偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏589高社山(長野)高心霊神

2015年06月12日 | 登山

高社山(こうしゃざん) 高心霊神(こうしんれいじん)

【データ】高社山 1351メートル▼最寄駅 長野電鉄・夜間瀬駅▼登山口 長野県山之内町夜間瀬のよませ温泉スキー場▼石仏 高社山山頂の手前の尾根。地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより



【案内】高社山の信仰の道は南麓の集落・赤岩の高杜神社からだが、この道に立つ十三仏は拙著『里山の石仏巡礼』に案内したので、今回は夜間瀬のスキー場から登る。この道の三分の二はスキー場のゲレンデを登る。楽そうに見えるが、ゲレンデの登りほど単調できつい所はない。尾根に出て鳥居の残骸が残る先に「高心霊神」の石碑が立つ。霊神は木曽御嶽の行者に与えられた諡号(しごう)。高心という行者の素性はわからない。高社山は東西の峰からなり、西峰に木曽の御嶽が勧請されているので、高心も御嶽信仰に関係する行者なのだろう。
 高社山がある北信地方に木曽御嶽信仰を広めたのは、更級郡上氷鉋村(現長野市川中島)の本心行者(田原利左衛門)と、湯本達保氏の『たかやしろ信仰と赤岩村の歴史』(注)にある。同書によると、高社山の御嶽信仰は、本心行者が嘉永年間(1848~54)に高社山に参籠したことに始まり、弟子である赤岩の湯元佳録・小林長欠らが広めたとしている。また高社山の西峰に御嶽の石祠を建てたのも湯本佳録ら、赤岩の御嶽信仰の人達だった。中世に天台系の修験の山として栄えた高社山は、御嶽行者にとっても格好の修業地となったようである。本心行者の本心講は二世空心、三世覚本と続き、それぞれの霊神碑が立てられている。ただ同書に「高心霊神」のことは見当たらない。
 高社山の信仰は修験が栄えた中世から西峰山麓の赤岩にあった高杜神社が中心で、御嶽信仰も赤岩が中心。高心は立てられた位置からして、赤岩とは反対の夜間瀬に関係ある行者だったにちがいない。
【注】湯本達保著『たかやしろ信仰と赤岩村の歴史』平成22年、文芸社



【独り言】高社山と高杜神社 高社山の山頂(東峰)には石祠が二基=写真上=、夜間瀬を向いて鎮座しています。これがこの山に昔からある神・高社神社なのでしょうか。それとも赤岩の登山口にある高杜神社なのでしょうか……。この山の名前、昔は高社(たかやしろ)、いまは高社(こうしゃ)、登山口の赤岩にある神社は高杜(たかもり)ということを最近になって知りました。これに気づかず、拙著『里山の石仏巡礼』の高社山で、「高社神社」としてしまいました。前出の湯本氏の本では、本来は高社(たかやしろ)だったものを高杜(たかもり)と誤記されたことから高社・高杜が併用されるようになった、としています。誤記は古い時代からのようです。高社(こうしゃ)は明治にできた高杜神社の信徒の集まりである「高社(こうしゃ)講」が元になっているそうです。高杜(たかもり・たかやしろ)と高社(たかやしろ・こうしゃ)。とにかく複雑ですが、高社山と高杜神社を間違わないように書くことが大事でした。

 


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