偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏175御岩山(茨城)

2008年12月15日 | 登山

御岩山(おいわさん) 後生車(ごしょうぐるま)

175_2 【データ】御岩山 492メートル▼25000地図 町屋▼最寄駅 JR常磐線・日立駅▼登山口 茨城県日立市入四間町▼石仏 御岩山山麓の御岩神社境内

1751_2 【案内】御岩神社の境内は神社でありながら石仏が目立つ。大日や阿弥陀など如来の仏像まで残されている。この光景、神仏混交という神と仏が同居した江戸時代までの日本でごく普通にみられた現象であった。神と仏を分けたのは明治維新のもとにおこなわれた神仏判然令。これが廃仏にまで突き進んでしまった。御岩神社でも影響はあったが石造仏の被害は少なかったようである。御岩神社境内にある仏教的なその一つに後生車がある。案内には「車を上にまわすと現世の願い 下にまわすと後生の願いが叶うと伝えられています」とあった。太宰治は『思い出』で「その輪をからから廻して、やがて、そのまま止ってじっと動かないならその廻した人は極楽へ行き、いったんとまりそうになてから、またからんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言った」と書いている。このように後生車の伝えは地域で異なるようだ。呼び方にしても念仏車などもあり、『日本石仏図典』では輪廻塔(りんねとう)としている。神社の御神体である御岩山へは表と裏からの参道があり、中腹で合流。山頂の手前で左右に分かれる。右は岩場の基部を巻くルート、左は大きくトラバースして陽光台からの来る尾根に出る道。岩登りのゲレンデになっている山で、岩へ取り付く踏み跡があるからそれには入らないように。

【独り言】御岩神社の境内にある木祠には石造姥神が祀られています。この姥神、かつては御岩山の中腹にありました。30年前に訪ねたと1753_4 1752_3 き、その場所には木祠が祀られていましたが、姥神は御岩神社の境内に移されて露座のまま置かれていました=写真左=。その後いまのような木祠が建てられたようです=写真右=。「姥神は出羽三山と一緒に勧請された神」として、これまでこのブログでもたびたび紹介してきました姥神、それは御岩山にもあてはまります。山椒の会『御岩山』(1992年、筑波書林)には「水戸藩では寛永七年(1630)に出羽山を勧請し、御岩山を湯殿権現、月山を月山権現、大1755 1754 室山を羽黒権現と見立てて国峰とした」とあります。それにしてもこれほどデホルメされた姥神は他にありません。この神の特徴は大きな乳房。山形に点在する姥神のそれは巨大でした=写真左=。日光・男体山志津の姥神も異色でした=写真右=。しかし御岩山のものは姥神の概念にまったくとらわれない顔と乳房をシンボル化したすばらしい姿でした。

【参照】石仏171鞍掛山(福島)阿弥陀如来

    石仏159茶臼岳(栃木)姥神

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