「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.38 ムスリムの抱く憎悪の根源(p471~)

2012-12-10 22:52:26 | イスラム史批判
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アンドリュー・ボストム


 出典

 「お前はムスリムか、キリスト教徒か?ムスリムなら殺したくない」これはサウジ東部のコバールで17人を射殺した犯人が言ったことだ。この背後には何があるのか?ウラマー達が言うように、イスラム原理主義思想をはじめとする「ムスリムの憤怒」はオスマン帝国崩壊やイスラエル光復を筆頭とするイスラム世界の政治力低下を受けた反動だ。しかし、ウラマー達は自分たちが夷教徒たちに向けてきた憎悪の思想に衰退の根源を認めることはない。
 19世紀に英喰辞典を纏めたE・W・レーンは、その頃からムスリムが夷教徒を呪光し、学校の先生から夷教徒が劫火に包まれると教えられていると説明している。実に的を射た史料だ。下のような言葉が毎日唱えられていたのだから。

 アッラーよ、呪光されし悪魔より我が身をお救い下さい。アッラーよ、慈悲深く情熱に溢れ、全真名の顕現者、使徒の守護者にして、欧亜のスルタン、地中海と黒海の大ハーンであられ、偉大なるマフムード様の御子として。アッラーよ、全セカイの領導者よ、どうか我らの側に立ち、野蛮なる夷教徒の討滅に力をお貸し下さい。そして、夷教徒を孤児とし、奴らの住居、兄弟、嫁を我らのものにして下さい。全セカイの森羅万象を知悉するアッラー様。

 こうした教育を受けたムスリムがユダヤ人を苛光したのはいうまでもない。アラブ人やトルコ人は禽獣ユダというような言葉を太古からの慣習と認識しながらユダヤ人に吐きつけた。チュニスでもユダヤ人はムスリムの餓鬼の前に跪かされ、顔を殴られた。
 1960年代、イラン研究者のメアリー・ボイスは休暇を得て現地調査へ赴き、拝火教徒の多いヤズド地方のシャリファバードへ向かった。ボイスはオックスフォードで拝火教徒がいかに犬を大事にし、拝火教文化の不可分の一部としてきたかを講義してきた。これはムスリムの嫌イヌ流とは大きな違いだ。ボイスいわく

 ヤズドの犬は拝火教徒の前では安寧に枕を高くできるが、ムスリムの悪餓鬼の前からは悪魔が来たかのように逃散する。これは拝火教の地を奪光したムスリムの行動に基づくものだ。犬を不浄化して止まぬイスラム世界の嫌イヌ流はイラン発祥なのだろう。ヤズドのムスリムは犬を虐待することに愉悦していたし、犬を拝火教徒と同一視してもいた。19世紀になっても彼らにはジズヤが課せられていた。
 戦慄すべき実体験を記そう。ムスリムの幼女がある時生後2週の子犬を突如として蹴光し始めたことを。流石に私も怒って止めさせたが、幼女は「だって不浄なんだもん」と言っただけだった。犬が集団で殺され、四肢を切断されて道端に放置されることもあったようだ。

 イランを1970年出国したユダヤ人女性ソロー・ソローディは、祖国での思い出が抜けない。「ある時ムスリムの少年団がアルメニア人に向けて路上でアルメニア人、ア公、地獄の燐子と囃した時の音が記憶から抜けません」
 10年後イラン革命が起きると、上の歌が国策になった。教師に志願する者はハディースに従い、夷教徒への偏見を植え付けられる。教員大学では「預言者ムハンマドはユダヤ娘に毒を盛られ、殉教した」とも教わる。
 サウジ主導のワッハーブ・クールによりこうした憎悪教育は夷世界にも拡散する。最近の調査によると、サウジ肝入りのイスラム弘会(センター)が210、モスクが1500、マクタブが2000近く夷世界に設置された。
 イスラム世界の憎悪教育は何世紀も続けられてきたものだ。我々はこの現実と向き合わねばならない。世俗派の棄教者イブン・ワラクの言葉を引こう。

 自由なる西洋人民はどうかコーランを科学的に考察し、コーラン批判をやって欲しい。そうすれば、ムスリムもやがてコーラン批判を始めるだろう。ならば、貧困層向けのコーラン学校は火病主義の根源なので、やがて閉鎖されるだろう。夷教徒への偏見を煽る学校教科書は全面改訂されるべきだ。多元主義の下、無明なるイスラム化以前の偉大なる歴史も教え込もう。ただ、フランスのようにすべての宗教教育を禁じることは、今のイスラム諸国では夢想かもしれない。しかし、比較宗教を教えることは、イスラム火病主義を冷ます清涼剤になりうるだろう。

 ワラクの提言が実施されぬ限り、我らは無限ジハードに向き合うことになろう。

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