「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

イスラム団体の野望(p291~)

2012-11-07 22:33:04 | 現代イスラム批判
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 ユーラビア主義者の望む環地中海の統一という目標は、なんとイスラム団体のそれと全く同じだ。[アラブの春を実際に主導した]ムスリム同胞団は1928年、ファシズム思想とイスラムを融合させた「緑世の埃」ハッサン・アル・バンナーの指導で創設された。その発言録によると、

 イスラムの家から再びイスラムの旗を掲げねばならない。アンダルシア、シチリア、バルカン半島、南イタリア、ギリシア諸島‥これらは皆かつてイスラムの植民地だったが、夷教徒どもの手で不信心の地になってしまった。地中海も紅海もだ。すべて、イスラムの手に奪還せねばならない。

 「大いなる計画」に関する文書は未だ、西側情報機関の機密事項に属している。この計画を暴露したのはスイス人のシルヴェイン・ベッソン記者だけだ。2001年11月、瑞西カンピオーネの地に捜査陣が押し入り、50年間以上ムスリム同胞団に協力してきたユーセフ・ナーダの豪邸を捜索し、ナーダを逮捕した。
 押収資料の中に、1982年12月1日付の14頁の計略書「大いなる計画」があった。同胞団系の研究者が執筆したという同文書には、「セカイにイスラム政権を樹立する」12点の計略が綴られていた。変色的で、多段階的で、長期的に西欧を文化侵略する戦術がだ。同胞団の「セカイ計画」でもあった同文書の戦術の一部を紹介しよう。

 ・イスラム主義の目標を達成するための偽装戦術
 ・学校や病院、慈善組織などの拡張
 ・忠誠度の高いムスリムを政府、NGO、マスコミなど西洋の高等機関へ合法的に潜入させる
 ・イスラムの下僕になるまで西側機関を道具として利用
 ・西欧の「進歩的」機関との協調

 文書の執筆には、同胞団のユーセフ・アル・カラダウィー師が関与していた。現在はカタールで活動する同師が1990年に出した『次段考に於けるイスラム運動の最優先事項』は、用語法や計画内容までが酷似している。
 スンニ派きっての聖職者でもあるカラダウィー師は「イスラムがやがて勝利のコンキスタドールとして欧州に戻ってくる」と述べたが、2005年のデンマーク預言者戯画騒擾でも重要な役割を果たした。「ムスリム同胞団を支持するイスラム組織がサウジからの資金を元に予め騒擾を計画していたのは明白だ」という報告もある。
 ムスリム同胞団のモハメド・マフディー・アケフ現議長は最近、西洋を討滅する新計略を発表した。アケフは「大悪魔米国が崩壊する日は近い。イスラムは必ず欧米を侵攻するだろう」と述べた。その計略はまこと三十六計的だ。

 少数派たるムスリムは夷教徒が多数派の社会において、大学を最初の潜入先に選ぶ。彼らは合法的に学生に取り入る。イスラム化したムスリムと夷教徒たちは卒業後、軍を含む政府内部や民間機関に入り、同胞団寄りの政策を推進する。(エフレンフェルドとラッペン)

 季刊ミドル・イーストでロレンツォ・ヴィディノは「ムスリム同胞団の欧州征服」という論文を発表した。それによると、

 同胞団は1960年代から会員や同路人を欧州の各組織に送り込んでいた。ドイツで浸透工作を行ったサイード・ラマダンはバンナーの個人秘書だった。サイードの息子ハニはジュネーブでサウジ系文化センターの局長となった。ハニが2002年、ルモンド紙上で姦通者への石打刑護持を訴えたのは有名だ。バンナーはイスラム世界内部のみのイスラム復興を構想したと思うが、欧州でその夢が叶うとは思ってなかっただろう。

 棄教者パトリック・スークデオの証言によると、欧州のイスラム化は決して偶然ではない。1980年イスラム欧州評議会が刊行した『夷国でのムスリム地域社会』では、ムスリムは集住して、モスクやマドラサを建て、何としてでも夷国文化に同化せぬよう説かれている。西欧のイスラム団体は不動産を広範囲に所得して、ムスリム以外には売却しないように取り決め、「イスラムの領地」を作り出す。同胞団は超国境的な事業を展開し、特定国から財務基盤を攻撃されないよう備える。欧米社会はこうした計略を黙認し、何とか「穏健」な要素を見出して「過激」な要素への対抗基地にする。ダグラス・ファラーは警告する。

「彼らには計画があるが、我々にはない。歴史の教訓では、統一戦略を持つ勢力が大体勝利を収めてきた。我ら未だ勝利せず」

 2006年3月、エンパはデンマークの預言者戯画騒擾で掲載者側のみを非難する声明を出し、寛容と自由、多文化主義を求めた。エジプトのアフメド・ソローやヨルダンのハシェム・アル・カイシらは風刺漫画を「文化的赤字」と呼んだ。そして、欧州議会のジョセフ・ボレル議長は「議長就任から1年経ったが、環地中海問題はあまりに複雑怪奇」と述べた。
 風刺騒擾に伴い、ハビエル・ソラナは中東へ行き、イスラムの領導者たちに「報道の自由には責任と節度、それに全宗教への敬意が伴わねばならない」と述べ、「宗教的象徴は保護されるべき」と語った。ソラナはまた、アズハル大学のサイード・タンタウィ学長やアラブ連盟のアムル・ムーサ事務総長、OICのエクメレッディン・イフサノグリュ会長とも会談し、騒擾で宗教的心情が傷つけられたことに「深く遺憾の意を表した」。ほんの数年前にはNATOの事務局長として、「欧州紛争の根源は、民主主義と公開性の欠如にある。民主主義を通して世上への不満をガス抜きしないと、やがては深刻な暴動を齎す」と述べていたのに、今やソラナ自身がイスラムの検閲を支持してしまっている。

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