたものなのだ。

 Q 十字軍と今日の反テロ戦争との間に共通点はあるのか?
 戦士たちの抱いている大義と望郷の念を除くと、共通点はまるでない。

 Q 十字軍はジハードなど他の宗教勢力の戦争とはどこが違うのか?
 ジハードには夷教徒の住む「戦争の家」に対して戦闘を仕掛け、「イスラムの家」を拡大するという拡張主義的本質がある。その中では夷教徒に対する制度的な改宗行為も存在した。
 しかし、十字軍は違った。キリスト教では強制改宗が禁じられていたので、十字軍にキリスト教世界を拡大するという使命感はなかった。
 十字軍の使命はむしろ防衛的なものだった。1070~90年代にトルコ人が小アジア全域を制圧し、キリスト教徒を圧迫したのを受け、1095年ローマ教皇ウルバヌス2世がビザンツ皇帝の救援要請を受ける形で欧州諸国の騎士たちに助けを求めた。
 小アジアはキリスト教徒ゆかりの地だ。使徒パウロはここで最初の福音を説き、ペテロはアンティオキアの初代司教になった。パウロはエフェソスの弟子たちに手紙も送った。ニケーアでキリスト教の信条が確立した。
 ビザンツ皇帝は西欧のキリスト教徒たちにこうした使徒ゆかりの地を取り戻すよう請願し、ついでにジハードで奪われた聖地エルサレムも奪還しようとした。これをみても、十字軍はジハードに対する防衛活動で、ムスリムの侵略に対抗するためだったことがわかる。

 Q 十字軍はイスラム世界を改宗させられたのか?
 13世紀にフランシスコ会の宣教師が改宗活動を行ったが、シャリーアが転向を死罪をもって制したのでうまくいかなかった。これは十字軍とは別個の活動であり、あくまで平和的な説得活動だった。

 Q キリスト教徒は十字軍の失敗をどう総括したのか?
 キリスト教徒の方に原罪があったから負けたと総括された。十字軍の撤退以降、西欧では大規模な改悛が行われ、キリスト教精神をより純化する運動が盛んになった。

 Q 前の教皇ヨハネ・パウロ2世は十字軍のことを本当に謝罪したのか?
 していない。確かにパウロ2世はカトリックの抱える原罪については謝罪した。1204年に第4次十字軍がコンスタンチノープルを制圧したことを謝罪したといわれているが、これは前任者イノケンティウス3世の立場を繰り返しただけだ。パウロ2世は制圧に参加した十字軍の兵士たちを糾弾したが、十字軍そのものを糾弾したことはない。

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