偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外 三国山(静岡)僧形双体道祖神

2016年08月01日 | 登山

三国山(みくにやま)  僧形双体道祖神(そうぎょうそうたいどうそじん)

【データ】 三国山 1320メートル▼最寄駅 JR御殿場線・駿河小山駅▼登山口 山梨県山中湖村平野の三国峠▼石仏 なし。僧形双体道祖神は二枚目地図の赤丸印▼地図は国土地理ホームページより



【独り言1】 三国山 山梨の山中湖の北、三国峠から三国山への道は富士山と同じ砂礫の道です。そこに腐葉土が積もっていますから、富士山の中腹の樹林帯と同じ感じの歩きやすい道が続きます。雨でも水溜りがなく、靴が滑ることも汚れることもありません。こんな道が三国山から楢木山、大洞山と続いて籠坂峠から富士山のすそ野になります。この日は雨模様でしたが、三国峠から楢木山を往復しました。
 峠に下って出会ったのが、鹿児島から車で来たという初老の男性。2日後に電車でくるおばちゃんたちを連れて富士山に登るというその男性は元気いっぱい。こいう人に出会うとこちらも元気が出ます。



【独り言2】 僧形双体道祖神 三国山南山麓の静岡県小山町湯舟で、僧形双体道祖神を探しました。双体道祖神の初期の石像は男女区別のない僧形で、江戸時代初めの寛文期(1661~72)に神奈川や群馬に登場します。その後、山梨・長野・静岡でも造られました。男女の区別がある双体道祖神はこの後の元禄期以降(1704~)に登場してきます。その像容は地域によって異なりますが、男神と女神が手を握る握手型、徳利や盃を持つ祝言型、抱き合う性愛型などに変化してゆきます。
 小山町湯舟の道祖神は寛文13年(1672)の造立と吉川静雄著『富士山麓の道祖神・駿東篇』(吉川静雄著、昭和53年)にあります。その道祖神は湯舟公民館の手前の道路から少し入った畑の中にあり、近くの女性に案内していただいて、すぐ探し出せました。

 双体道祖神の祖型として、拙著『東国里山の石神・石仏系譜』では、石祠型墓石内に祀られた僧形双体像をあげました。その根拠の一つとして、群馬、神奈川の寛文期に僧形双体道祖神が登場したところには、必ず石祠型墓石があることをあげましたが、小山町湯舟の道祖神の近くの墓地にも石祠型墓石がありました。




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