「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.17 文化マルクス主義者の精神分析(p373~)

2012-11-22 23:53:55 | 左翼思想批判
 前へ

 宥和犯とは、自己が最後に襲われると思いつつ鰐を飼う者の如し――チャーチル

 現代セカイの狂気を体現しているのは多文化主義だ。故に多文化主義者の精神分析を行うことは、現代西欧の諸問題を議論することでもある。
 しかし、多文化主義または文化共産主義とは何なのだろう?文化マルクス主義者といえば、社会主義者や集団主義者、PC主義を信じるフェミ娘や環境主義者、同性愛・障碍者運動家などが考えられるが、彼らは細分化著しく、全部が多文化主義を支援している訳ではない。この概念はやや曖昧なものかもしれない。
 だが、「劣等感」と「過度なる社会化」という二つの要素を文化マルクス主義の淵源とすることは可能だ。後者の概念を発案するのはごく一部だが、それが思想全体に及ぼす影響は大きい。この2つを鍵とすれば、文化マルクス主義思想の全体像を完全に分析することができるだろう。

 劣等感
 ここでいう劣等感とは普通より広義にとらえてほしい。
 周囲が自分に対して悪口ばかりを言っていると思い込む人は、大体自尊心が低く劣等感を抱いている。これが社会活動のゲンバに広がると、これまで普通に用いられていた単語を差別的と糾弾する方向へと発露されていく。「障害」、「黒んぼ」、「東洋人」、「かわいこちゃん」といった単語に差別的意味合いなどなかったはずだが、活動家たちは差別的文脈を勝手に付与し、用語の改称を要求する。例えば、「ペット」でなく「動物伴侶」と呼べとか、「原始社会」ではなく「無文字社会」と呼べとかだ。後者の方は既に文化人類学で実施されている。原始社会という言葉には西洋社会より劣ったものという意味合いが込められていると妄光しているのだ(原始社会そのものが西洋社会より劣っていると言いたい訳ではない。あくまで左翼的超感覚を指摘しているだけだ)。
 こうした「不適切用語」に最も敏感なのが、普通の黒人貧民やアジア移民、虐待された女性、同性愛者、障碍者などの「被抑圧階級」ではなく、彼らとは遠く隔たったところにいる政府公務員や大学教授、マスゴミ記者や出版社など安定した職を持つ異性愛系の中産階級白人というのは実に奇怪だ。彼ら主流派系の文化マルクス主義者は実の処、こうした「被抑圧階級」を蔑視しているに違いない。彼らは決してこれを認めないが。(女やムスリムが劣っていると言いたい訳ではない。マルクス主義者の心理を描いただけだ)
 フェミ娘たちは女が男と同等に強固であることを示そうとするが、それは男女間の差異なる真名が顕現するのを恐れているに過ぎない。つまり、文化マルクス主義者は西洋が「強盛善国」であるのを嫌悪しているのだ。彼らは西洋が好戦的で帝国主義的で性差別的で自己チューなどというが、原始社会や社会主義諸国でみられる同種の性向については何かと弁明に努め、渋々認めたとしても「同じことは西洋にもあるじゃないか!」と西洋文明の瑕疵の方を非難する。これを観れば、彼らが強盛なる西洋を嫌う真の動機が分かるだろう。
 文化マルクス主義者の語彙の中に「自尊心」「自信」「主導力」「冒険心」「楽観主義」というものはほとんどない。これは彼らが反個人の集団主義を志向しているからだ。自力でカイゼンしようとする気が薄いから、競争という単語に対して敗北感しか抱けないのだ。だから、彼らの美術においては不潔性、敗北感、絶望感を背景に、合理的希望を放棄した酒ネ申的衝動のみが顕現しているのだ。そこにはもう現在への耽溺しか存在しない。
 文化マルクス主義の哲学では科学や理性に基づく客観的真名が無視され、全てが文化的に相対化される。科学に基づく真名の探究こそが智識の基礎となってきたわけだが、彼らの哲学によれば、それは優越たる真理と劣等せし虚偽を顕現させる許し難き試みということになる。だから彼らは精神病やIQ、遺伝的能力というものを認めない。そして、個人の問題を自己責任とせず、世上に責任を擦り付ける。
 文化マルクス主義者とは自らの劣等感情を、中二病的虚栄心や苛め行為、モーレツ化という形で晴らす人間のことではない。こうした者の行動は確かに痛々しいが、それでも自己の不全性を自覚し、少しでも強固になろうと努力している。しかし、文化マルクス主義者の劣等感は最早彼らの斜め上を走っている。劣等感を全身に浸光させた彼らは今や群れの中に生きる娘と化し、文化マルクス主義の概念城の中でのみ群れて自己を充実させる。
 自動車の前で横たわり、警官からの弾圧を煽る文化マルクス主義者の受虐癖(マゾヒズム)をみよう。確かにこうした抗議が成果を挙げることもあるが、文化マルクス主義者は自己を憎悪する故にこうした受虐的戦術を愛好するのだ。
 文化マルクス主義者は倫理や情熱が使命の根幹だと主張するが、その根柢にあるのは間違いなく反権力的な敵愾心だ。どうせムスリムへの優遇措置を求めるのなら、もっと敵対的な言葉を使ってみたらどうだろう?そうすれば、いわゆる平権措置(アファーマティブ・アクション)を逆差別と感じている生徒たちから譲歩を勝ち取れるだろう。しかし、彼らはそうしない。なぜなら、そうしても欲求を発散できないからだ。そうすれば、非ムスリムが自分の思想に対して嫌悪感を募らせることを恐れているためだ。
 もし、社会の側に何の問題も起きてなかったとしても、文化マルクス主義者は問題を発明して騒ぎを起こす口実にする。

 (ここに描いたことは飽く迄文化マルクス主義者の全体的傾向を指摘しただけであり、必ずしも個人単位の文化マルクス主義者を描くものではありません)
 
 次へ